ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

チーズクリームのカップパンとキャラメルチョコのフィセル

2007年03月29日 | こむぎこ日記
困難や試練が訪れて、「とにかくやれるだけのことをやらなくちゃ」って思っている時期にも、そのことにとりかかれない時間帯というものがあって、(例えば、騒音公害防止のためフルートを練習してはいけない夜中とか。)そんな時に、落ち着けず不安でいっぱいの私は、パンを焼きます。
まず、計量やレシピのことを考えることで集中し、てきぱきといつも通りに手を動かすうちに、気が落ち着いてくる。
捏ねている時や成形の時に生地に触れると癒されるし、焼き上がったパンの香りや味は、私に元気をくれます。
小麦粉もイースト菌も、(基本的に)いつも私の味方だから、そうやって私を励ましてくれるんです。
こういう時だからこそ気づく、そのありがたさ!

さて、今回のパン達もこうして出来上がりました。
しかも嬉しいことに大好評の新メニュー!(大好評なのは、猛スピードでたいらげてしまった私と母さんに、だけど)
チーズケーキを作ったりして残っていた材料を入れて、あっさりとしたリーン生地をふんわり焼き上げました。

まずはカップパン(写真左)。チーズクリームは、サワークリームにその倍量のクリームチーズを練り混ぜて、お好みの量のグラニュー糖をすり混ぜて作りました。サワー40g・チーズ80g・砂糖30gくらいだったかな。酸味のある軽い食感のクリームになりました。
軽く丸めてベンチタイムをとった後の生地を、天板の上で、真ん中にくぼみを空け、そこから指で外に向かってぎゅーぎゅーそのくぼみを大きくしていき、その底を天板が透けて見えるほどに薄くします。そこに、このチーズクリームをたっぷり入れて平らにならし、二次発酵。
成形時に底をとにかく薄くするのがポイント!こうすれば、外側にさらに生地が寄せられて、張りがでます。それに、最終発酵でパン生地が膨らんでも、下の方までぎっしりクリームが詰まったままでいてくれます。
証拠写真がこちら↓

(あ!私の前歯の歯型が・・・)


次にフィセル(写真右)。
キャラメルクリームは、余っていた生クリームを使い切って作りました。
これはパンに塗ったりしてもおいしいし、クッキーの生地に混ぜたりもするんだけど、今回はパンの中身に。
楕円に伸ばした生地にホワイトチョコを3かけのせて、チョコのくぼみからあふれるくらいキャラメルクリームを塗って、巻きました。
綴じ目は結構しっかりつけたんだけど、やっぱり焼き上がった後に裏を見たら中身がもれてた。水分の多いものは、巻くのがなかなか難しい!
甘味の強いホワイトチョコとほろ苦いキャラメルクリームがいい具合に合わさったのを、あっさり味のパン生地が、味の面では邪魔することなく、ふんわり包み込んでくれていました。

今回特に嬉しかったのは、こんな新しい味の組み合わせの発見と、それから食感!
パンの食感に関しては、未だにどんなに意識しても思い通りにつくれないことがほとんど。
だから今回も、うち用だし、と思ってテキトーに発酵も終わらせて焼き始めたんです。
そうしたらなんだかとってもうまくいっちゃって。
弾力はあるのに、ふんわり~!
なんでかなあ・・・せっかく成功しても、なんでかがわからないから悔しいよ。
とにかく、この食感を覚えておこうっと。



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「それから」 ~ぱんれぽNo.16~

2007年03月29日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
それから
窯に煙突ができたのは18世紀初め、パン屋の職業活動が技術の進歩と自由な資本主義の影響を受けて緩やかに進行していた。20世紀、工業時代になると全てが変わった。穀物の栽培とその長距離輸送が完全になったこと、1879年近代製法による大規模製粉工場が誕生したこと、製パン法とその設備が進歩したことなどである。その後は、進化しつづけている。


(第一章 おわり)

チーズ入り卵焼き他&おにぎりのお弁当

2007年03月28日 | こむぎこ日記
今日のお弁当。
大昔、「伊東家の食卓」で紹介されていた、おたまとフォークで作るミニオムレツを思い出して、やってみて、失敗しました・・・人生そんなに甘くないですな。
スクランブルエッグになりかけたのを、結局フライパンに移して、ぎゅーっと押し付けて卵焼き(の形)にしました。
洗い物が増えちゃった~しかも、おたまは焦げ付いたのをとらなくちゃいけないし!ぶー。

でも、卵液にクリームチーズとパセリを混ぜてみたのは、なかなか良かったな♪

おにぎりは梅干し。




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「④焼く―家庭のパン」 ~ぱんれぽNo.15~

2007年03月28日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
パン焼きの技術は、このポンペイ遺跡の1世紀から産業革命までの1800年間、なんとさほど変化が見られないという。しかし、中央ヨーロッパではパン屋が増えてから、パン屋と家で作るパンが区別されるようになった。家庭で作られるようになった特徴的なパンの中には、今でも食べられているものがある。

暖房を利用して
中世の中央ヨーロッパの都市の家の居間には、ストーブか暖炉が置いてあった。ストーブはドイツ、スイス、オーストリア、スロベニア、東欧諸国、北欧一部、ロシア(ペチカ)に、暖炉はギリシャ、バルカン諸国、イタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、オランダ、ベルギー、北ドイツ、北欧一部にあった。農村では、自家製のパンを焼いていたが、都市ではパン屋で買うか、家でこねた生地をパン屋へ運んで焼いてもらっていた。行政上の制約や防火のため、パン窯の所有は制限されていたからだ。
そのため、私たちがコンロをテーブルに持ってきて鍋料理を囲むように、彼らも暖炉やストーブで簡単にパンや菓子を焼き、一家団欒の時を楽しんだのである。
料理用オーブンがストーブに組み込まれた一機能として誕生したことからもわかるように、ストーブの内部はパン窯とよく似ていたので、夏場は部屋が暑くなってしまうということを除けば、パン窯と同じようにたくさんのパンが焼けた。
暖炉の地域では、室内の焚き火のようなものなので、窯の代わりにはならない。そのため暖炉では、古代に戻ったようなパン焼きがされていた。
例えば「炉端焼き」。スイステッシン州パヴォア谷の方言でフィエッシャ、イタリア語ではフォカッチャと呼ばれるパンは、ぼってりとした生地を熱した石板に塗りつけ、できるだけ火の近くに置き、周囲の向きを変えながらまんべんなく火に当てたものだ。灰をかけるのではなく火にかざすのは、灰焼きより一歩進んだ焼き方だ。しかし付近の山奥深くでは灰焼きがなんと今世紀初めまで残っていたことが確認されているという。ちなみに、今日本で流行っているフォカッチャというのは、薄くて平たい形からそう呼ばれているだけで、伝来の焼き方は廃れてしまっている。
「串焼き」もされた。ドイツでは、バウムクーヘンの先祖のような「串菓子」が作られた。ハンガリーのクルテーシュカラーチも角笛のような格好をした串菓子だ。
「平焼き」では、特に祝い事のあるときに菓子が焼かれた。イギリス、オランダ、北ドイツなどでは暖炉の自在鉤に吊るす仕組みのプレートでパンケーキが、ベルギーやその隣接地帯のライン川流域ではでこぼこのある2枚の鉄板にはさんでワッフルが、フランスでは美しい模様のついた2枚の鉄板にはさんでゴーフルが焼かれた。      
炉で作るものは、特別な日のための菓子になっていったのだ。             
   
ザルツブルグの朝市で見つけたハンガリーのバウムクーヘン。原型に近い↓




ツナたま丼弁当

2007年03月27日 | こむぎこ日記
今日のお弁当。
ツナとほうれん草と炒めて味をつけた後、溶いた卵を流し込んで大きくかきまぜる。タッパ―に詰めたあったかいごはんにのっける。それだけ!
でも、おいしかったものナンバーワンが、付け合せのトマトだったのが悔しい。
本当に、おいしかった…さすが高級トマト~。


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「④焼く―パン釜」 ~ぱんれぽNo.14~

2007年03月27日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
パン窯
醗酵パンを焼くには、前にも述べたようにパン窯が必要である。パン窯は、直火でないというのが、ただのかまどとの大きな違いだ。
原点は地床炉と呼ばれるもので、地面に穴を掘って石を敷き、火をたいて石を熱くして、灰をよけてパン生地を置きその上に灰をかぶせて焼いていた。

今日のパン窯は円筒型とドーム型の2種類に分類される。
1メートルもある円筒型の土器を地中に埋め、そこで火をたいて、窯の内側の壁にパン生地を張りつけて焼くため、薄い生地をたくさん焼ける。側面もしくはいちばん上に開口部を作り、そこからパンを出し入れするようにした。この方法がⅣのタンドールで、インドでは今でもこの方法でナンを焼く。こちらの方が燃料が少なくすむ。
それに対して、欧米のパン窯へと発展したのが、石板の上で火をたき、その熱い石の上にパン生地を載せて、鉢をさかさまにした蓋をして焼くという方法である。この様子は、古代都市ウルで発見された紀元前2900~2330年頃のくさび形文字の粘土板にも書かれている。
またエジプト人の王の墓の壁画には円錐形の土器の壺を使って焼いている様子が描かれている。内部をあらかじめ熱しておいた壺に生地を入れ、やはり内側を熱しておいた同形の壺をかぶせ、逆さにしておき、その余熱で焼き上げる。逆さにすれば生地の上部に熱気のこもる空間ができるから、ふくらむ余裕がある。
このときから、人々にはドーム型に近い形にする知恵があったのだ。
ギリシャ人はというと、周辺の国々のパン文化を取り込みながら、いろいろなことを試してきている。
まずは灰焼き、しかしこれでは焦げや生焼けがまじるし、小枝やら葉の燃え残りやら灰がついている。そこで串焼きを思いついたが、これは火加減が悪いとガリガリか、真っ黒焦げになる。網に載せて焼いても、同じようにじか焦げが起こるし、生地の水分や熱を逃してしまうからふっくらとはしない。直火では、口当たりのよいパンは焼けないのだ。そこで、やはりカバーをかぶせることにした。パン生地を足つきの皿に載せ、あのエジプト人の壺にも似た形の鉢をかぶせて焼けば、生地の真下と周囲全面に同時に熱が加わるし、ふくらむ空間の余裕もある。また、水を吸った素焼きは熱せられると蒸気を出すから、鉢の内部はパン焼きにとても良い環境になった。
ローマでは、Ⅵの釣り鐘型のカバーをかけて焼いていた。内部と床を熱しておき、灰を脇へどかしてカバーを生地にかぶせ、さらにその上と周囲に燃料を置く。今でもクロアチアのポガチャなどを焼くときに使われている。

後に、円形の耐火レンガの床に、半球形の天井をかぶせた格好が一般的になった。Ⅶにあたる。外壁は石、粘土、灰でかためられた。焚き口はパンの出し入れ口と兼用で、窯床の高さにある。内部を熱してからパン生地を水平な窯床に並べ、密封して余熱で焼き上げる。古代からヨーロッパ全域に普及していったが、保温力のある堅固な石窯として完成したのローマ時代だ。パンの需要が増えて、紀元200年ごろに世界初のパン屋が誕生しているローマ市内にある多くパン屋には大規模な設備が必要になった。1世紀のポンペイ遺跡のパン屋のパン窯では直径20cmのパンが一度に130個も焼けるそうだ。構造、使用法とも現代の薪用パン窯と変わりがない。もちろん、今は電気オーブンが主流ではあるが。



いちごみるくのチーズケーキ

2007年03月26日 | こむぎこ日記
直径12cmのかわいいサイズ。
やっと型を見つけて、うふうふ気分で作りました。
オーブンから出した時は、ぷぅーっと膨らんでいたのが、
どんどんしぼんでいって、レシピ曰く『えくぼ』。なるほどね!
そこにいちごジャムで作ったソースを溜めて、冷蔵庫で充分寝かせました。

生地にはコンデンスミルクが入っているから「いちごみるく」。
私の好きな要素が詰まった一品です。

保冷バッグに入れて持って行って、友達と食べました。
本当はちっちゃなフォークで食べるのが似合うかもしれないけど、
手のひらサイズだから、指でつまめちゃうんです。
チーズケーキが気軽に作れるようになったのは、このレシピのおかげ
黒川 愉子 / 主婦と生活社(2005/10)
Amazonランキング:12986位Amazonおすすめ度:
可愛い&美味しいっ!おいしかったですアンティーク雑貨のような本です!!





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「④焼く―発酵パン」 ~ぱんれぽNo.13~

2007年03月26日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
次に、醗酵パンの焼き方を見てみる。
醗酵させてから焼くというふっくらパンのはじめのアイデアは、あるエジプト人の失敗から生まれたという。こねた生地を忘れて何日か置いておいたらふくれて、いい香りがし、それを焼いてみるとおいしいことがわかったのが始まりのようだ。おそらく空気中の酵母がその練ったコムギ生地の中に落ちて、時間をかけていろんな酵母菌や微生物の働きで、自然発酵したのだろう。(アルコール発酵以外にも、乳酸醗酵で乳酸が作られたり、小麦のたんぱく質がアミノ酸に変わったりする。)まさに天然酵母のパンと言える。
彼らは前からカユとビールを作っていたので、そのうちコムギ粉に混ぜたビール酵母種で醗酵させてから窯で焼くようになり、それが厳密な意味での最初のパンとなった。

古代エジプトの製パン技術はその後ギリシャ、ローマへと伝わり、そのたびに発展を遂げた。そしてやがてオーストリア経由のドイツと、フランスへの2種類のルートでヨーロッパ各地に広がっていった。
ちなみに、人類史上初の調合酵母菌はギリシャ人の発明だ。前日の残り生地を種とすることに満足せず、彼らは新鮮なぶどうとホップを用いて、ジマと呼ばれる種を培養した。


しぼりだしクッキー

2007年03月25日 | こむぎこ日記
お菓子作りをしていると、ときに予想外の壁にぶちあたることがある。
成功が続いて傲慢な気持ちになった私に、そのことを思い出させてくれるお菓子がある。

つまり、これうまくいかなかったんですよね。
本当は、奥の3本の、まんなかに赤い玉がついた丸いのが連なってる形のが20~25本できるはずだったのです。かわいくってオトメチックなのが作りたくなって。
それが!!!わたくしとしたことが、搾り出し袋のことを甘く見ていたのがいけなかったんです。うちにあったジップロックに小さな穴をあけて口金を入れて、生地を搾り出していたら・・・
「ぶちっ。にゅおぉぉぉぉ。」って袋が破れて、大きくなった穴から生地が出てきた!
どうしようもなく困り果ててしまったんです。
それで、その時出来得る限り冷静になって考えた結果が、写真右上。
このもじゃもじゃ、何を使ったでしょーか???
答えは、「搾り出し、搾り出し、搾り出し・・・あ!にんにく絞り!」
というわけで、にんにく絞りに生地を入れて、とりあえず全ての生地を天板にのっけて焼きました。
小さい頃に粘土でスパゲッティを作って遊んだのを思い出しながら・・・

この写真は、「ふう」と大きなため息をつきながら撮ったたそがれの一枚。
でも、今思えば、もじゃもじゃちゃん、あなたもなかなか愛らしくってよ。とほほ・・・



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「④焼く―平たいパン」 ~ぱんれぽNo.12~

2007年03月25日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
これらを通して見ていくと、平たいパンにはいくつか共通点が見つかる。

◎サチやサージが重宝されていることからもわかるように、パンの厚さは燃料の量によって決まる。森林に恵まれているところでは、木を燃やして、薪をどんどんくべられるから、その置き火の中にパン生地を入れて焼いたり、石の下で木を焼いて石を熱し、その石の上で焼いたりしていたが、反対に燃料に乏しい地域では、平焼きのパンが焼かれてきた。

◎おかずと一体で食べる
西欧の醗酵パンは、内部に無数の気泡をふくみ、厚みがあるので、おかずと一緒にするには、切れ目を入れるかスライスしてから、おかずをはさんだり、のせたりすることになる。おかずに水分があると、やわらかくふくらんだパンの中身に吸収されて、パンはおいしくなくなる。しかし平焼きの場合、スライスしなくてもすでに薄い。しかも表面は焼いている間に水分が奪われ、目のつんだ皮が形成されるので、多少の水分は、短時間には影響を受けない。そのため平焼きは煮込んだおかずも巻き込んだり、はさんだり、のせたり、あるいはピザのように焼く前におかずをのせておいたり、パンでおかずを包んでからさらに油焼きしたりする。こうしたパンとおかずの豊富な組み合わせは、パン用の穀物や、野菜、乳製品に恵まれた環境があってこそ生まれるものである。
それに比べ、厚い醗酵パンの地域では、パンとおかずは別々に食べる習慣があった。というより、中世のアルプス以北の食生活では、おかずと言えるようなものはほとんどなかったし、上層でさえ、豆のスープや焼いた肉くらいだった。そのような状況では、パンをおかずと組み合わせて食べることよりも、パンそのものをおいしくすることを考えた方がよかったのだ。
平焼きを食べる世界にはスプーンもフォークもない。パンを使って食べ物をつかんだり、掬い取ったりする。そのうえ、皿も要らない。パンの縁を土手のように高くすれば、多少汁気のものも入れられるから、パンは食べられる皿だ。ゴミも汚水も出さないエコロジカルなパンといえる。

◎豊富なバリエーション
中国の春巻きの皮だって、平焼きの部類に入る。
フランスのクレープを、コムギの取れないノルマンディー地方の農民はソバ粉で焼く習慣があったが、ブルゴーニュではこれが牛乳や卵入りの復活祭の菓子として焼かれる。中に入れるジャムや果物やおかずも、様々だ。
平焼きは、組み合わせ次第で食べるシチュエーションも変えることができる。


私たちは、ふっくらしたパンよりも、平焼きのほうが原始的なものと考えがちだ。確かに、スイスの遺跡の下のほうから発見されたのは平たいパンだが、無醗酵パンは未発達ではないし、ぺちゃんこは未熟を表すものではないのだ。
また、パキスタンや中近東で無醗酵パンが食べられているのは宗教上の理由からである。彼らの精神生活の中にはふっくらしたパンを食べるのは贅沢という認識があって、人間を堕落させると考えられているのだ。