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ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

全粒粉のカンパーニュ

2012年03月07日 | こむぎこ日記
全粒粉のカンパーニュを焼きました。

ハンガリー帰りということでグヤーシュとパプリカチキンを作ってもらったので、そのお供に。

デザートはパラチンケン!
という呼び方は我がオーストリア料理ですが(オーストリア料理はもともと周りの国から来たものが多い)、ハンガリー料理にもクレープがちゃんとあったそうです。

イチゴとチョコソースを巻きました。


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元気づけてくれる人が方々にいる。それぞれのやり方で。
それがどんなに心強いことか思い知った誕生日でした。

オレンジとフィグのチョコレートケーキ

2012年02月13日 | こむぎこ日記
ドライフルーツを絡めるのにも焼き上がりに塗るのにも、グランマニエです。
イチジクのプチプチ。(ちなみに友人Rはモチモチと表現。)さらにピスタチオも混ぜ込んでザクザク。大人の香りに加え、食感の楽しいレシピでしたよ。


ミルクチョコレートはフランスのカカオバリー社、オレンジラメルはフランスのサバトン社。
材料にすごくこだわるつもりはなかったのですが、13日にお店に行ったら私と同じ非計画的女子がわっさわっさお買い物をしており、そうでなくても嫌な予感がしてたのに(今年採用致しましたのが、電車の駅で配ってる冊子に載ってるレシピでしたので笑)、案の定ことごとく売り切れの棚にぶち当たる。
それでミルクチョコもピスタチオもグランマニエもブランド物やら大袋やら大瓶やらを買うことに…
みんなさあ、人のこと言えないけどさあ、煽られすぎだよバレンタインムードに。グランマニエの小瓶もないクオカなんてクオカじゃないでしょうよ!人のこと言えないけど。

でもね、今チョコつまみ食いしてみたら、やっぱり美味しかったです。
これも出会いだわ。


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明日はバレンタインだけでなく向こうの修論発表のお祝いでもあるから、いろいろな気持ちを込めながら焼いてます。
一日の終わりに会える幸せ。だいじな日の最後に顔を見て話せる幸せ。
・・・かつ、こちらのテスト前でもあるから、血液学なども暗記しながら洗い物してます。

好き嫌いが分からない人のためのバターシュガーブレッド

2012年01月09日 | こむぎこ日記
今日は家庭教師先の女の子のお誕生日です。
先月から教え始めたばかりで嫌いな食べ物が分からないので(「甘いパン」じゃないといいけど…)
いつものシナモンロールの、シナモン抜きを焼いて行くことにしました。
夜のうちに捏ねて野菜室、朝に30分ほど生地を緩ませてから成形~焼成。

セイウチの写真を自慢げに見せれば、セイウチのヒゲは触ったことあるか硬いんだぞと返してくるようななかなか賢い子です。美味しく食べてもらえるかな?


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一昨日は門前仲町と木場を歩いて深川八幡などで初詣してきました。
年末にここが舞台の時代物を朗読したので、折角なら発表会前に来れたらよかったねと言ってくれたけれど、それぞれに情緒の感じられる下町風景で、作品のセリフが多々懐かしく口をついて出てきました。
小扇ちゃんもおりんさんも、もう私の中にいる!

赤酒レーズンのパン

2012年01月03日 | こむぎこ日記
一つはほとけさま用。

熊本の人がお正月のお屠蘇に使うのが、赤いラベルの東肥の赤酒。
肥後細川藩のお国酒。甘くてとろんとしています。
それがまだ余っていたので、刻んだレーズンを漬けてみました。
熊本県の美味しいお菓子屋さんswissに、東肥の赤酒を使ったウィスキーボンボンが売ってあるのを見たことがあるんです。それを思い出してやってみました。
もちょっと塩をした方が良かったかな。
里帰りパン屋、今回最後の作品は、ぶどうパンです。


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初稽古おわり~。
なんか、自分で自分の曲を吹きたい気分!
どんなのが吹きたいかなあ。自分で見つけたい気分!
あと、今年の課題はタンギングかな?なんて。

そしてそして、下町ロケット!
一晩で読んだよとおじいちゃんが言うので読み始めてみたら、ほんとに一晩かかりました笑
おもしろかったー!工場とか研究とかモノ作りとかって、すごくかっこいい!
眠い。

中華風蒸しパン

2011年12月31日 | こむぎこ日記
母さんがお正月用に豚の角煮を作っていたので、これにはさんで食べようという目論見。

蒸し器から立つ湯気をぼーっと見ているうちに10分なんてすぐにたっちゃうものですね。時々奥のブリ大根さんの味見なんかもしてるとね。そういえば最終発酵も元のの大きさ分からなくなるくらいずっと見守ってました。

手にはNEJM抄読会で担当する記事を持っているのだけど…完全にお休みモードです。
それにしてもなかなか訳し終えないんですけど!どうも面倒な記事を選んでしまったらしい。


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鹿児島までお先祖さま参りに行ってきました。
すさまじい鶴の鳴き声を聞きながら、お昼ごはん。

これは母さんの頼んだ「鹿児島がねちゃんぽん」。
がね=いもの天ぷら、だそうです。


安納芋の焼き芋。へっへっへー。

あんころぱん

2011年12月29日 | こむぎこ日記
今回の里帰りパン屋、第一弾は勿論おじいちゃんのリクエストであんぱん。
この前の餅つきで丸めたあんころ餅と同じ要領で成形してみました。おばあちゃんの漉し餡たっぷり、隙間なし。
昨晩夜な夜な捏ねて極寒の外に置き、朝にストーブの近くで生地を緩めてから分割。

樫の木剪定後に皆でふぅっと、お茶うけに。
今回は私も二階くらいの高さまで梯子を登って枝をへし折ってきたんです!
他には、でこぽんちぎりのお手伝いも。

枝を切る度に、あまずっぱい香りが漂います。
お日様をいっぱい吸い込んだ元気色のでこぽん達。
でも、甘くなるまでは1か月くらい置いて待たないといけないそうです。


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学祭で外部のお客さんを押して一応の自信をつけ、満を持して
おじいちゃんの体を押した。
初めて心から、東医研に入ってよかったと思った笑

どうも私は、身近な人のために働くことの方が緊張して後回しになってしまう…
これからもそうなのかなと恐る恐る想像しつつ、早く卒業して病棟に出たいと考えたりする。さすればもっと身近な人の役にも立てるかもしれないと期待する。そして、そうかだからこそ私はこの職種を選んだのかと、妙に納得などもする。
人を支援することなんて資格などなくても、気持ちさえあればできるわけなのだ。実際に、そういう人はたくさんいるのだ。
でも多分わたしは、わざわざ仕事にして機会を作らなければ、勇気がなくて、きちんとした判断ができる自信がなくて、ダメなのだ。

・・・それならそれでいいや。
外で勉強して、遠くの人を助けてきてから、隣にいる人を助けることが目標でもいいや。

私は粉物担当でナンとガトーショコラ。

2011年12月25日 | こむぎこ日記
さて、今年のクリスマスはご要望がチョコ系のケーキ!ということで焼いたガトーショコラは中2のバレンタインで好評だった、母さんからもらったレシピ。但し、ココアパウダーと板チョコがブラック。

ナンはヨーグルトも入ったレシピを使ってみました。焼成はなんと魚グリル。
彼お得意のインドカレーのお供に!
・・・でも、もっと研究が必要そうです。



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母校の先生たちが「パン焼き始めたの~!」って報告してくれたり「ちょうど昨日パン焼きながらあなたのこと思い出してたから今日会えてビックリした~!」って言ってくれたので、パン焼かなくちゃって気持ちになりました。

三年前にも私の話を聞いてウルウルしてくれたインタビュアーの人がいたから、下手でもまた話そうって気持ちになりました。そして今年も同じ方がウルウルしてくれました。

そうだ。やはり私は、人とのかかわりあいの中でこそ動き出せるのだ!

アンパン(マン)

2011年10月16日 | こむぎこ日記
発表授業やら部活やら学祭やらで自分の能力不足を思い知りつつ、
いろんな人との付き合いに疲れて立て続けに落ち込む絶不調期!
(というわけで記事にできるようなお弁当つくってません…)

もう、なーんもうまくいかんじゃんっ
と躍起になる私に、勇気をくれたもの達は。
①母校の文化祭と、②発泡酒(笑 お酒の薬効を美味しいっていう味に対する感情以外で初めて知った気がします…ん、それって危ない?気をつけます。)、そして③久しぶりのパン作りでした。
オーブンが苦痛でない季節になってきたこと、おばあちゃんが美味しい漉し餡を作って送ってくれたこともきっかけになったんだけど、
「昔は自分のいろんな気持ち、パンに託して贈ってたなあ」って思い出して。
実際にやってみて、生地の触感とか膨らむ様子に心を落ち着けてたのもあるかもなあと思いました。
まあ、美味しく焼けたしね!

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恒例!おばあちゃんちで気ままにパンを焼いて食べてもらう。

2011年08月16日 | こむぎこ日記
第1弾。
そりゃまずはあんぱんでしょ。


第2弾。
切りっぱなしパン。はちみつでこねてみた。
焼きたてを皆でちぎって食べたら、これが意外と評判良かった。





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怠け者の私は、宮城行きをまじめに振り返ることを長い間後回しにしてきました。
事後勉強会があるということで、やっと筆が動き出したというわけです。情けない。
拙いですが折角なので、ここに載せておくことにしました。


今でも一番印象に残っている、というか見ておいてよかったなと思うのは初めに降り立った石巻の光景。現地に持って行ったメモを読み返したのですが“「がんばろう日本」「がんばろう宮城」の立て看板が行きと帰りで全く違って見えた”と書いてありました。どういうことかというと、津波の被害にあった景色というのが、あまりに空っぽすぎて…
正直、現地に行って生の光景を見れば、本当に必要とされている支援とか、報道だけじゃ伝わりきらないこととか、いろいろなことがわかると思っていた自分がいました。涙があふれ出したり、怒りに打ち震えたり、「私もがんばろう」と熱くなったりするのかなあと期待していたのです。
しかし実際はただただ茫然とするばかりで、少なくとも自分に引きつきけて考えることなど全くできず、口を開けば「本当にここに町ができるの?」と言ってしまいそうなほど、無口になるしかない絶望感ばかりが見えてくるような風景でした。「これでもまだ復興と叫べるか?」本当にその通りです。
バスの中で今回のスタディツアーのスタッフさんからもお話があったように、テレビ番組などで被災地の状況が紹介される場合は必ず作り手の意図があり、ストーリーやメッセージがあるのであって、そういうものばかり見慣れて何か分かった気になった私などがその場に放り出されても、そこから何かを感じ取ることさえ難しいということを知りました。
ちょうど、ツアーに行った時期に私が大学で受けていた実習の担当の先生がガイダンスでおっしゃっていた言葉があって、「本実習の主目的は学生が問題提起力と解決力を養うこと、またその難しさを味わうことだ」と。ひとつの結果を何か見せられたときにそこから自分の理性的な目で問題点を探り出してどう解決していくかを考え実行する。その最初の段階が特に座学の授業などではなかなか教われないが実際働き出したら一番重要な部分でもあるとその先生は口をすっぱく言っていて、私はこのテーマの大切さを(実習からはいまいち感じられなかった分むしろ)このツアーのおかげで途中まで実感することができたように思いました。実際、自分の大学の卒業生の被災地での医療活動の報告を聞いていてもそうだったようです。特に活動するための情報自体が乏しいような地域に入った医療チームは、第一のミッション自体が「とにかく実際に行ってみること」だったそうです。
さて、石巻を見ていろんな意味でショックだった私はそれから自分の考える糸口やとっかかりとなるようなもの、宮城の新たなスタート地点のヒントとなるようなものはないか、ずっと探していました。(そういうものまで根こそぎさらっていってしまうのが津波の恐ろしさであることも感じましたが、)私にとって探していたそれとは、「人々が、そこに生活していた名残り」だったのだと思います。
雄勝で行った泥かきで、私はそういうものと出会うことができました。開封済みのお味噌の袋とか、カセットテープとかがたくさん出てきた。そこで初めて、「ああ、ここで人が暮らしてたんだ」ち実感した気がしました。また、新聞記事の切り貼りしていあるスクラップブックの一ページが出てきた時は、その前に聞いていた気仙沼で活動しておられる学芸員さんのお話を思い出しました。「がれきには誰かの思いが詰まっているのであって、撤去が必要なのは分かっているのだけど、いったん自分の壊れた家の残りが見つかるとやはり嬉しくて、次には『いつ撤去されるのか』と不安になって毎日見に来る人がいる」というお話・・・
それもこれも合わせて考えた後でもう一度見た仙台の街中はちょっと異様な感じでした。一見すれば日常が回復しています。でもきっとその中にはたくさんのサヨナラをせざるをえなかった人々がいるはずで、明るい復興の裏に隠してある深い悲しみが癒えるまでには、とてつもない時間が必要だということを改めて思いました。
話がそれましたが、とにかくそんなこんなで、やっと頭が動き始めるきっかけとなってくれた泥かきのボランティアでしたが、もちろん得られたものはそれだけではありません。参加させてもらえた作業で、「水路が一本だけ通るようになった」という事実は、自分にとって次に繋がるとても明るい記憶になってくれました。あれだけの時間と人数をかけてそれだけの結果、ということが自分の体で経験できたので、作業した場に着くまでに通ってきた村や町全体が元通りになるにはやはりものすごい時間がかかるということも同時に感覚的に分かることができたと思います。
そんな長い時間の中、これから恐ろしくなるのはひょっとしたら「無関心との闘い」なのかなと思います。たとえば、もうすでにほとんどの医療チームは撤退している状況です。当たり前ですが、世の中全体も前よりはだいぶ落ち着いてきました。JAや工場で聞いたお話でも分かったように、現地の方々だって、元の自分の仕事をすることで復興したい、また元気になりたいと思っていると思う。その意思を尊重することはすごく大切だし人を助ける基本だと思います。派遣された医療チームも、「いずれは撤退するのだから�患者さんの受ける医療の継続性と�地域医療の自立、復活を常に第一に考えて活動していた」と聞きます。
だからといって被災地以外が完全に離れてしまっては無理です。でも、今回の震災でさまざまな問題に気づかされたのは被災地だけではない。学芸員さんも「津波は受け継ぐべき大切な文化である」とおっしゃっていましたが、日本全体が(それどころか、夏休みに会ってきたオーストリアの知り合いによると世界全体が)それぞれ考えるべき問題を与えられたということではないかと思います。人生観が変わった人もたくさんいるそう。今回のようなことが起きたときに自分はこのままでは思い通りの支援ができないと思い医局を出る決心をした人、むしろ家族を守りたいと思って診療科を変える人etc。私などは、震災時に必要なのはスピードが大切な救急医療だけで私は不向きと信じ込んでいたのですが、実際は今回の震災で問題になった医療の大部分は阪神淡路の時とは違って慢性の、たとえば糖尿病の患者さんだったのだそうで、今まで日本であまり注目を浴びてこなかった家庭医制度や訪問診療、精神科などもそれぞれのニーズにあった支援ができるとして活躍中です。高齢化についても、仮設住宅も介護に適した設計にしようとか、在宅医療ができる街づくりとか、いずれ東北のみならず日本全体で問題になるであろう事柄が山積み。皆の興味の範囲も自ずと広がっているはず。他人事でなく自分の問題として引き付けて考えざるを得なくなってきます。
今回のツアーに参加してみて、「がんばれ東北」などと軽々しく言えなくなってしまいましたが、今の宮城の状況を何も役に立てない私のような学生にも見せてくださった気持ちを考えると「一緒にがんばろう」くらいは言ってもいいのかなと、最近は思えています。


最後に、これ。
http://youtu.be/QmCMDJsJiJk
“A Song for Japan”
なかなか素敵な曲と企画、そして素晴らしい演奏だと思いました。
今度、地域のお祭の野外ステージで、うちの吹奏楽でも演奏させてもらいます!