ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

ナラティブうまいひとー!

2017年06月25日 | 心療内科医

北欧旅行で好きになった浅煎りコーヒー
飲めるとこ見つけた。

ケーキも頼んじゃった分おべんきょおべんきょ。
学会誌の最新号、緩和医療がフィーチャーされていましたね。

緩和。
私のメンターは緩和ケア医だったので、自分が進路で悩んでいた時に、彼がなぜ緩和を選択したのか聞いてみたことがあります。
「医者の一番の役目は苦しみを緩和することだから。自分にとってはとても自然な選択だった。」
学会の移動中に本を読んでいて、久しぶりにその先生のセリフを思い出しました。

この本が言うことには、私たちは生物医学を用いて疾患が起こした苦痛を回避する。でもそれとは別の苦しみも存在するのであって、その苦しみとは、患者さんの病の物語に組み込まれたもの。苦痛の物語は「証言する」ことによってのみ和らげられるのだそうです。

吹いてしまったのはこの後です。
“ただ聞いているだけで患者さんがありがとうございますと言うことは珍しいことではありません。”
私は昨年度、ある厳しくて有名な先生から間接的に「あいつは何もしてないわりに患者に感謝される」と言われたことがあります。それを同期から聞かされて知った時はなんとも複雑な気持ちになったものですが(反省を促されたという意味では知れてよかったけど、知るなら直接聞きたかったし、私に知らせてくれた人が私にどう思われたかったのかもよくわからない)、
この本にはいとも簡単にその理由が書いてありました。患者さんが、理解されたい、受け入れられたい、人間関係を持ち社会につながっていたいという欲求を持っているから。“病歴をとることと病に苦しむナラティブを聞くことには世界観の違いがあるのですよ。”と。
…なるほど。ナラティブを医療に取り入れることで、医者は疾患だけでなく病に苦しむ経験そのものに働きかけることが可能となるのですね。

ナラティブ・メディシン。

これは私が初めて心療内科をまわったときに師匠からもらった、biopsychosocial medicineを説明する図です。1980年代、生物医学biomedicineが一人勝ちしてきた医学が、ヒューマニズムを捨ててしまったと批判を受けるようになりました。それに応えるべくこれを生み出したのがエンゲル先生。結果、ナラティブ・メディシンが医学の一部として注目されるようになったのだそうです。

週末、髪が増えちゃってまとまらなくて肩も凝るのでバッサリ切ってください!と美容院に駆け込んだのですが
まだそんなに伸びてないよと言われました。
話すにつれて髪のせいでなく肩凝ってる説が浮上しながらも、いつもより少ない量をカットしてもらった私はじゅうぶん満足感を得てお金を払った。
医者よりナラティブうまい人はそこら中にいる気がします。

ドライカレー

2017年06月24日 | ひとり飯 ~持続可能な生活会議~

うちの病棟の子がこの前“食堂のごはんに飽きたから”“お母さんに作ってもらった”お弁当を持ってきて、いろいろと思うところはあったけど笑 そこに入ってたドライカレーが美味しそうだったので、私も作ってみることにした。レシピ↓
https://www.kyounoryouri.jp/recipe/18660_ドライカレー.html

ピーマンと玉ねぎの粗みじんがさすがに粗すぎたかと思ったけど、この食感なかなかいいんじゃないかしら!
生のバジルの香りがとてもよく、案の定ビール飲みたくなっちゃったので、さっき買うのを思いとどまった自分に牛乳で乾杯。もう若くないんだから、健康のために控えられるものは控えていいもの投入しなくてはね〜(このまえ去年より肌のハリが落ちてると言われたことがじわじわショックでビールの何倍もするお化粧品に買い替えたのは私です……)

スパイスが入ったり水気が少なかったりで保存が効くしお弁当にも入れやすいみたいです。
生卵のせても、チーズかけてもいけるでしょ。
こりゃいい。
私も作ってあげたいな。


*****


というわけで久しぶりに玉ねぎを刻んだら目に直撃。涙をポロポロ流しながらひとりで笑ってしまった。
そうでなくとも涙もろい今日この頃。これも歳のせいでしょうか…ってよく聞くけどその理由もよくわからん。
責任の重い仕事を夢中で終えて、ひと段落した時になぜか、とか。
さして仲良いわけでもない友人の結婚式の、親子シーンでなぜか、とか。

逆に自分が悪くてド反省した時は、指摘してくれた相手の前では泣かないようにするけども、睡眠不足だと不本意にも堪え切れず漏れ出てくることがある。すると泣いたことでさらに怒られる。
泣けてきたら一時退室できるルールみたいのあればいいのにって、これはそれこそ母親によく怒られてた小学生の頃から今も続く悩み。電話も悟られずに切りたいけどなかなか難しい。ときどき気づかないふりしてくれる人いると多分私と同じ体質なんだろうなと思うけど、私の周りはそうでない人ばっかり。

研修医1年目の終わり頃も、私に誰よりも熱心に指導してくれた大先輩の前で涙が止まらなくなって病棟中大騒ぎにしてしまったことがある。もう笑い話だけど、3年目になった今もしょっちゅうそのことでイジられる。
ただ、先月その先生のお知り合いの患者さんが入院されて、治療方針についてかなり密に相談しなければならない時期に担当させていただいた。しばらくして亡くなった報告を受けた時、その先生から「ありがとね。あの時の君の熱い涙は忘れないよ。君いい奴だな。」と言われて…!?私なんでこの流れでまた2年前の号泣を怒られてる?と最初あわてたけど、どうもそうではなくてご家族や先生との話し合い中に無意識に目が潤んでいたことについておっしゃったよう。

時々はいいことしてるのね、涙くん。
ちなみにBUMP OF CHICKENの「涙のふるさと」という曲が好きです。

好きですサッポロ(+今期の既読&未読本オボエガキ)

2017年06月17日 | 心療内科医

マルヤマカラス

心身医学会@札幌に参加してきた。
初めての学会発表だったけど、思っていたよりさらっと終わり
若手向けの賞もいただいたけど、昨年度あった(ただの院内の!)研修医同士の発表会で受賞を逃した悔しさが吹き飛ぶような大きな喜びはなく
他の発表も…最近わたしがICU管理するなかで興味をもったテーマがあるわけじゃないですか、たとえば

シビアで急ぎの状況で自分でコード取りに行くことが増えて、終末期とかDNRのこと考えるようになったり


それに伴って医療倫理の手法もチラつくようになったり(そいえば倫理委員会デビューもありました)


意思決定(ってわざわざ論じるべきテーマなんだということ自体をまず実感したというレベルですが)のプロセスをじっくり見る機会を与えられたり


今回のICUローテでは、珍しくICUにいるうちにBSCになるケースが多くて、緩和医療をほんとに学びたい!と思ったり。

これら関連の発表をとくに期待して聴きに行ったんだけど、なにか画期的なアイデアみたいなものが得られたわけでもなく、挙句の果てに自分の師匠の発表が一番おもしろいと思ってしまい…

テンション上がらず。

ただ、初夏の札幌を歩くのはやっぱり素敵だった
ということは、いま名残惜しいのは学会ではなく札幌。
ま、いずれにせよもうすぐジメッとした東京に帰るのですが。


*****


こんなんじゃいけない気がする!
もしかして私が好きなのは全国に通用する心身医学ではなく、うちの病院のなかで自分がとくに居心地いいと感じている部署としての心療内科だけってことだったらどうしよう?

心療内科ならやり抜けそうと思ったのはなんでだっけ。
最近更新されると必ず読んでいる女医さんのブログの文章を思い出した。
“自分が何に価値を置いているか、どんなことならワクワクするか、を基準に「やりたいこと」を決めると、やり抜く力が後からついてくるのではないかと思う。”
これ読んで嬉しくなったんだった。
目の前にやりたいことがあるだけ幸せか。今いる環境に思い切り染まってある程度カタチ決まったら、なるべく自由の効く場所で働くのがちょうどいいのかもしれないなあ。

まずは引き続き、今回の学会で再会した先輩の言う“他の内科にナメられず頼ってもらえる心療内科医”を目指して内科ローテしながら
新たに出会えた患者さんから心身医学的に武器になりそうなクリニカルクエスチョンをどんどんもらって
病棟長として後輩の指導はやらざるを得ないのでついでに流行りのコーチングを身につけよう。
次の学会に向けてやるべきは、研究の続きと論文化。
あ、あと今回の学会は聞き覚えのない単語たちのせいで楽しみきれなかったという反省があるので、やっぱり心理療法や精神薬理の本は眠たくなってもがんばって読み進めて共通言語を増やしておかねば(師匠から進級祝いにいただいた本たちの存在意義が、今さら沁みたということ…!)。