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ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

参考文献 ~ぱんれぽNo.39~

2007年05月02日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
参考文献

パンの文化史 朝日新聞社 1998
パン「こつ」の科学 柴田書店 2004
100%パン 毎日新聞社 2005
パンの基本大図鑑―パン・マルシェ 講談社 2003
パンの絵本 農山漁村文化協会 2005
粉の文化史―石臼からハイテクノロジーまで― 新潮社 1987
パンをめぐる旅 河出書房新社 2004
ようこそパンの世界へ パンニュース社 1992
おいしいパンノート イオグラフィック 2006
朝日新聞2006年8月27日朝刊
A.E.I.O.U.UND DRIN BIST DU 1000 Jahre Oesterreich/Ueberreuter/1995
Getreide Vom Korn zum Mehl/Kinderleicht Wissen Verlag/2004




「おわりに」 ~ぱんれぽNo.38~

2007年05月02日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
おわりに

今回、私は地域によるパンの違いについて調べた。これは私がパンに対して特に魅力を感じる部分である。
今の日本では、世界各国からの多様な食文化が紹介され、それを比較的手軽に味わうことが出来る。同様に、パン屋にもいろいろな興味深いパンが並んでおり、一周眺めるだけでも、世界のパンの種類の多さを実感させられる。
日本とパンの関係には、他国にはない特別なものがあるように思うのだ。食生活の洋風化に伴って、日本人のコメの消費量は減少してきて、パン食が増加している。ザビエルが日本に初めてパンを持ち込んで、木村氏が初めて酒種を使ってあんぱんを焼いて…パンは徐々に日本人の生活に侵入してきた。そして第二次世界大戦後にはアメリカから小麦を輸入して、学校給食でコッペパンが出されるようになった。これが、日本全国に確実にパンが広まったきっかけと言われている。給食といえば、今ではだいたい半々の割合でごはんとパンが出されるが、両親の小学校時代はごはんは週一度、それ以外はパンだったようだ。
日本人にとってパンとはなんなのだろうか。今、多くの人間がこのことについて考えている。日本のコムギはたんぱく質含有量が少なく、パン作りに適しているとは言えない。でも、「身土不二」(=人と土は一体である、人の命と健康は食べ物で支えられ食べ物は土が育てる。故に、人の命と健康はその土と共にある、だからその土地のものを食べようという考え方)を掲げ、国産小麦やコメ粉でのパンの作り方を研究し、作っている人や店が増えてきている。
パンはもとはといえば完全に輸入によってヨーロッパから伝えられたものだ。そのくせ、日本の人々はヨーロッパのパンのレシピに飽き足らず、日本でしか売れなさそうなあんぱんやカレーパンやクリームパンを発明して、今やパン屋のスタンダードになっている。そうして、白くてやわらかくてほんのり甘いパンばかりが好まれるのかと思っていると、一方では、できるだけ本場フランスのバケットに近いフランスパンを作ろうと、修行に出る職人も多いそうだし、実際私の小さい頃よりも、味や食感が本物らしいものが増えているように思う。それは、材料を全て輸入し外国人の職人を連れてきたからといってすぐにできることではない。例えばヨーロッパのからっとした気候に比べて、日本のこの気候では生地がすぐにべたつくし、醗酵中も放っておくだけではいけないだろう。焼きあがったものも、消費者が買う時にはしけってしまうかもしれない。このような、風土により発生する問題に対する人間の知恵と工夫と苦労、そしてそこから生まれた、その土地でしかできない個性溢れるパンの姿が、私を惹きつけるのだろうと思う。
結局、日本のパンはその時の日本人がどんなものを食べたいかによって作られるのだと思う。良い所はすぐに外国の真似をして複数の種類を取り入れる。(これは国民性として私たちが持っているものだろうし、日本のパンの原点が輸入だから、他国と違って必要性よりもノウハウのようなものが先行していて、技術も追いついているからうまくいくのだろう。例えばドイツとフランスのパンを比べてみると、こね方から違っているのに、互いの方法を学んでみようなどという考えは昔から一切起こらないみたいだ。)さらにそれを組み合わせたり、新しいアイデアを付け加えたりして、おもしろいパンやどこかの伝統のパンが新商品として並ぶ。それらは、はじめは珍しさで売れていくようだ。そのうち、うけないものは廃れる。流行もある。そして時には、大流行の末に忘れ去られて廃れるものもある。こうやって、まだ新しい日本のパン文化は、どんどん進化しており、これから伝統が積み上げられていくのだと思う。店頭には、長生きしているパンも目新しいパンも平等に並んでいるものだから、私は成長中の日本のパン文化を形成する消費者の一人として大きな責任を感じ、いつも迷って立ちすくんでしまう。
こんな日本に住む私だからこそ、一部のパンに対しての好みや親しみはあるものの、客観的に世界のパンを見られたのではないかと思う。しかし調べていくうちに、まだ見たこともないようなパンも多数出てきた。いつか、このレポートで説明した世界のパン全てを、現地まで行って食べ尽くしてきたい。



↑デリッシュ食パン             
デニッシュに近いリッチな生地の食パン    
デニッシュとデリシャスをかけたのか、    
ただの書き間違いか・・・


↑メロンパン
海老名のパーキングエリアの名物。
中身まで緑色にしてあるのが特徴。

「オーストラリア」 ~ぱんれぽNo.37~

2007年05月01日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
☆オーストラリア
移民の多くにはどこもそうだが、この国にもさまざまな種類のパンがある。都市部ではヨーロッパのパンが食べられる一方、アボリジニの暮らす砂漠地帯では、今でも灰の中でガレットを焼いている。草原地帯で作るダンパー(=湿らせる)という全粒粉の田舎パンが注目を集めている。

「アメリカ②」 ~ぱんれぽNo.36~

2007年04月29日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
土着の植物であるトウモロコシのガレットは、ネイティブ・アメリカンたちの主食だった。このガレットは、アフリカからやってきた奴隷たちの食物にもなった。彼らは昼食のときに鍬の上でガレットを焼いたので、「ホーケイク」とも呼ばれている。アメリカ南部ではトウモロコシの粉に牛乳、卵、バターを加えて焼いたスプーンブレッドが有名だし、コムギとトウモロコシの粉が半分ずつのコーンブレッドも昼食や夕食に良く食べられている。
・メキシコに醗酵パンを伝えたのはスペイン人で、白パンボリーリョと伝統食トルティーヤが共存している。トルティーヤには昼食のおかずの残りを夕食で包んで食べることもしばしばある。
・コロンビアの都市部では、フランス風のパンと大量生産の食パンが食べられている。農村部ではパンの代わりにアレパと呼ばれるとうもろこしのガレットがあり、これだけで食事を済ますこともある。
・ブラジルにはヨーロッパ風の白パンにすりおろしたココナッツを入れたパンウ・ディ・コークやチーズを入れたパンウ・ディ・ケイジュがある。
・アルゼンチンにはラードの入った塩味のファクトゥーラスという小さなパンがあり、紅茶又は古くから伝わるマテ茶といっしょに食べる。
・チリ人は新し物好きで、バゲットをはじめとするフランスのパンに目がないらしい。真っ白でやわらかくずっしりとつまったアユーヤで作るサンドイッチは、挟む具によってさまざまな政治家の名前で呼ばれる。パン・アマサードは生地に油を入れ、土の窯で薪を使って焼いたパン。

アメリカ合衆国のパンは、生産量が全体の75%を占める約1900の大型卸売り自動化工場と、3万余の小規模ベーカリー及びスーパーのインストアベーカリーで作られる。冷凍生地焼成、冷蔵製品は急速に普及しており、焼成だけ行うインストアベーカリーも多い。


アメリカ① ~ぱんれぽNo.35~

2007年04月28日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
☆アメリカ大陸
北米でも南米でも、パンには先住民と移民の食文化が入り混じっている。
アメリカはコムギの大生産国である。しかし、もともとコムギはなかった。アメリカ合衆国で最初にコムギが栽培されたのは1585年で、種はメキシコ経由だった。のちに新大陸の移民によりいろいろな種類のコムギがもたらされた。そしてニューイングランド地方や北部太平洋沿岸でコムギが生産されるようになった。やがて植民者たちが大陸内部へ移動するとともに生産地も西のほうへ移っていった。イギリスの植民地時代のパンはヨーロッパで作られていたものの延長線で、特にアメリカのパンというものはなかった。植民地時代、開拓者たちは、自分で小麦を育て、パンを作った。
1775年、北アメリカの13植民地の連合軍はイギリスと戦い、1785年独立して共和制を樹立した。独立戦争の間、パンは重大な関心事で、戦争中に持ち運びの出来る製パン装置が作られ、更新中に武器の上に載せて移動中もパンが供給できるようになった。
20世紀初頭、最初の生地分割機ができ、高速ミキシングの自動製パン機、スライサーが出来た。機械化は急速に進む。
1940年栄養強化パンが発売された。国民が全粒小麦パンのような栄養のあるパンを食べたがらないため、パンに栄養強化剤を加えるように政府が勧告したのである。(これらは、しばしばヨーロッパ人のからかいの的になる。)

現在アメリカでもっとも一般的な白いコムギ粉パンは、スライスした白い包装パンである。他にもフランスパン、雑穀入りパン、イタリアパン、トウモロコシパン、レーズンブレッドをはじめたくさんのバラエティブレッドが作られている、焼く前に茹でるベーグルもルーツはユダヤだがアメリカで発達し、そこから広まった。シナモンロール、ハンバーガー、バンズ、南部のグレイビーか蜂蜜と一緒に食べるシンプルなビスケット、西部の天然酵母で作るサワードゥブレッドもアメリカ生まれだ。
ボストンのホテル、パーカーハウスで考案されたパーカーハウスロールというものもある。これは早く朝食を食べたいと言う泊り客にせかされて、料理人がパン生地をほとんどこねないまま焼いたものが意外とおいしかったことから、それから1世紀を経た現在でも食べられている。

↑私が作ったチョコバナナ味のBagel


「アフリカ」 ~ぱんれぽNo.34~

2007年04月27日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
☆アフリカ
醗酵パン、ガレット、蒸しパン、揚げパン、ヨーロッパのパンなどがあり、外部からもたらされたパンとその地域独自の伝統的なパンが共存している。

・モロッコでは、天然酵母やイーストを使ってコムギ、ライムギ、オオムギのパンを作る。粗挽き粉やセージなどの香草を加えることもある。家庭でパンを作るとき、クスクスをほぐすのに使う桶で生地をこねる。(モロッコのテラスで干された全粒コムギからは、パン用のやわらかい粉、クスクス用の白いセモリナ、粗い黄金色のセモリナ、そしてラバの餌用のふすまがとれ、一粒たりとも無駄にしないという。)モロッコの女性たちは自宅で生地をこね、子供にファランと呼ばれる共同窯まで運ばせて焼く、という習慣は地域によっては今も続いている。農村部では今でも土でできた窯が使われている。
毎日パンを焼いて保存しておくかごは、その材質(柳、銅、銀)がその家の社会階層を示す。遊牧民たちの食べるパンは熱した石の上で焼く平たいガレットだけだが、この国には醗酵と無醗酵の間のバグリールというたくさん穴の空いた厚いガレットやパイのように折り込んだルガイフもある。

・アルジェリアのマトゥルクは、粗挽き粉を膨らませないように、塩と水と混ぜた後よく伸ばして、すぐに焼く。

・チュニジアでは不意の来客があったときに主婦が急いで無醗酵パンを焼く。アツアツの表面にバターを塗って出すこの即席パンは、客に対する歓迎の意を表す。

 また、アフリカ中央部では植民地時代に伝わったヨーロッパのパンが数多く残っている。
・ナミビアはドイツ保護領だったため、パン屋もドイツと似ておりブレッツェルもたくさん売られている。

・トーゴで作られるトウモロコシの醗酵パンは、バナナの葉に包んで蒸し、主菜としてトマトソースをかけて食べる。ほのかに甘いこの蒸しパンは、ベニン、ガーナ、ナイジェリアでも人気がある。

・ガーナにはケンケというトウモロコシの醗酵パンは、水で練った生地を3日間醗酵させ、バナナの皮で包み熱湯でゆでる。

・ケニアでは、キビのパンを作るときに、粉と水を鍋で火にかけながら混ぜ、塩も入れず醗酵もさせずに焼く。

・エチオピアではインジェラというアワ又はキビの粉で作ったガレットの上に伝統料理を載せる。

またアフリカの多くの国で、パンに適さないマニオク(キャッサバ)にコムギ粉と粗挽き粉を混ぜてパンを作っている。マニオクは醗酵を起こす役割も果たすのだ。生地は半日休ませた後、片手鍋で焼くのが普通。


「中近東」 ~ぱんれぽNo.33~

2007年04月26日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
☆中近東
コムギとパンのルーツのエリア。ここの人々のエネルギー源、たんぱく源はコムギである。典型的な平たいフラットブレッドは、近代的な工場でも手作りの店でも焼かれている。生地は1%以下のイーストで醗酵させたものが多い。(前章で詳しく説明を入れた。)

・トルコのユフカ、エジプトのピタ、インドのナンとチャパティ。

↑私が作ったピタ(中身は鮭ポテトサラダとにんじんとピーマンのケチャップ炒め)

・レバノンの直径50~60cmの大きなガレットは焼きあがった後、洗濯物のように広げて外気に触れさせ乾燥させ、布に包んで桶の中で保存する。

・アシュケナージュ(ドイツ、ポーランド、ロシア系のユダヤ人)とセファラード(地中海沿岸に住むユダヤ人)の2つの伝統が残るイスラエルでは、ピタと東ヨーロッパの醗酵パンが共存している。

・イエメンのガレットはもろこしと天然酵母を使う。

・イランのラヴァーシュという直径60cmの大きなガレットは、長期保存可能なため3ヶ月ごとに焼かれる。

・トルクメニスタンのガレットは重さ2kg、直径40cmとずっしりしている。

・ウズベキスタンとタジキスタンのガレットは無醗酵で、コムギ、オオムギ、トウモロコシから作られる。


東南アジア ~ぱんれぽNo.32~

2007年04月25日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
☆東南アジア
東南アジアはコメを生産する国々だから主食はコメだが、パンも身近な食品である。台湾、韓国のパン屋の技術や機械設備は日本のレベルにあり、日本の製菓、製パン学校に留学する技術者も多い。

・ベトナムは1883年から1954年までフランス領であった影響でフランスパン類がすっかり根付いた、東南アジアでは珍しい国である。

・タイには日本の製粉会社2社が進出しており、タイ市場に販売している。タイ資本の大きな製粉工場、油脂工場があり、そういう会社がスポンサーになって、団体で日本の業界視察に来日したりしている。

・シンガポールには日本資本が進出、ベーカリーを経営している。もとイギリス軍の極東における根拠地であり、東南アジアの貿易上の拠点として発展したシンガポールは、多民族都市国家であるため、食物も多様であるが、パンもその一つである。

・インドネシアは旧オランダ領東インド地域だった群からなる。ジャカルタには日本の有名ベーカリーに学んだベーカリーもあり、パンは日常的な食品になっている。

「東アジア②」 ~ぱんれぽNo.31~

2007年04月24日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
・チベットではツァンパと呼ばれる、炒った大麦の粉をヤクのバター茶でこねた丸パンが主食だ。

・モンゴルでは深い鍋で焼く大きなガレットを食べる。この鍋は肉を焼いたりお茶を入れたり餃子を作るのにも使われるので、パンには肉の香りがつく。直径50cm厚さ6cmもあるので、一世帯が一週間食べるのに十分な量ある。ヤクのバターを添えて(手でそのまま食べる)、ゲルというテントで食べる。

「東アジア①」 ~ぱんれぽNo.30~

2007年04月23日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
☆東アジア

・中国では古くからコムギを作っており、3000年前の遺跡からコムギ粒が出土している。秦、漢時代になると碾き臼が現れる。コムギはコメに次ぐ重要な穀物で、生産量はコメの半分もある。小麦を使って、昔から饅頭、包子、麺条、コムギ粉に塩を加えて細くねじり揚げた油条、餅などが作られてきた。饅頭はタイ、カンボジア、ラオス、ベトナムにもある。
パンは西洋との交流が多くなった19世紀中期、海路を経て南から入ったものと、ロシアから陸路で東北地区に入ったものがある。東北地区に入ったものは、ロシアが1898年に旅順、大連を租借地としたのを機に移住したロシア人が多くなったため、急速に進展した。現在もハルビン市は中国最大のパンの消費地であり、ソ連式の大型食パンが売られている。
思い浮かべてみてもコムギ粉製品には蒸したものが多い中国だが、20世紀末から焼いたものが急激に増えた。特に中国経済の中心、沿海地域には、日本の製粉、油脂企業が工場を建設し、製パン機械の輸出も増えている。パン会社の進出では台湾が一歩先を行っているが、日本からの進出も増え、冷凍生地を日本市場に売っている会社もある。パンの種類は、甘いものが好まれる。