ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

スクランブルエッグサンドと角チーズ入りかぼちゃサンド

2010年09月29日 | おべんとメモ
 
講義室の冷房があまりに寒いので、秋晴れの気持ちいい今日はお外で!

・食パン(八枚切り)+マヨネーズ+スクランブルエッグ+マヨネーズ+食パン
 スクランブルエッグは牛乳入り、バターをたっぷり熱したフライパンで作って硬くなる前に火を止める。
・食パン(六枚切り)+マヨネーズ+かぼちゃサラダ+マヨネーズ+食パン
 今日のかぼちゃサラダはプロセスチーズの角切りとマヨネーズと塩コショウでしょっぱく。


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前の日の記事と相反するような気もするけど・・・

フルートやふだんの朗読のレッスンを受けてきて、最近やっと楽譜や本の読み方がわかるようになってきた。それで、「先生ならこう注意するだろうな」「こう吹こう(読もう)」と思って予め用意していけるようにはなってきた気がするんです。でも実際に持っていくと同じ事を教えられちゃう。つまり、そのつもりにはなっていても表現が足りなくて伝わってない…。
でも、そのつもりだったか否かにかかわらず、一度自分が放ったものには全て責任を持たなくてはならないのが表現者というものなのだろうなって近ごろ思えるようになったんです。だから私たちは、自分本位の表現に留まってはならなくて、きちんと伝わるまでやらなくちゃいけない。こんなふうに私が「プロじゃあるまいしある程度仕方ないじゃんー」って思わなくなってきたのは、ここ最近のいくつかの出会いのおかげかなあと思うのですが。

さらに、先日の「感謝の詞」のような“勘違いされてはならない”キリキリするような貴重な機会を与えられて、もう一つ感じたこと。
それは、表現したいのと異なるものが伝わってしまう可能性を排除することの必要です。伝えようとすることよりも、伝わらないようにすることの方がもっと難しいような気がするけど、そこまで気を遣える人が本物だと思った。
そう思いながら周りを見ていると、時々はいるんですよね、本物が。

カレー風味のオニオンマフィンとぷるふわフレンチトースト

2010年09月28日 | おべんとメモ
しょっぱい方は、半分に割ってバターをのせて軽くトーストしたイングリッシュマフィンに、バターと塩コショウ、料理酒で飴色に炒めた玉ねぎ+カレー粉少々。
甘い方は、フレンチトースト。お風呂前に牛乳・卵・お砂糖・バニラエッセンスを混ぜたのに食パンを浸しておいて、寝る前にひっくり返してラップして冷蔵庫。朝バターたっぷり弱火でじっくり焼いたら、プディングみたいにふんわりぷるぷるに!焼く目安は、フライ返しわ押し付けても液が出てこなくなるまで。ここポイントかも。仕上げはメープルシュガー。アールグレイ食パンで作ったのでミルクティー風味!!だけど見た目がイワシのすり身!!!


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最近の収穫。
解剖実習の遺骨返還式で、自分の書いた「感謝の詞」を読む役を務めてきました。
伝えるべき明確な相手であるご遺族の方々と、私が代表すべき学生みんなの聞いている前で読み上げなきゃいけない。いろんな意味で、発表会で“演じる”時にはないような緊張を味わったんだけど、「こう読むのが最も自然。こう読むしかあり得ない。」っていう確信がまるで空から降りて来たような感じだった…。
朗読の先生がよく仰る「気持ちで読む」ということや、高校の聖書の先生が自分の生徒のお葬式を執り行ったときに「何か自分以外の存在に支えられた」ということが、なんだか分かった気がしたの!
それで、人間はつくづく無力だなあって。この自覚で謙虚になれる人こそ、深い表現ができるんじゃないかな。
人を感動させるような本物の表現って、結果的に、聞き手に響いただけなんじゃないかな。表現者が「響かせる」わけじゃない。自分の外に出しちゃったものはもうその表現者の手に及ぶ範囲にはなくて、あとは勝手に「響く」かどうかを、ただ目で追うことしかできないのかもしれない。

大人ハムサンドとオムレツサンド

2010年09月27日 | おべんとメモ
先週テストが終わった帰りに図書館に寄ったら、背表紙の「不毛地帯」が「内側毛帯」に見えた…。
脳内侵されてるぜ。(神経解剖学なだけに?)その甲斐があれば本望だわ。


今日からパン食弁当強化週間といたしまして
ハムサンドとオムレツサンドをレシピ通りに作ってみる…

・食パン八枚切り+辛子バター+ハム+ピクルス+玉ねぎの酢漬け+ハム+辛子バター+食パン
玉ねぎは薄切りにして塩もみ、水気を絞ったら酢、オリーブオイル、塩コショウをしたやつ。
・食パン六枚切り(トースト)+粒マスタード+ケチャップ+野菜入りオムレツ+粒マスタード+ケチャップ+食パン
・あとは放課後おやつにラムレーズンミルクジャムサンド。

昨日の夜のうちに準備して寝たから出来たんだけど、やっぱり丁寧に言われた通りに作ると美味しい!
特にハムサンドは、これ、近々アンコールかも。

朝ごはんはもちろん、食パンの耳でした。


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養老さんの本から~
「人間はみな芸術家、自分の一生は自分の作品。」
芸術は一つの何かをとことんまで突き詰めた時のありようを示してくれる。自分の一生に重ねて考えて、こういう風に完成したいとその作品に想いを仮託することができる。そこに生きる意味を感じることができる…

生粋の信仰者には違和感がある考え方かもね。でも確かにこの考え方でいくと、わけのわからないことに向かって努力することも有り得るんだって良い諦めがつく(そいえば、これは母さんが私にピアノを習わせた理由だった!)し、人と自分の姿勢が異なったとしても割り切れる(これは無意識のうちに高校の友人たちに対して感じてたことだ!)。

肉じゃがラブコール

2010年09月17日 | おべんとメモ
学校がけっこうハードで、昨日今日と母さんにお弁当を作ってもらったのですが、母さんの肉じゃがが好き過ぎて載せます。


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久石さんの本より。

エモーションがあってつくっているものは、また何かを契機に強い刺激を受けて、それを音楽として表現したいという欲求があればつくりますが、それがすぐまた来るのか、ものすごく先のことになるのかまったくわからない。作曲家として継続的に音楽をつくり続けていくためには、そのいつになるかわからない「いつか」を待っていたんではダメです。その点、音楽としての構築性を追い詰めるのであれば、いつでも追求することはできる。

これは医療や福祉、教育など何にでも、それに職業として従事する者のモチベーション維持の問題につながる話だろうなと思う。

組織のスケッチが終わらないようとか
座学眠いようとか
電車で座れなかったようとか。
この一週間を振り返ってみただけでも辛い辛いばっかり言ってた気がする私へ。

悔い改めよーっ!

・・・ただ「続ける」ということの大切さ、難しさを改めて思います。

ピザトースト

2010年09月15日 | おべんとメモ
ピザトースト。具が載ってる方ばかり気にしてたら、裏が焦げてた。
神様、これは何の警告でしょうか??


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暗記量が多くてテストが恐ろしいと噂の薬理学ですが、授業では先生の熱い教訓が聞けて面白いこともあるんです。これについて作文を書けとかいうテストなら自信あるんだけどな~

今日は・・・
静止膜電位について。細胞は、膜上のイオンチャネルがATPを使って濃度勾配に逆らい能動輸送をすることで細胞内外のイオンのバランス(の悪さ)を保っているのですが、
「生きてるって、逆らうこと。
 内外の差がなくなった時に生命は死ぬのです。」
だって。なんだか高校生の青春ドラマみたいでしょ。周りに流されたら終わりだ!みたいな 笑

それから、科学者の推測という行為の本質について。必ず事実から推測するという実証的な姿勢が大切。推測とは、「これがないと説明ができない」と考えることだそう。

そいえば、久石さんも似たようなこと言ってたな。
音やパッセージを、ある種の必然性をもって組み上げることで良い作品をつくっている、って。必然性。それを感じられるかどうかなんだ。
これって、夢十夜の
「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」
とも同じことかも。

この、必然性を感じて動くというやり方は、芸術にも通用するものがある気がする。例えば今の私の課題、オケと合わせるときの朗読の入りのタイミング。よく勉強して音楽とストーリーを感じ取れるようになれば「ここしかない!」と思える小節や拍がわかってくるはずなんだ。

芋タコなんとか

2010年09月14日 | おべんとメモ
タコの炒め揚げ、キュウリの酢の物、スイートポテト生姜風味。


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オケとの初合わせは、たくさんの感想をひっくるめると、えーと、エキサイティングでした。あれ、なんかダサい?いやいや。
自分の精一杯を持って行った時に、こだわりとか良い意味での動揺とかに気付いてもらえると、すごくうれしいってこと、久しぶりに思い出させてもらった。これが私の「神様は見てる」ってやつよ。
次の練習に活かせるように反省を形にして行かなくちゃ!

練習の帰りに思い出した久石さんの言葉:「オリジナリティとは、新しい共感を発見すること。」

たまご焼きうまくできてる~

2010年09月13日 | おべんとメモ
はい、四色そろったっ!出発。
急いでたわりに(しかも洗い物めんどくて小松菜炒めのフライパンを使い回したわりに)たまご焼きが美味しく出来てて、昼休み思わず言っちゃった。


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大好きな、しゃべる仕事続きの(しかし大緊張の)2日間が終わり、
元気前借りしてた自分に気づかないふりをしながら朝の電車で立って寝る~→学校→楽しい美味しい時間を過ごした後、駅までダッシュしてうちのルール内最終の電車に乗る~

今日もいろんなリミットぎりぎりを走って、ドア閉まる前に滑り込んで、「これ以上は無理だった」と堂々と言える一日を、目いっぱい生き抜きました。感謝。

秋の予感べんとう

2010年09月10日 | おべんとメモ
お肉は麦味噌焼き、キノコ添え。
最近、友達とも「やばいよね~」と話題になりますが、
食欲の秋がやってきていますね…


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今日は久石さんの新書2冊目。
感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)
ピンとくるもの、具体例をあてはめやすいものが多い。普遍的に感じさせるのは、それこそ話が論理性をもっているからなのかな。養老さんや久石さんが言ってた通りだ。
同時に、読んでるとすごくへこむ。書いてあることが全く新しいアイデアならそんなことないはずなんだけど、以前から人に注意されたり誰かを見て「ああいう部分嫌い~。反面教師にしなきゃ。でも人のこと言えないな」って感じていた部分をグサグサついてくる。いつも気になりつつ面倒で逃げてきた場所に、一生向かわなくても生きてはいけるけど、向かおうとしないとこれ以上の発展がないんだろうなって確信させられてしまったような気分。
だから逆に、ほんの一部分でも自分も実践してきた工夫と似たものが書いてあると救われる。それで読み進めることができたのだけど。

例えば「感性」という言葉について。(私は表現活動のほとんどがといってもいいほど影響を受けているお母さんのような先生2人ともにこの言葉を使って評価してもらうことがあるので、この言葉が好きなんだけど!)日本人はこの言葉を実体もわからないまま大事にしすぎだって。
久石さんは、ものをつくるうえで大切な感性の95%が論理的思考の基となるもの、自分の中にある知識や体験などの集積で、あとの5%が作り手のセンス、感覚的ひらめきだと言ってた。創造力の肝はやはり後者の直感みたいだけど、これは私でいうところの「しっくりくる・こない」ってやつにあたるかな。問題ははじめの95パーセントだとひしひしと感じる…

なんか論理の大切さを前面に押し出す人にいつも憧れてきたんだろうなって思う。最初は、途中でやめちゃった大学受験の塾の英語の先生、大学の生化学の先生、うん、彼もそう。みんな体現していて実際に結果を残してるからかっこいいんだ。
でもねえ、だからこそ、そういう人の前でいざ自分がどう話せばいいかを考えると、頭ガチガチになっちゃって、うっと喉が詰まる。浅くて安全なとこだけペラペラしゃべって、あるいは人に借りて来た言葉を上手に表現してみせる努力だけして、終わらせちゃうんだな。自分だけはよく見てもらいたいって欲が出るのかなあ。

サンドイッチ…たまごサンドって意外と美味しいのね

2010年09月09日 | おべんとメモ
サンドイッチ弁当。
トンカツ、卵サラダ&レタス、かぼちゃサラダ。
今回は食パンはトーストせずに。すき間にミニトマト。

サンドイッチが多かったのか、午後の組織学の実習講義が眠すぎて、好中球の英語名がどっかのオケの名前だと思った笑 (注:好中球=neutrophil)


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昨日は行き帰りで久石さんの小説『パラダイスロスト』を読んでただただポーっとしてたので(あれは整理どうこうの話じゃなかった。いつか、はっと思い出されるような感じ。)今日はもうちょっと落ち着いた本を。そろそろ自分の公演に具体的に直結するようなヒントをもらいに行くかな、と思いまして。
耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川oneテーマ21 A 105)
養老さんは久石さんとの対談の中でこう語っていました。
「音楽がきちんと言葉で説明できるなら、音楽は要らないんです。言葉で表現できないものを表現するために、芸術というものがある。」

はい、ここで二週間後に(うああ)神経解剖学の試験を控えた私たちに、少しでも親しみやすいお話を。養老さんってそいえば、医学部解剖学教室の先生じゃんか!(でも神経解剖学は難しすぎて、テスト勉強で精一杯!実生活に結びつけて面白がる余裕がなかなかないのです…というわけで↓も本の丸写し~)

人間は、脳みそが大きくなってきて、目に直属するのでも、耳に直属する分野でもない分野「連合野」を持つようになった。そして、目からの情報と耳からの情報、全く別の場所で処理される2つの異質な感覚を連合させたそこにつくられたのが「言葉」なのだそう。視覚にないものは、時間。聴覚にないものは、空間。目と耳が理解し合うのに必要なのは、それぞれがその概念を得ること。それで、「時空」が言葉の基本になったんだって。

なんだか素敵でしょ。これを読んで私は、
「私はその子の目になる。」
中2で発表した作文にそう書いたことを思い出しました。その子とは小学生からの尊敬する友達で目が見えないのだけど、合宿で私がサポートしながらいつもよりずっと一緒に暮らす機会があったときに、自分の役割のいかに難しいかを痛感しながらああ書いたんだった。
とすると、私は中1から始めた朗読につながる、すごく大きなヒントをあんな早い時期からもらっていたことになる。すると…おっ!

久石さんも言っているけれど、受け手がどれだけ感動してくれるかとか表現者の気持ちを理解してくれるかとかはあまり本質ではないような気が(やっと。お利口ぶってでなくて。)してきた!(あ、でもやっぱ褒められるのは人一倍好き。)何かを押し付けるのではなくて、受け手の中のイメージをどれだけ大きくできるかが大切なんだ。

でもこれって、謙虚そうに見せかけて、ずーっとずっと大きな理想を語っていることにならないか?!だって、お客さんの中のイメージの広がり方なんてそれこそ計り知れない。可能性が無限大だ~

明後日の朗読の発表会に、今の気持ちを活かせたらいいのだけど。

今日も弁当

2010年09月08日 | おべんとメモ
トンカツ用のお肉を塩コショウで焼く。母さんの揚げ浸しとサラダで食物繊維もしっかり確保。


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自らの幸福を信じる力こそが、創造の源なのだ。自らの幸福に感謝する心こそが、優れた芸術の温床なのだ。そういう幸福と共に暮らすことへの畏れと誇りと責任感とが、例えば国際的な音楽家たちの、久石さんの音楽への共感を呼び起し、良き協力となって表れる。
大林宣彦監督