ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

くった のんだ わらった +ふやけた

2018年01月28日 | たびたべた
業務的には楽なはずが慣れない気を遣うせいかドップリ浸かってはいるけど受け止めきれていないのか…
とにかく肩周りがかちんこちんになってしまった緩和ケア科ローテ初週。

肩周りのみならず、表情筋も呼吸筋もがんがんストレッチされるこんな場所に
友人が連れて行ってくれました。

古典落語、土曜午後ほぼ満席でした〜
こんないいところがあったなんて…

好きなものを飲んだり食べたりしながら芸術に浸り、そして遠慮なく笑う!
私にはこれが必要だった。
病院にも来てもらって患者さんに聴かせたいと思うくらい、スッキリして元気に。

お次は友人行きつけの銭湯。

最後は食材を買って帰って鍋。
落語に出てきた美味しそうなフグチリに触発され海鮮希望で鱈・白子なべです。白子の下ごしらえの仕方を学んでちょっぴり女子力を上げたふたりでしたとさ。

もちろん食べながらお風呂に浸かりながら幕間にだって、話す、話す、話す…そして無理には話さない。そのとき話したいと思ったことだけ。
この心地よい関係性。職場の同僚だと打ち明けられないこともあるんだなーこれが。
患者さんのなかにはkey personが高校からの友人という方もいらっしゃるのですが、最近特にわかるなーと思ったりするわけです。
今回もまた友情に乾杯でした。彼女が燗つけてくれた青森のお酒で。

動機を言語化する

2018年01月25日 | 心療内科医
ってとてもだいじなこと、と読み終えた師匠が。嬉しかったですよって言ってくれた。
社会人大学院の志望理由書。
書くのに思いのほか時間を費やしてしまったけど、確かにいい時間だったかもと思って。

なぜ私が
①心療内科の
②臨床研究を
学びたいと思ったのか、を語る。

それって私がとりあえずの目標であった医者になって働き始めて、次の目標を掴むに至ったこの3年間を総括するということだから
だいじな作業。
受洗後の挨拶に引き続き・・・どうも私は「立ち返れ!」と言われているみたいです。

①「選好の問題」でも書いた通り、心療内科を志望した理由を説明するのをいつも難しく感じてきたのだけど
今回、今まで内外に発表してきた自分の文章を掘り返して切り貼りしているうちにやっと見えてきた。
何もできなかった初期研修医時代、先輩に言われるがままにひたすらベッドサイドに通ううちに
ナラティブメディシン、bio-psycho-socialアプローチ、患者背景によって異なる病態仮説、心身相関と心理社会的要因の相互作用、治療的自己…※1
と、今なら言語化できる様々な興味深い現象と出くわして、心に引っかかって、誰かと共有したくて、でもそれを表現する名前を知らなくて。
私が幸運だったのは、それを教えてくれる心療内科医がそばに居たこと。
もしかして私は心療内科の目指す全人的医療が気になってしょうがないんだ…と気づいたときから、またそれが誰にとっても起きることではないと感じたときから、心身医学を専門にしたいと考えるようになったんだと思う。
その夢を抱えながら各内科を回った内科専攻医1年目は、本当に楽しかった。どの科でもその視点で見れば心療内科的プロブレムが浮かび上がって、非専門医から期待されることも知れたし、アプローチを知っていれば知っているほど患者さんやその家族の役に立てることを実感できたから。

②臨床研究のはじめの一歩は初期研修中に課されていたおかげで※2,3 、自分のクリニカルクエスチョンを形にして、追求して、発表すると、知らない先生たちと日常診療の発見や悩みを共有できるんだ!という喜びはもう体験済み。
直近のクエスチョンといえば、チーレジミーティング※4も近付いていることから研修医教育関連。教育病院出身の心療内科医としてオリジナリティも出せる、いい研究テーマに繋がるんじゃないかと思う。たとえば医師の基本である「共感」という技術※5を、扱うのが得意なだけでは専門医としては手落ち。研修医に限らず非専門医に敢えて説明し、体験させ、評価※6できてこそ、本物の専門医だと思うから。嬉しいことに行動医学は日本では心療内科のテリトリーだし、私をここまで導かれたことに対して恩返しもしたいもの。師匠が地道に確立してきた指導法※7をもっと汎用化するのも、私の使命なんだわきっと。

社会に貢献できる心療内科専門医になるには、その分野で常に最善と思えながら医療を提供できることってだいじ。非専門家に心療内科的アプローチを言語化し共有できることもだいじ。

そのために必要なことは?
臨床経験や教育経験を積み重ねたいと思って今の市中病院に残ったけど、それでは足りなくて
そこで得たアイディアを探求し世界の専門家に発信できるようにならないと。
その正しいやり方を習いに行くのです、私は。大学院に。

書きながらどんどん未完了to doが思い起こされ
※1 初期研修医向けの解説文作り、チーレジ企画に使いたいならはよ始めんと企画倒れ一直線ですねえ
※2 続き残ってますよ〜英論文化を始めなさい、というか来年3月こそ海外学会行きたいんでしょ抄録またギリギリに出す気ですか
※3 も一つのテーマもまだまだ続けたいんでしょ〜質問紙作らないと次の研究間に合わんよ、あれ5月の学会オーラルだけどスライドまだですか
※4 テキスト予習しないとあなただけちんぷんかんぷんで帰ってくることになりますよ
※5 「共感の技術」も「聞く技術」も積ん読のまま1年経とうとしてますけど
※6 アメリカ家庭医用の評価項目、せっかく入手したからには早く和訳しないと来年度やってみたいんじゃないんですか
※7 これもねえ早く項目まとめ始めないと実験するなら来年度しかチャンスないのでは

…胸がドキドキしてきた、さらにストール抄読会初回を終えて頭がシューシューし(※8 次回までの宿題:双極スペクトラムについて調べよ)、
ハイです今。
あれもこれもやりたい!な時期は喜ばしいことなれど、どんどん新しい考えが浮かんできて処理しきれないもどかしさに息が詰まったような感覚になるの、ほんと疲れる。忙しいって人に言いたくなるけど、“脳内大忙し”なだけだから伝わらない。
そんな時はこれの出番。

個包装の入浴剤を集めるのが好きなんだけど、シリーズ中でもとくにお気に入りなのでこれはボトルで買っちゃった。
ふう!っと深呼吸して、と。


*****


使命感は人を動かす。
missionの元の言葉は派遣だって、チャプレンも仰ってた。

Danach hörte ich den Herrn fragen: »Wen soll ich zu meinem Volk senden? Wer will unser Bote sein?« Ich antwortete: »Ich bin bereit, sende mich!«
‭‭Jesaja‬ ‭6:8‬

いつもうちの教会の礼拝の最後に歌う讃美歌の歌詞にもなっている箇所。歌うと「月曜からまたがんばるぞー」って気分になるから好き。
よし、いってきます。

レジデント@a_certain_hospital #感情

2018年01月23日 | 心療内科医
レジデント@a_certain_hospital

感情のマネジメントって、人生で最も大切なものだからね
#感情

患者さん家族や医療スタッフ同士でのいろいろがあった際に、それをたまたま聴いていたM先生の突然のつぶやき(なぜいつも私の前でおもむろに呟く…笑)。
不安な人が、怒ってて、怖い…
日常診療でも日常生活でも、いろんな立場の人がいろんな立場の人に対して起こしうる現象。私も最近目の当たりにしたもの。
はい、思わず“もの”と誤魔化してしまいましたが
ここではっきりさせよう。

感情は、内面的に感じる気分や情動の外面的な現れである。
(ストール精神薬理学エセンシャルズ)

たとえば…
「大丈夫、大丈夫!」と言いながら泣いている人がいたら
大丈夫:気分、情動、患者の訴え
泣いている:感情、外から観察されるもの
こんなふうに使います。
気分と感情の不一致が、不気味というか、不自然、健康的でないというイメージは、上記のエピソードから容易に浮かぶと思います。それは特殊な状況にあるからかもしれないけれど、たとえば神経伝達物質の量の不足とか、そういう医学的問題に起因していることもあるということです。

さて、ではM先生の呟いていた「感情のコントロール」はどうでしょうか。
気分を言語化して初めて感情として認識できる。ならば感情のコントロールって、そもそもその認識がないと始まらないわけですよね。
認識の段階で失敗してしまう人のなかには、それこそ下記の気分障害とは別の医学的素因が隠れていることもあるかもしれません。
また認識はできているけどコントロールが思い通りにできないからと言ってネットとかで薬を買うのも立派な病気と思いますけどね私は。

そんななか、現在はうつ病や双極性障害を「気分障害」と呼ぶのが通例となっています(ICD-10ではカッコして「感情障害」)。
それは多分、別の視点での使い分け:情動は一過性の強い反応で↔︎感情は比較的持続的な心の状態 に基づいているんじゃないかなと思うのですが、どうなんでしょうか。あまり分けなくてもいいってことかしら。

ちなみにストールは第6章のはじめに感情の概念を書いておきながら、そのあと気分障害 mood disorder・感情障害 affective disorderの使い分けを教えてくれている訳ではなく拍子抜けしちゃったのですが、そいえば薬理の教科書なのでした。

というわけで始めました、ストール抄読会!

受洗準備会は1回1時間を週に2回、2ヶ月間で充実感を得られたという記憶があって
この抄読会も今年度末までとなるとやはり2ヶ月間。1回2時間を週に1回なので、ちょうどという感じかな。
…1回2時間!?
かなり重たい内容になりそうですが笑 がんばります。

レジデント@a_certain_hospital #選好

2018年01月19日 | 倫理用語
レジデント@a_certain_hospital

だって好きなんだもん
#選好



(たとえば、パンの焼き加減)


飲み会に出る。
さして興味もないだろうにプライベートなことを聞いてくる人がいる。
答えても微妙な反応が返ってくる。
夜中、ひとり考え込む。

進路が、志望科が、決まる。
自分に務まるのだろうか、とドキドキしたり
決まった喜びにウキウキしながら報告する。
もったいない、とか
QOL高くていいんじゃない、とか言われる。
あとからあとから、怒りがふつふつ湧いてくる。

信条を、
勇気を出して明らかにする。
好きにしなさいと言われる。
ことあるごとに、孤独感がつきまとう。

この、人に認められたい気持ちってなんだろう。


*****


このまえ受けた臨床倫理のレクチャーの、障害者の権利に関する条約のところで
「権利に、意思及び選好を尊重する」
というのが出てきた。
たとえば、延命措置を希望する/しない。
なんで?とか、普通こうでしょ!なんて野暮なこと言ってくる医者がいたら小学校からやり直した方がいいかも。

選好…饅頭が好きなのに理由なんてないでしょう、とその先生は仰っていた。
(私はそこで、中学の頃にハマった“冬のソナタ”のセリフを思い出したのだけど…
「本当に好きな時には理由なんてないんですよ。」
ミニョンさん…!笑)

そうだ、「だって好きなんだもん」に
説き伏せる理由なんてないんだから。
相手が「そういう意見“も”あるんだな」と
思ってくれるしかない。
思ってくれなくたって、その意見を持つことは権利なんだから
何も恐れることはない。

…それにしても。
なんだこの満ち足りない愚かな自分は。
全員に賛同してもらえないと自信もてないなんて情けないし、無理なのもわかってる。むしろ全員意見が一緒だったら気持ち悪いし、それはそれでどうせ疑いたくなると思う。
それに、私が誰かに嘲笑われてるとしても、その人たちにわざわざ出てこさせたい?「ははー参った参った」って言わせたいの?言わせるなら、とくに誰に?結婚相手?
それなら多分、お母さんと結婚するしかないですよようこさん。

もしかしたら私はとてつもなく当てにならない何かを頼りにして生きてきたのかもしれない。


*****


Ihr werdet sehen: Der Herr, der allmächtige Gott, nimmt den Bewohnern von Juda und Jerusalem alles weg, worauf sie sich heute verlassen; jeden Vorrat an Brot und Wasser,
‭‭Jesaja‬ ‭3:1‬ ‭


「すべてみむねのままに。」

緩和ケア科で担当させていただいている患者さんがいよいよ、というときに
一週間いっしょに闘った奥様が初めて呟くことのできたこの一言が、胸に深く突き刺さる。

step by step

2018年01月14日 | デキんレジのインチャージノート
期せずして、仲のいい後輩も言ってくれた。
先生のスローガンはstep by stepですね。
そういう環境だからここはいいよねって私が言ったら、誰でもそうはいかないですよと。
そうなのか。

少なくとも私には今年も次々と新たなstepが
“立ちはだかっている”が一番しっくりくる感じ。
とくに今年は、思いもよらぬstep、たとえば
早めの中間管理職
というstepも。

この前まで毅然とするとか言っといて
新年早々、このさき一年間の波乱の予感しかしないゴタゴタに見舞われ
ああ私はこういう時に泣きたくなるんだったと思い出すような、つまり
いまいち反省しきれない
どちらかというとこの事態を避けきれなかった自分に腹立たしい
そんな気持ちに苛まれ続けた今週、実は記念すべき病棟長最終週でもあるのにそれどころじゃなかったわ。
謝り倒して次の日にはニコニコしてる自分がバカみたいで離人症になりそうです。ウソです。でも、

気にすんな
って言葉がすごくありがたくて涙が出て
でも電話越しだからバレずに済んだのが、今年最初の幸運でした。

祝★全病棟長期間を終えた私。

冬囲いに関するQ&A

2018年01月07日 | たびたべた
まだキレイなままの 雪の絨毯に
二人で刻む 足跡の平行線

うふふ。
こんな歌詞を思い出すような
(…ん、それよりはメンデルスゾーンの「冬」な感じか)
銀世界 札幌+小樽での
2018年最初のとっときデイトリップの記録。

「石油ランプが美しい北一硝子のカフェ」


寝坊、寝ぼけて乗り換え間違え等々…容易に想定されるいくつもの悪魔から逃げ切って

羽田。朝焼けも心なしか安堵の色です。

到着した新千歳からJRに乗り込み、札幌を通り越してそのまま小樽へ。
小樽直前で車窓いっぱいにダークグレーの海が開けた時は、なんだか吸い込まれるようでした…そして

到着!はじめての雪の小樽。降り止まない雪をよけよけ、ザクザク歩きます。

お日さまが出てくるとちょっと暖かくなることを発見。コートにくっついた雪の結晶がキラキラ。

ドボ9の2楽章のオルゴールが流れました。お昼デス…!(「遠き山に日は落ちて」って歌詞をつけたのは日本人だからね)

ぷりぷりのネタののったお寿司に

さっきまで動いていたホタテetc.!
いずれも、けっこう吹雪いている笑 外を見ながら。
なんという贅沢でしょう。

そうそう、

冬囲いって、これのこと。
街中の樹木がしてもらっていて、なんともかわいい風景!と写真を撮っていたら、そうか冬囲いがそんなに珍しいのかと言われましたとさ。


冬囲いっていうんだ〜と思って検索したら写真がいっぱい出てきて、私はすっかり冬囲いファンに。同時に思いついたヤフー知恵袋風タイトル(上記)に上手いこと関連づけられる話は最後まで思い付けませんでしたが
久しぶりにゆっくり一緒に過ごせるからこそ挙がってきた、知恵袋に投稿したところで答えなど返ってきそうにもない重たい議題(×→先生がステキにリフレーミングしてくれた:祈りの課題⚪︎)ならあるわけでして
モヤモヤごとそのまま持ち帰ってきて無事に東京で一仕事終えた今日、その相談をする機会は偶然にも与えられたのでした。そこでハッとしたことがあったので最後にメモ:

本当に悩まなきゃいけない時、決断しなくちゃならない時に、どうするべきか。
つまり、何かを選び取りそして他方を捨てる時ー
捨てる時?
案外捨てなくて済むのかもしれません。

»Gott wird schon dafür sorgen, mein Sohn!« – Schweigend gingen sie weiter.
‭‭1. Mose‬ ‭22:8‬

最初から自分の思い込んだことを決めてかからずに、その都度よく考えよう、話し合おう、祈ろう。そうやって下した決断に、また誠実に向き合っていれば
あとはきっと大丈夫
ってことだと思う。

「また来るね、の空港スープカレー」
安定の美味しさ。

宮城風雑煮

2018年01月03日 | たびたべた

慣れないお料理をしました記念に一枚。
切らずに投入してしまった糸こんにゃくや私の苦手なお野菜の千切りがなるたけ見えないアングルでね!

母さんがいない台所は分からないことだらけなことがよく分かります。
でも遅れて到着した母さんは、ひとまず私と父の新年早々珍しい行動(挑戦)について褒めてくれたのでした笑 いつもごめんなさい!

というわけで、
Prosit Neujahr!

家族3人で久々にゆったり過ごせたお年始だったのでした。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも観られました。
上手なラデツキーを聴けば、我々のそうでもないラデツキーも思い出されるわけで…
先月の病院オケのクリスマスコンサートです。これが我ながら思った以上に良かった!というお話を。

受け持ち(だった)患者さん達が孫の発表会みたいにして楽しみに観にきてくださって、一生懸命手を叩きながら聴いてくださっているお顔を見ながら吹くと、いつもの何倍も伸びやかな音が私のフルートから響くようで
いつもは起立性低血圧でリハビリが進まない患者さんも、せん妄で動いてしまう患者さんも、3曲終わるまでずっと座っていられたのって、音楽療法のこととかはよく知らないけれどやっぱり何かの力が働いているに違いないと思えてしまって
なんというか
「こういう芸術があってもいいじゃないか!」
と叫びたくなるようなブラ1だったんですよね〜。
言語化できない感激で、心がザワザワする。
とりあえず、これを読んでみることにしました: