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ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

レジデント@a_certain_hospital #クエチアピン

2018年03月08日 | 心療内科医
レジデント@a_certain_hospital

パーキンソン病の患者さんのせん妄にお薬使いたいんですけど、ドーパミン遮断しない薬なんてないですよね???
#クエチアピン

1970年代まで、抗精神病作用をもつ「神経遮断薬」の主要な薬理学的特性は、ドーパミン2(D2)受容体遮断作用であると考えられてきました。

これが、従来型抗精神病薬のメインの作用、D2アンタゴニスト作用です。
(あ、ちなみに多くの従来型にはM1, H1, α1アンタゴニスト作用もあり鎮静作用を発揮します。)

ただ、これは脳内すべてのドーパミン経路を遮断してしまう。精神病の陽性症状を軽減させるためには中脳辺縁系のドーパミン経路のドーパミンを減少させたいだけなのに…とくに問題なのが、錐体外路系の一部である黒質線条体のドーパミン経路でD2受容体が遮断されるとEPSが出現してしまうということです。
このジレンマにより登場したのが、クエチアピンのような非定型抗精神病薬です。
非定型抗精神病薬はD2アンタゴニスト作用に加え、セロトニン2A(5HT2A)アンタゴニスト作用を持つという特徴があります。セロトニン2A(5HT2A)受容体は線条体においてドーパミン放出のブレーキです。つまりこれを遮断すれば、線条体においては放出を促進されたドーパミンがD2アンタゴニストと競合しD2受容体占拠率を低下させるのです。
非定型抗精神病薬の最も重要な臨床特性は、従来型と比較して同程度の抗精神病薬作用を有しながらEPSが少ないことですが、その作用機序を説明するために頻用されるのがこの仮説です。

そんなわけで、線条体におけるドーパミンが不足しているパーキンソン病の患者さんのせん妄を鎮静するには、従来型のコントミン(一:クロルプロマジン)やセレネース(一:ハロペリドール)ではなく、クエチアピンを使うことが推奨されているのですねー。

(アメリカの教科書って、唐突にこんな絵を出してきて覚醒を促す)

動機を言語化する

2018年01月25日 | 心療内科医
ってとてもだいじなこと、と読み終えた師匠が。嬉しかったですよって言ってくれた。
社会人大学院の志望理由書。
書くのに思いのほか時間を費やしてしまったけど、確かにいい時間だったかもと思って。

なぜ私が
①心療内科の
②臨床研究を
学びたいと思ったのか、を語る。

それって私がとりあえずの目標であった医者になって働き始めて、次の目標を掴むに至ったこの3年間を総括するということだから
だいじな作業。
受洗後の挨拶に引き続き・・・どうも私は「立ち返れ!」と言われているみたいです。

①「選好の問題」でも書いた通り、心療内科を志望した理由を説明するのをいつも難しく感じてきたのだけど
今回、今まで内外に発表してきた自分の文章を掘り返して切り貼りしているうちにやっと見えてきた。
何もできなかった初期研修医時代、先輩に言われるがままにひたすらベッドサイドに通ううちに
ナラティブメディシン、bio-psycho-socialアプローチ、患者背景によって異なる病態仮説、心身相関と心理社会的要因の相互作用、治療的自己…※1
と、今なら言語化できる様々な興味深い現象と出くわして、心に引っかかって、誰かと共有したくて、でもそれを表現する名前を知らなくて。
私が幸運だったのは、それを教えてくれる心療内科医がそばに居たこと。
もしかして私は心療内科の目指す全人的医療が気になってしょうがないんだ…と気づいたときから、またそれが誰にとっても起きることではないと感じたときから、心身医学を専門にしたいと考えるようになったんだと思う。
その夢を抱えながら各内科を回った内科専攻医1年目は、本当に楽しかった。どの科でもその視点で見れば心療内科的プロブレムが浮かび上がって、非専門医から期待されることも知れたし、アプローチを知っていれば知っているほど患者さんやその家族の役に立てることを実感できたから。

②臨床研究のはじめの一歩は初期研修中に課されていたおかげで※2,3 、自分のクリニカルクエスチョンを形にして、追求して、発表すると、知らない先生たちと日常診療の発見や悩みを共有できるんだ!という喜びはもう体験済み。
直近のクエスチョンといえば、チーレジミーティング※4も近付いていることから研修医教育関連。教育病院出身の心療内科医としてオリジナリティも出せる、いい研究テーマに繋がるんじゃないかと思う。たとえば医師の基本である「共感」という技術※5を、扱うのが得意なだけでは専門医としては手落ち。研修医に限らず非専門医に敢えて説明し、体験させ、評価※6できてこそ、本物の専門医だと思うから。嬉しいことに行動医学は日本では心療内科のテリトリーだし、私をここまで導かれたことに対して恩返しもしたいもの。師匠が地道に確立してきた指導法※7をもっと汎用化するのも、私の使命なんだわきっと。

社会に貢献できる心療内科専門医になるには、その分野で常に最善と思えながら医療を提供できることってだいじ。非専門家に心療内科的アプローチを言語化し共有できることもだいじ。

そのために必要なことは?
臨床経験や教育経験を積み重ねたいと思って今の市中病院に残ったけど、それでは足りなくて
そこで得たアイディアを探求し世界の専門家に発信できるようにならないと。
その正しいやり方を習いに行くのです、私は。大学院に。

書きながらどんどん未完了to doが思い起こされ
※1 初期研修医向けの解説文作り、チーレジ企画に使いたいならはよ始めんと企画倒れ一直線ですねえ
※2 続き残ってますよ〜英論文化を始めなさい、というか来年3月こそ海外学会行きたいんでしょ抄録またギリギリに出す気ですか
※3 も一つのテーマもまだまだ続けたいんでしょ〜質問紙作らないと次の研究間に合わんよ、あれ5月の学会オーラルだけどスライドまだですか
※4 テキスト予習しないとあなただけちんぷんかんぷんで帰ってくることになりますよ
※5 「共感の技術」も「聞く技術」も積ん読のまま1年経とうとしてますけど
※6 アメリカ家庭医用の評価項目、せっかく入手したからには早く和訳しないと来年度やってみたいんじゃないんですか
※7 これもねえ早く項目まとめ始めないと実験するなら来年度しかチャンスないのでは

…胸がドキドキしてきた、さらにストール抄読会初回を終えて頭がシューシューし(※8 次回までの宿題:双極スペクトラムについて調べよ)、
ハイです今。
あれもこれもやりたい!な時期は喜ばしいことなれど、どんどん新しい考えが浮かんできて処理しきれないもどかしさに息が詰まったような感覚になるの、ほんと疲れる。忙しいって人に言いたくなるけど、“脳内大忙し”なだけだから伝わらない。
そんな時はこれの出番。

個包装の入浴剤を集めるのが好きなんだけど、シリーズ中でもとくにお気に入りなのでこれはボトルで買っちゃった。
ふう!っと深呼吸して、と。


*****


使命感は人を動かす。
missionの元の言葉は派遣だって、チャプレンも仰ってた。

Danach hörte ich den Herrn fragen: »Wen soll ich zu meinem Volk senden? Wer will unser Bote sein?« Ich antwortete: »Ich bin bereit, sende mich!«
‭‭Jesaja‬ ‭6:8‬

いつもうちの教会の礼拝の最後に歌う讃美歌の歌詞にもなっている箇所。歌うと「月曜からまたがんばるぞー」って気分になるから好き。
よし、いってきます。

レジデント@a_certain_hospital #感情

2018年01月23日 | 心療内科医
レジデント@a_certain_hospital

感情のマネジメントって、人生で最も大切なものだからね
#感情

患者さん家族や医療スタッフ同士でのいろいろがあった際に、それをたまたま聴いていたM先生の突然のつぶやき(なぜいつも私の前でおもむろに呟く…笑)。
不安な人が、怒ってて、怖い…
日常診療でも日常生活でも、いろんな立場の人がいろんな立場の人に対して起こしうる現象。私も最近目の当たりにしたもの。
はい、思わず“もの”と誤魔化してしまいましたが
ここではっきりさせよう。

感情は、内面的に感じる気分や情動の外面的な現れである。
(ストール精神薬理学エセンシャルズ)

たとえば…
「大丈夫、大丈夫!」と言いながら泣いている人がいたら
大丈夫:気分、情動、患者の訴え
泣いている:感情、外から観察されるもの
こんなふうに使います。
気分と感情の不一致が、不気味というか、不自然、健康的でないというイメージは、上記のエピソードから容易に浮かぶと思います。それは特殊な状況にあるからかもしれないけれど、たとえば神経伝達物質の量の不足とか、そういう医学的問題に起因していることもあるということです。

さて、ではM先生の呟いていた「感情のコントロール」はどうでしょうか。
気分を言語化して初めて感情として認識できる。ならば感情のコントロールって、そもそもその認識がないと始まらないわけですよね。
認識の段階で失敗してしまう人のなかには、それこそ下記の気分障害とは別の医学的素因が隠れていることもあるかもしれません。
また認識はできているけどコントロールが思い通りにできないからと言ってネットとかで薬を買うのも立派な病気と思いますけどね私は。

そんななか、現在はうつ病や双極性障害を「気分障害」と呼ぶのが通例となっています(ICD-10ではカッコして「感情障害」)。
それは多分、別の視点での使い分け:情動は一過性の強い反応で↔︎感情は比較的持続的な心の状態 に基づいているんじゃないかなと思うのですが、どうなんでしょうか。あまり分けなくてもいいってことかしら。

ちなみにストールは第6章のはじめに感情の概念を書いておきながら、そのあと気分障害 mood disorder・感情障害 affective disorderの使い分けを教えてくれている訳ではなく拍子抜けしちゃったのですが、そいえば薬理の教科書なのでした。

というわけで始めました、ストール抄読会!

受洗準備会は1回1時間を週に2回、2ヶ月間で充実感を得られたという記憶があって
この抄読会も今年度末までとなるとやはり2ヶ月間。1回2時間を週に1回なので、ちょうどという感じかな。
…1回2時間!?
かなり重たい内容になりそうですが笑 がんばります。

今日も荒れ野で 耳をすませば

2017年12月30日 | 心療内科医
季節柄、振り返りが流行っていますので。

おふとんの中で「このまま気付かないふりしてずっと寝てよかな」と思うくらい出勤いやな日もありました。
疲れ過ぎると、一番伝えたい気持ちについては表現の仕方も思いつかなくなって
心身削ってくる仕事のことについてならペラペラ口をついて出てきちゃう。あーいやいや。

もうやめたいって思うことあるよ。私だって。
でもこういうのって先に言ったもん勝ちになっちゃうから、のみこんじゃう。
辛さ比べはしたくない。しても意味ない、みんな自分が一番辛い。

そういう時はこういうのが沁みるんだわ。

別に何か話したわけじゃないのに。
看護師さんの寄り添い力って、もうなんだか天性なのかしら。


*****


今年を振り返ると、新しくナイトフロートという研修が導入されたのはやはりビッグニュース。その期間中は日替わりでいろいろな先生と一緒に働けるのが醍醐味の一つでした。

一度、非常に優秀と言われている膠原病の先生がいっしょに出前を食べながら
ひとつのことを極めきれないことが悩みだった
という話をしてくれました。
(彼にとっての“極める”のレベルが高すぎるということもあると思いますが)

私も似たような感覚に陥ったことがあります。趣味はフルート一本に絞る!と思って、なんとなく始めてた朗読とか歌とかドイツ語に割いてる時間なんか捨てて笛に注ぎ込もう…なんて宣言しかけたこともあった。でもできなかった、そんなこと。全部やっててこその私だし、それぞれがよい影響を及ぼし合っているとも思えるようになってようやく、そういう自分のスタイルを再び受け入れられるようになったのでした。
高泉淳子さんの舞台を初めて観た時もなんだか励まされた覚えがあります。歌もお芝居もダンスも、全部が支え合ってその人の目指す表現が完成するんだ、お寿司のネタとシャリみたいに合わさって初めて出る旨味がきっとある!って。
オペラを観ていても、似たような感覚がリンクします。総合芸術派なのかもしれません。

話は戻って
その先生は家庭医をだいぶやった後に専門の勉強をしにうちの病院に来て今年で4年目。いろいろあって上記悩みからは解放されて、今は興味の赴くことについては躊躇なく情報を集めることを良しとしているそうで、たとえば

こんな本買ってること自体驚きでしたが、これもAmazonで人気だから読んでみたら自分の診療のヒントになることも書いてあったと。
将来作りたいのは多職種が集まって1人の患者さんを支える組織。“心パート”も絶対必要というのは感じてはいるんだ、ただ自分はそこまで勉強する余裕ないから、人に頼まないと!
だそうです。

心療内科の専門性を尊重してくれる人たちって、こういう感じ。日々医学に真摯に向き合っているからこそ“心パート”の必要性を痛感していて、かつ心療内科に限らず自分の専門外のことをなんとなく自分でできそうって思っちゃうような高慢さのない人。こういう出会いがあると、勉強がんばらなくちゃなあと思えます。

おまけですが、先生がそうやって最近考えていることをダダッと話したあとにハッとして「先生、聞き上手だねえ。」と少し照れながら褒めてもらったのは嬉しかったです。「さすが、向いてるんだな。心パート、たのんだよ!」
同じ週に化粧品コーナーで私の相談に乗ってくれるはずの初対面のお姉さんが急に私に対して恋愛相談をし始めた時はさすがに少し引きましたが笑
この“聞き上手”と評価してもらえている何かを、体系的に説明することも、心療内科医としての目標のひとつ。

そして先生がおっしゃっていたのってつまり今ホットなcollaborative careにつながると思うのですが、私としても、他科との連携が上手くいっている事例を集めて分析して、汎用性高くシステム化するのが目標のひとつ。
そしてそして、それを目指してやっている研究の抄録提出期限が、私が現在抱える迫り来る重大な〆切たちのひとつ……

なのに今、まだお布団から出られていないというさらに重大な事実。貴重な休日が…ああ。
兵糧攻め作戦と名を付けば、おそらくもうすぐお昼時でありこの状況から脱却できることになるのですが。
最近そんな、がんばれない自分をよく見つけます。こんなくだらない文章でさえ書くのが億劫で相対的に気が進むからというモチベーションだけでやっとこさ。結果的に課題はどんどん溜まっていき脳内大忙し→将来への漠然とした不安、という悪循環の只中にいます、確実に。

Die Güte des Herrn hat kein Ende, sein Erbarmen hört niemals auf, es ist jeden Morgen neu! Groß ist deine Treue, o Herr!
‭‭Klagelieder‬ ‭3:22-23‬

お手本を示してもらっているように、私自身も昨日の自分をゆるしてあげて、毎朝気持ちを新たにしてみる。
きっと、何時でも手遅れなんてことない(って、いつも厳しいK先生が、うちの研修についての思いを語る時におっしゃっていた)から。
そろそろ起きるか…

psychosomatische Medizinでごわす

2017年11月12日 | 心療内科医
去年は聴くだけだった日本心療内科学会、今年は発表してきました!

(会場は鹿児島の城山観光ホテル!温泉付きの会場って最高じゃないですか…)

今週の睡眠時間を削りに削ってギリギリで作り上げたポスターが一度迷子になるというハプニングにもめげず、なんとか5分前に貼りつけお化粧なんか剥がれたまんまでしたが発表に漕ぎ着けました!
前日あまりに寝ないと凡ミスを犯すということです…反省。そんなに人の集中力ってのは続かない。
でもそんなこんなで本当に、発表できたことだけで万々歳という気持ちがあって
そのせいで変な欲がなかったからか、あまり緊張はせずに伝えたいことを伝えられたかなと思います。
というのも、今回はけっこう聴衆の先生方から反響があって
次の研究に向けてたくさんヒントももらえたのです。嬉しかったなあ。
そして今回は大学院での研究テーマ選びの参考に、という意識で他のポスター発表を聴いていたのですが、どれもけっこう面白く、それぞれのテーマの魅力を感じてしまいました…ほんとに悩ましい!
また、先生たちのいろいろな研究が、小さくても、今まで病棟長として聞いてきた初期研修医の子たちの素朴なつぶやき(患者さんとのコミュニケーションがうまくいかない、とか)への回答のひとつになり得るんじゃないかと思うこととかもあって、来年度への夢が広がったりしました。

(しろくま。鹿児島研修中で会いに来てくれた後輩と分け分け。)

恒例の若手の会ではまた親戚の集まりのごとく近況報告しあったり労いあったり、初めましての先生方と知り合ったりしました。
そのうちの1人の先生がおっしゃったこと。
本当にいい治療ができてる時というのは、本人が自分で考えて答えを見つけ出している。僕らはそれを引き出すために“どう聞くか”。これが技術。逆に、
患者さんにお礼を言われたら「あれ、まだダメだな」と思わなきゃいけないんだよ、と。
(あ!大学院でお世話になる教授もこのまえ似たことをおっしゃっていたし、河合隼雄さんもそんなこと書いてた…)
正直欲しくなっちゃうけどね“ありがとう”ってさ、と話すその先生の秘めたるアツさ…!

同日もうひとつのきらりフレーズはこれですかね:
僕らの治療がうまく行ったときは患者さんの人生が変わる時。時間はかかるけど、これほどドラマチックな仕事はない。

ああ、やっぱり心療内科でよかったんだなと思える出会いがまたひとつ増えた会でした。

(若手の会はたいてい話し込んで食べそびれちゃうので、その前に腹ごしらえ。豚とろの黒豚ラーメン。)

今回のもう1つの進歩としては、日独交流企画にいらしたドイツの先生方3人に勇気を出して質問したこと!
日本よりずっと心療内科がコモンなドイツで活躍されている先生方は、講演もすごくドラマチックで聴いていてウキウキしました。その感想を一生懸命伝えたら、名刺交換してくださいました…(とりあえずそれには医学用語は使わないのでなんとか話せた笑)
とてもフレンドリーな方々でラッキーでした。しっかりこの後に繋げていかねば!ただし今わたしが頼まれるとしたらシンポジウムとかでの通訳になりそうだから、本気でドイツ語勉強し直さないとマズいぞ…

(hikaruyaのモーニング。)

hikaruyaは、2日目の朝にお散歩した甲突川沿いにありました。

ほんとはテイクアウトのパンも買いたかった。

小さな小さなカフェです。

桜並木のある川沿いの遊歩道には

薩摩藩士の面影。
ちょっと背筋がのびました。また明日からがんばろう…

ナラティブうまいひとー!

2017年06月25日 | 心療内科医

北欧旅行で好きになった浅煎りコーヒー
飲めるとこ見つけた。

ケーキも頼んじゃった分おべんきょおべんきょ。
学会誌の最新号、緩和医療がフィーチャーされていましたね。

緩和。
私のメンターは緩和ケア医だったので、自分が進路で悩んでいた時に、彼がなぜ緩和を選択したのか聞いてみたことがあります。
「医者の一番の役目は苦しみを緩和することだから。自分にとってはとても自然な選択だった。」
学会の移動中に本を読んでいて、久しぶりにその先生のセリフを思い出しました。

この本が言うことには、私たちは生物医学を用いて疾患が起こした苦痛を回避する。でもそれとは別の苦しみも存在するのであって、その苦しみとは、患者さんの病の物語に組み込まれたもの。苦痛の物語は「証言する」ことによってのみ和らげられるのだそうです。

吹いてしまったのはこの後です。
“ただ聞いているだけで患者さんがありがとうございますと言うことは珍しいことではありません。”
私は昨年度、ある厳しくて有名な先生から間接的に「あいつは何もしてないわりに患者に感謝される」と言われたことがあります。それを同期から聞かされて知った時はなんとも複雑な気持ちになったものですが(反省を促されたという意味では知れてよかったけど、知るなら直接聞きたかったし、私に知らせてくれた人が私にどう思われたかったのかもよくわからない)、
この本にはいとも簡単にその理由が書いてありました。患者さんが、理解されたい、受け入れられたい、人間関係を持ち社会につながっていたいという欲求を持っているから。“病歴をとることと病に苦しむナラティブを聞くことには世界観の違いがあるのですよ。”と。
…なるほど。ナラティブを医療に取り入れることで、医者は疾患だけでなく病に苦しむ経験そのものに働きかけることが可能となるのですね。

ナラティブ・メディシン。

これは私が初めて心療内科をまわったときに師匠からもらった、biopsychosocial medicineを説明する図です。1980年代、生物医学biomedicineが一人勝ちしてきた医学が、ヒューマニズムを捨ててしまったと批判を受けるようになりました。それに応えるべくこれを生み出したのがエンゲル先生。結果、ナラティブ・メディシンが医学の一部として注目されるようになったのだそうです。

週末、髪が増えちゃってまとまらなくて肩も凝るのでバッサリ切ってください!と美容院に駆け込んだのですが
まだそんなに伸びてないよと言われました。
話すにつれて髪のせいでなく肩凝ってる説が浮上しながらも、いつもより少ない量をカットしてもらった私はじゅうぶん満足感を得てお金を払った。
医者よりナラティブうまい人はそこら中にいる気がします。

好きですサッポロ(+今期の既読&未読本オボエガキ)

2017年06月17日 | 心療内科医

マルヤマカラス

心身医学会@札幌に参加してきた。
初めての学会発表だったけど、思っていたよりさらっと終わり
若手向けの賞もいただいたけど、昨年度あった(ただの院内の!)研修医同士の発表会で受賞を逃した悔しさが吹き飛ぶような大きな喜びはなく
他の発表も…最近わたしがICU管理するなかで興味をもったテーマがあるわけじゃないですか、たとえば

シビアで急ぎの状況で自分でコード取りに行くことが増えて、終末期とかDNRのこと考えるようになったり


それに伴って医療倫理の手法もチラつくようになったり(そいえば倫理委員会デビューもありました)


意思決定(ってわざわざ論じるべきテーマなんだということ自体をまず実感したというレベルですが)のプロセスをじっくり見る機会を与えられたり


今回のICUローテでは、珍しくICUにいるうちにBSCになるケースが多くて、緩和医療をほんとに学びたい!と思ったり。

これら関連の発表をとくに期待して聴きに行ったんだけど、なにか画期的なアイデアみたいなものが得られたわけでもなく、挙句の果てに自分の師匠の発表が一番おもしろいと思ってしまい…

テンション上がらず。

ただ、初夏の札幌を歩くのはやっぱり素敵だった
ということは、いま名残惜しいのは学会ではなく札幌。
ま、いずれにせよもうすぐジメッとした東京に帰るのですが。


*****


こんなんじゃいけない気がする!
もしかして私が好きなのは全国に通用する心身医学ではなく、うちの病院のなかで自分がとくに居心地いいと感じている部署としての心療内科だけってことだったらどうしよう?

心療内科ならやり抜けそうと思ったのはなんでだっけ。
最近更新されると必ず読んでいる女医さんのブログの文章を思い出した。
“自分が何に価値を置いているか、どんなことならワクワクするか、を基準に「やりたいこと」を決めると、やり抜く力が後からついてくるのではないかと思う。”
これ読んで嬉しくなったんだった。
目の前にやりたいことがあるだけ幸せか。今いる環境に思い切り染まってある程度カタチ決まったら、なるべく自由の効く場所で働くのがちょうどいいのかもしれないなあ。

まずは引き続き、今回の学会で再会した先輩の言う“他の内科にナメられず頼ってもらえる心療内科医”を目指して内科ローテしながら
新たに出会えた患者さんから心身医学的に武器になりそうなクリニカルクエスチョンをどんどんもらって
病棟長として後輩の指導はやらざるを得ないのでついでに流行りのコーチングを身につけよう。
次の学会に向けてやるべきは、研究の続きと論文化。
あ、あと今回の学会は聞き覚えのない単語たちのせいで楽しみきれなかったという反省があるので、やっぱり心理療法や精神薬理の本は眠たくなってもがんばって読み進めて共通言語を増やしておかねば(師匠から進級祝いにいただいた本たちの存在意義が、今さら沁みたということ…!)。



なりきり消化器内科医

2017年05月03日 | 心療内科医

一年生を上級医に預けて、今日はお休みいただいとります。
東京の丸善にもありました!にやにや。

記念すべき処女作は、中学生のときに学級日誌で宣言したレシピ本にはなりませんでしたが
執筆の機会を与えていただいたことがありがたく、
日本各地の大好きな先生たちと名を連ねられたことが誇らしく、
出版を心から喜んでくれる人たちがいることが本当に嬉しかった。
そんな思いの詰まった宝物です。おじいちゃんに送ろっと。


*****


心療内科志望の内科専攻医として、今年度は他の内科をやり続けるプログラムに所属しているわけですが
外に出た元同期が専門の勉強に専念できているのを聞きながら消化器内科の入院オーダーを淡々と入れ続けるのは、時々精神的にきます。お腹ペコペコの時とか。
自分の選んだ道です、こうなることは容易に想像できていたはずなのですが。時には、明らかに心身医学的なアプローチを必要としている消化器内科の患者さんが目の前にいるのに、雑務に追われている自分は手を出せず、心療内科や精神科にローテートしている後輩にコンサルトして任せなければいけないことだってあって
ああ何やってんだか、という気持ちになる訳です。

また、最近とってもイライラします。ウトウトしていない時は大抵イライラしています。こんなにイライラする自分は初めてで驚くほどです。
要因は、一年生の仕事が遅いのを(奪ってしまえばすぐ済むところ、)我慢して待っているからだけではなく、上の先生たちが世界で一番忙しく疲れているのだというような顔をして我々病棟医を残して逃げ帰るからだけでもなく、病棟長業務に忙殺されているせいで心療内科の勉強が進まないのだという不満があるからなのでしょう。
そういうのが、師匠にはすぐにバレます。

心療内科レジデントが消化器内科の病棟長をやる意義は、消化器内科に典型的な患者さんの心理社会的問題に向き合うことだけだと思っていました。これは時間がないとなかなか実現しないのです。
でも師匠は、消化器内科医の思考を追体験するーつまり、自ら内視鏡は握らずとも、消化器内科の患者さんを外来で診て入院させ退院させるまでの一連の熱意や踏ん切りや諦念といった感情を、消化器内科医になりきることで掴むこと
それが今後の心療内科医としての臨床の役に立つのだよと励ましてくれました。
そして何より、まだまだ若い私はイライラしない方がおかしい、自分のストレス反応を観察して勉強なさいと。
はーい。

「みんなの健康学」を読んだときにメモした森有三の言葉を思い出しました。
「経験と体験とは共に一人称の自己、すなわち『わたくし』と内面的につながっている。経験では、『わたくし』がその中から生まれてくるのに対し、体験はいつも私がすでに存在しているのであり、私は体験に先行し、またそれを吸収する。…経験と体験とは、内容的には、同一であることが十分にありうる。」

体験を経験に変えていく。
経験から、新しい自分がうまれる。
これを読んで感覚的に理解できるということは、私は十分恵まれた環境にいるということなのかもしれません。
後輩へ指導するときも、こんなことが伝えられたらいいなと思う。

そしてこれ。

今日は業務を言い訳にできません。
6月の札幌に向けて、心身医学会の準備するぞ!

野望について

2017年04月01日 | 心療内科医

今日はラタトゥイユをスパゲティに炒め合わせてみた。

ドイツの心療内科の教科書を翻訳するぞ計画
を、夢物語のまま終わらせないように
ドイツ語学習の再開時期を検討中。
(〜の再開時期を検討、って病院でよく使う便利でよくない言葉 笑)
直近の用途を考えると書き言葉のトレーニングでよい。
すると確実に継続できそうなオンラインコースの方がむしろよい。
これだわ…(レベルチェックテスト受かったらね!)

相談したゲーテの方も真剣に聞いてくれたので
チラッと夢語っちゃったのですが
やはり英語と違ってドイツ語は翻訳できる日本人が少ないので
“なんでも翻訳家”になりがちだそうです。
心療内科医が心療内科のテキスト訳せたらいいもんね。
というかまず、私自身が原著を読めるようになりたい。

共感という名の技術

2017年03月31日 | 心療内科医

鍋で一晩放置されて少しペースト状になったラタトゥイユを冷めたままパンに挟んでホットサンドメーカーでぎゅっとあっためる。


*****


心身医学合同セミナーの講義で、心療内科のすべての根底に流れるという「共感」が扱われました。いい講義でした。
ちょうど同じ頃に同期が書いたSNSの記事にも、患者さんへの「共感」がチーム医療の肝であると。

「みんなの健康学」序説 神馬征峰著
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/475992146X
この本のナイチンゲールの章でも「共感」が出てきます。

私もこれから、自分の主題に「共感」を掲げたい。
「あいつ何もしてないけどよく感謝される」というなんだか不名誉な評価をされたことがあるのですが
(前半部分=医学知識が足りていない…はさておき)
たしかに「感謝される」ことにかけては、わりと得意な方です。たぶん共感できているから。自分で言うのもなんだけど。
でも、それを無意識のうちにやっていることが多いから、その分あやういのです。
心療内科医の仕事道具である「共感」を
あえて言語化できて初めて
欲を言えば、それをできない他科の医者に説明し共有できて初めて
専門家になれるんだと思います。

プロカウンセラーの共感の技術
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4422115804

講義で勧められた本。あの先生が言ってるんだからと思ってとりあえず買ったけど、まだ読んでないので内容書けない笑