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ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

「ヨーロッパ②―ドイツのライムギパン」 ~ぱんれぽNo.19~

2007年04月11日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
ドイツでは、ライムギ粉とコムギ粉を配合した混合パン(ミッシュブロート)が全消費の65%で最も多い。これに次いでオールライムギパン20%、コムギパン10%、特殊パン5%の割で消費されている。基本的に、北に行くほどライムギの、南に行くほどコムギの比率が高くなると言われる。ここで、コムギパンよりライムギパンの方がいかに焼くのが難しいか、簡単に説明しよう。

ライムギとザウアータイク(サワー種)
ドイツ語ではそのもの100%でパンが焼ける穀物、小麦とライ麦をBrotgetreide=パン用穀物という。しかしライ麦粉でパンを焼くというのは、小麦粉で焼く様には簡単にはいかない。私も経験があるが、ライ麦粉の生地は伸びなくてべちゃべちゃといつまでもまとまらず、伸縮性に富んだ小麦生地とは、大きく違う。これらの違いは、膨らみと弾力性に重要なグルテンと関係が深い。このグルテンが、ライ麦生地ではほとんど形成されないのである。
ライ麦粉には、ペントザンという繊維質の一種が小麦粉に比べて3.5倍近くも多く含まれている。ペントザンは、とても強い吸水力を持っており、焼きあがったライ麦パンのしっとりした舌触りや、長期保存を可能にしている。ただ、この強い吸水力によって粉と結び付く水分がすっかり取られてしまって、ライ麦粉中のグルテン形成を妨げてしまう。(そのため、小麦粉にペントザンを加えても、小麦生地のグルテン形成も難しくなる。)
そして、もう一つ重要な問題はライ麦中の酵素の働きである。生地の中にはいろんな酵素が存在するが、ここで重要なのは澱粉を糖に分解するアミラーゼ。小麦でもライ麦でも、成分の約70%近くは澱粉からできている。カスタードクリームや、とろみ付けの水溶き片栗粉からもわかるように、澱粉は、熱を加えると糊状に固まるが、パン生地の場合も同じように、焼く過程で澱粉が糊状になって固まって身の部分ができている。ライ麦澱粉が固まる温度は55℃~70℃、小麦粉澱粉は65℃~80℃。そして、澱粉分解酵素アミラーゼの活動に適した温度は、60℃~70℃。アミラーゼは特に、凝固した後の澱粉を分解するのを得意とするので、凝固温度の低いライ麦澱粉は、とてもたやすく糖に分解されてしまうことになる。すると、オーブンの中のライ麦生地は、水分を保てなくて生焼けの状態になってしまう。だから、ライ麦粉では小麦粉と同じようにはパンは焼けないのである。
これらの理由から、ドイツでは、ライ麦パン作りにザウアータイクを使用する。ライ麦と水を混ぜておくと、粉についていた酵母、空気に飛んでいた酵母が発酵を始め、そのうちに乳酸菌が発生して、澱粉を発酵させ始める。これに、水と粉を継ぎ足して行ってやると、乳酸菌が他の菌を抑えてくれるので、最終的に自然酵母と乳酸菌の入った酸味のあって発酵力のあるザウアータイクができあがる。
アミラーゼ(酵素)の活動は、ザウアータイクの酸によって抑制されるので、ライ麦澱粉がきちんと水を取りこんで凝固することができるのだ。また、ザウアータイクを加えて作ったライ麦パンは、弾力性が強まり、耐久性も高まるので、きれいに切れるように焼きあがる。
アミラーゼの働きを抑える役割のためにザウアータイクを使うのだが、やはりこれのおかげで深い良い味にもなる。時間をかけて出来あがったザウアータイクの中には、酵母と乳酸菌が作り出したいろいろなアロマ成分や味わいが含まれていて、こういうものはとても複雑なので、短時間で簡単には作り出すことができない。
以上の理由から、ライ麦が多く入ったパンはふくれていないキメの細かなパンで、すっぱい味がする。
そしてこのザウアータイクの中に含まれる有機酸が消化を助ける。肉食中心のドイツ人にはぴったりというわけだ。


「ヨーロッパ①」 ~ぱんれぽNo.18~

2007年04月09日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
☆ヨーロッパ

・ベルギーでは白パンと黒パンの境界がほとんどない。丸くやわらかなピストレや、ドライレーズン入りの全粒粉とコムギ粉のクラミックが有名。

・オランダの丸パンは、粗挽きのコムギが入っているので、風味がよくぱりっとした食感がある。

・ドイツはBrotland「パンの国」と呼ばれることがある。それは、パンの種類が多いからだ。そのわけは、歴史的背景から各地域の伝統パンが大切にされていること。そしてもう一つの大きな理由は、ライ麦を始めいろいろな穀物を使うので必然的に種類が膨大になっているということである。

世界のパン ~ぱんれぽNo.17~

2007年04月09日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
第2章 世界のパン

これまで、パンのいろいろな要素について見てきた。今は、たくさんの人々の思いを背負った一つの小さなパンが、とても重く感じられる。
これをふまえて、地域ごと、国ごとにパンを見てみると、とてもわかりやすい。
それで、初め私ははっきりと比べやすいように表にしようかと思ったのだが、そうやって簡単に整理できるほど、パンは単純ではなかった。それに今は国と国の行き来もしやすくなり、人々は昔ほど自分の国にとらわれずに、自分の好みのパンを好きなように食べるようになっている。パンにまつわるエピソードなども入れて、おおまかにその国の名物のパンを紹介しようと思う。

「それから」 ~ぱんれぽNo.16~

2007年03月29日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
それから
窯に煙突ができたのは18世紀初め、パン屋の職業活動が技術の進歩と自由な資本主義の影響を受けて緩やかに進行していた。20世紀、工業時代になると全てが変わった。穀物の栽培とその長距離輸送が完全になったこと、1879年近代製法による大規模製粉工場が誕生したこと、製パン法とその設備が進歩したことなどである。その後は、進化しつづけている。


(第一章 おわり)

「④焼く―家庭のパン」 ~ぱんれぽNo.15~

2007年03月28日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
パン焼きの技術は、このポンペイ遺跡の1世紀から産業革命までの1800年間、なんとさほど変化が見られないという。しかし、中央ヨーロッパではパン屋が増えてから、パン屋と家で作るパンが区別されるようになった。家庭で作られるようになった特徴的なパンの中には、今でも食べられているものがある。

暖房を利用して
中世の中央ヨーロッパの都市の家の居間には、ストーブか暖炉が置いてあった。ストーブはドイツ、スイス、オーストリア、スロベニア、東欧諸国、北欧一部、ロシア(ペチカ)に、暖炉はギリシャ、バルカン諸国、イタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、オランダ、ベルギー、北ドイツ、北欧一部にあった。農村では、自家製のパンを焼いていたが、都市ではパン屋で買うか、家でこねた生地をパン屋へ運んで焼いてもらっていた。行政上の制約や防火のため、パン窯の所有は制限されていたからだ。
そのため、私たちがコンロをテーブルに持ってきて鍋料理を囲むように、彼らも暖炉やストーブで簡単にパンや菓子を焼き、一家団欒の時を楽しんだのである。
料理用オーブンがストーブに組み込まれた一機能として誕生したことからもわかるように、ストーブの内部はパン窯とよく似ていたので、夏場は部屋が暑くなってしまうということを除けば、パン窯と同じようにたくさんのパンが焼けた。
暖炉の地域では、室内の焚き火のようなものなので、窯の代わりにはならない。そのため暖炉では、古代に戻ったようなパン焼きがされていた。
例えば「炉端焼き」。スイステッシン州パヴォア谷の方言でフィエッシャ、イタリア語ではフォカッチャと呼ばれるパンは、ぼってりとした生地を熱した石板に塗りつけ、できるだけ火の近くに置き、周囲の向きを変えながらまんべんなく火に当てたものだ。灰をかけるのではなく火にかざすのは、灰焼きより一歩進んだ焼き方だ。しかし付近の山奥深くでは灰焼きがなんと今世紀初めまで残っていたことが確認されているという。ちなみに、今日本で流行っているフォカッチャというのは、薄くて平たい形からそう呼ばれているだけで、伝来の焼き方は廃れてしまっている。
「串焼き」もされた。ドイツでは、バウムクーヘンの先祖のような「串菓子」が作られた。ハンガリーのクルテーシュカラーチも角笛のような格好をした串菓子だ。
「平焼き」では、特に祝い事のあるときに菓子が焼かれた。イギリス、オランダ、北ドイツなどでは暖炉の自在鉤に吊るす仕組みのプレートでパンケーキが、ベルギーやその隣接地帯のライン川流域ではでこぼこのある2枚の鉄板にはさんでワッフルが、フランスでは美しい模様のついた2枚の鉄板にはさんでゴーフルが焼かれた。      
炉で作るものは、特別な日のための菓子になっていったのだ。             
   
ザルツブルグの朝市で見つけたハンガリーのバウムクーヘン。原型に近い↓




「④焼く―パン釜」 ~ぱんれぽNo.14~

2007年03月27日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
パン窯
醗酵パンを焼くには、前にも述べたようにパン窯が必要である。パン窯は、直火でないというのが、ただのかまどとの大きな違いだ。
原点は地床炉と呼ばれるもので、地面に穴を掘って石を敷き、火をたいて石を熱くして、灰をよけてパン生地を置きその上に灰をかぶせて焼いていた。

今日のパン窯は円筒型とドーム型の2種類に分類される。
1メートルもある円筒型の土器を地中に埋め、そこで火をたいて、窯の内側の壁にパン生地を張りつけて焼くため、薄い生地をたくさん焼ける。側面もしくはいちばん上に開口部を作り、そこからパンを出し入れするようにした。この方法がⅣのタンドールで、インドでは今でもこの方法でナンを焼く。こちらの方が燃料が少なくすむ。
それに対して、欧米のパン窯へと発展したのが、石板の上で火をたき、その熱い石の上にパン生地を載せて、鉢をさかさまにした蓋をして焼くという方法である。この様子は、古代都市ウルで発見された紀元前2900~2330年頃のくさび形文字の粘土板にも書かれている。
またエジプト人の王の墓の壁画には円錐形の土器の壺を使って焼いている様子が描かれている。内部をあらかじめ熱しておいた壺に生地を入れ、やはり内側を熱しておいた同形の壺をかぶせ、逆さにしておき、その余熱で焼き上げる。逆さにすれば生地の上部に熱気のこもる空間ができるから、ふくらむ余裕がある。
このときから、人々にはドーム型に近い形にする知恵があったのだ。
ギリシャ人はというと、周辺の国々のパン文化を取り込みながら、いろいろなことを試してきている。
まずは灰焼き、しかしこれでは焦げや生焼けがまじるし、小枝やら葉の燃え残りやら灰がついている。そこで串焼きを思いついたが、これは火加減が悪いとガリガリか、真っ黒焦げになる。網に載せて焼いても、同じようにじか焦げが起こるし、生地の水分や熱を逃してしまうからふっくらとはしない。直火では、口当たりのよいパンは焼けないのだ。そこで、やはりカバーをかぶせることにした。パン生地を足つきの皿に載せ、あのエジプト人の壺にも似た形の鉢をかぶせて焼けば、生地の真下と周囲全面に同時に熱が加わるし、ふくらむ空間の余裕もある。また、水を吸った素焼きは熱せられると蒸気を出すから、鉢の内部はパン焼きにとても良い環境になった。
ローマでは、Ⅵの釣り鐘型のカバーをかけて焼いていた。内部と床を熱しておき、灰を脇へどかしてカバーを生地にかぶせ、さらにその上と周囲に燃料を置く。今でもクロアチアのポガチャなどを焼くときに使われている。

後に、円形の耐火レンガの床に、半球形の天井をかぶせた格好が一般的になった。Ⅶにあたる。外壁は石、粘土、灰でかためられた。焚き口はパンの出し入れ口と兼用で、窯床の高さにある。内部を熱してからパン生地を水平な窯床に並べ、密封して余熱で焼き上げる。古代からヨーロッパ全域に普及していったが、保温力のある堅固な石窯として完成したのローマ時代だ。パンの需要が増えて、紀元200年ごろに世界初のパン屋が誕生しているローマ市内にある多くパン屋には大規模な設備が必要になった。1世紀のポンペイ遺跡のパン屋のパン窯では直径20cmのパンが一度に130個も焼けるそうだ。構造、使用法とも現代の薪用パン窯と変わりがない。もちろん、今は電気オーブンが主流ではあるが。



「④焼く―発酵パン」 ~ぱんれぽNo.13~

2007年03月26日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
次に、醗酵パンの焼き方を見てみる。
醗酵させてから焼くというふっくらパンのはじめのアイデアは、あるエジプト人の失敗から生まれたという。こねた生地を忘れて何日か置いておいたらふくれて、いい香りがし、それを焼いてみるとおいしいことがわかったのが始まりのようだ。おそらく空気中の酵母がその練ったコムギ生地の中に落ちて、時間をかけていろんな酵母菌や微生物の働きで、自然発酵したのだろう。(アルコール発酵以外にも、乳酸醗酵で乳酸が作られたり、小麦のたんぱく質がアミノ酸に変わったりする。)まさに天然酵母のパンと言える。
彼らは前からカユとビールを作っていたので、そのうちコムギ粉に混ぜたビール酵母種で醗酵させてから窯で焼くようになり、それが厳密な意味での最初のパンとなった。

古代エジプトの製パン技術はその後ギリシャ、ローマへと伝わり、そのたびに発展を遂げた。そしてやがてオーストリア経由のドイツと、フランスへの2種類のルートでヨーロッパ各地に広がっていった。
ちなみに、人類史上初の調合酵母菌はギリシャ人の発明だ。前日の残り生地を種とすることに満足せず、彼らは新鮮なぶどうとホップを用いて、ジマと呼ばれる種を培養した。


「④焼く―平たいパン」 ~ぱんれぽNo.12~

2007年03月25日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
これらを通して見ていくと、平たいパンにはいくつか共通点が見つかる。

◎サチやサージが重宝されていることからもわかるように、パンの厚さは燃料の量によって決まる。森林に恵まれているところでは、木を燃やして、薪をどんどんくべられるから、その置き火の中にパン生地を入れて焼いたり、石の下で木を焼いて石を熱し、その石の上で焼いたりしていたが、反対に燃料に乏しい地域では、平焼きのパンが焼かれてきた。

◎おかずと一体で食べる
西欧の醗酵パンは、内部に無数の気泡をふくみ、厚みがあるので、おかずと一緒にするには、切れ目を入れるかスライスしてから、おかずをはさんだり、のせたりすることになる。おかずに水分があると、やわらかくふくらんだパンの中身に吸収されて、パンはおいしくなくなる。しかし平焼きの場合、スライスしなくてもすでに薄い。しかも表面は焼いている間に水分が奪われ、目のつんだ皮が形成されるので、多少の水分は、短時間には影響を受けない。そのため平焼きは煮込んだおかずも巻き込んだり、はさんだり、のせたり、あるいはピザのように焼く前におかずをのせておいたり、パンでおかずを包んでからさらに油焼きしたりする。こうしたパンとおかずの豊富な組み合わせは、パン用の穀物や、野菜、乳製品に恵まれた環境があってこそ生まれるものである。
それに比べ、厚い醗酵パンの地域では、パンとおかずは別々に食べる習慣があった。というより、中世のアルプス以北の食生活では、おかずと言えるようなものはほとんどなかったし、上層でさえ、豆のスープや焼いた肉くらいだった。そのような状況では、パンをおかずと組み合わせて食べることよりも、パンそのものをおいしくすることを考えた方がよかったのだ。
平焼きを食べる世界にはスプーンもフォークもない。パンを使って食べ物をつかんだり、掬い取ったりする。そのうえ、皿も要らない。パンの縁を土手のように高くすれば、多少汁気のものも入れられるから、パンは食べられる皿だ。ゴミも汚水も出さないエコロジカルなパンといえる。

◎豊富なバリエーション
中国の春巻きの皮だって、平焼きの部類に入る。
フランスのクレープを、コムギの取れないノルマンディー地方の農民はソバ粉で焼く習慣があったが、ブルゴーニュではこれが牛乳や卵入りの復活祭の菓子として焼かれる。中に入れるジャムや果物やおかずも、様々だ。
平焼きは、組み合わせ次第で食べるシチュエーションも変えることができる。


私たちは、ふっくらしたパンよりも、平焼きのほうが原始的なものと考えがちだ。確かに、スイスの遺跡の下のほうから発見されたのは平たいパンだが、無醗酵パンは未発達ではないし、ぺちゃんこは未熟を表すものではないのだ。
また、パキスタンや中近東で無醗酵パンが食べられているのは宗教上の理由からである。彼らの精神生活の中にはふっくらしたパンを食べるのは贅沢という認識があって、人間を堕落させると考えられているのだ。



「④焼く―無発酵パン」 ~ぱんれぽNo.11~

2007年03月24日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
>無醗酵パンはさらに焼く設備によって、3種類に分けられる。
(私にとってなじみのないパンには、説明もつけた)

Ⅰ平らな鉄板にのせて焼く。フライパンでもできる、最も手軽な方法。
・トルティーヤ(中米)・・・乾燥トウモロコシの粉を水で練った「マサ」を叩きつけたり回したりして円形に薄く伸ばしたものを、鉄板か素焼きの皿の上で焼き上げる。有名な食べ方は、手巻き寿司のようにいろいろなおかずを巻いて食べるタコス。
・フラット・ブロー(ノルウェー)・・・コムギ粉(全粒粉と普通粉の混合)をミルクと水と油脂でこね、一晩寝かす。これを直径70cm~1m、厚さ1mmに均等に伸ばし、面貌にゆるく巻き取って鉄板の上に広げ、2分間焼く。乾燥させておくと1年保存できる。(噛むと口の中が切れそうに薄く、堅いらしい)
・クレープ(フランス)

Ⅱ直火のうえに凹面の鉄板をのせて焼く方法。
・チャパティ(インド、パキスタン、ネパール、アフガニスタン、イランなど)・・・コムギの全粒粉にオオムギ、トウジンビエ、シコクビエや大根おろしを混ぜたりもする生地を円形に薄く伸ばし、内側が軽くくぼんだ鉄板で片面ずつ焼く。焼きあがったものをさらに炭の上にじかに置き、一瞬ぱっとふくらませ、中の水分を一気に蒸発させることもある。食べるときは一口大にちぎって、親指、人差し指、中指で円錐形に丸め、カレーの煮込み料理などをその中にすくって口へ運ぶ。
・餅(=ピン)類(中国)

薄く、大きく、きれいに焼き上げるには高度な技術を要する。
次は、私たちにはなじみが薄いが、とても便利な設備を使う方法だ。

Ⅲ直火のうえにサチまたはサージという凸面の鉄板(大きさは様々で、20cm~1m)をかぶせ、そのうえで焼く方法。サチ・サージはエジプト、パレスチナ、シリア、トルコ、イラク、イラン、北パキスタンなど、広域に普及している。これさえあれば、どこでもパンが焼けるため、とくに遊牧民には必需品である。
凸面の内側で火をたけば、熱が均一に伝わり、外へ逃げにくいので、燃料の無駄がない。(しかもひっくり返せば煮物もできる。)
・フブス(シリア)・・・一晩寝かせておいたコムギ粉の生地を、腕を軸にして回して叩きつけ、遠心力で薄くきれいにし、熱したサージで焼く。パセリや青菜類を芯に巻いて、弁当にしたりもする。
・ユフカ(トルコ)・・・フブスと違うのは、2、3人がかりで一週間分まとめて一度に100枚上も焼くことである。3ヶ月間保存できる。4角に折りたたみ、サラダや白チーズなどを包んで食べる。マッシュポテトとみじん切りタマネギとパセリを混ぜたものや、卵、ホウレンソウ、チーズを包んで油で焼いたものはボレックという。冷めてぱりぱりに堅くなったユフカは食べる前に水を打って湿らせておく。
・タンナワ-(イラク)・・・ユフカ、フブスよりも薄く、直径は50cm以上もある。熱いうちに折りたたみ、おかずを包み込んで食べる。
ヒマラヤ奥地、カフィリスタンの住民は、この生地を手で掬い取って、指の間から垂らしながら鉄板に広げる。
※アプフェルシュトゥルーデル(オーストリア)は人気のパイ菓子。これもタンナワ-のように、薄く薄く伸ばした生地に薄切りのリンゴを散らし、くるくると巻いてオーブンで焼く。

オーストリアでは普段醗酵パンしか食べないが、この菓子は、首都ウィーンを通じて東方の無醗酵パンの影響を多分に受けたものだ。

このように、薄い無醗酵パンは、春巻きや菓子のように、バリエーションが無数にあり、おかずの一品や菓子に応用が利く。


「④焼く―無発酵パンと発酵パン」 ~ぱんれぽNo.10~

2007年03月23日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
<無醗酵パンと醗酵パン>
無醗酵パンは「肥沃な三日月地帯」と南方のエジプトや東方の中国に至る国々で食べられている。
醗酵パンには2種類ある。ひとつはごく薄くて平たいもの。これは無醗酵パン地域と混在していたり、隣接する地域にある。
もうひとつは、ころんと厚みのあるもの。これは欧米にある。日本人にもっともなじみのあるパンだ。

欧米は森林があって薪が豊富なので、パン窯が使えたし、コムギの種類もグルテンの含有量の多いものが育つ気候環境だった。
パン窯の高温で焼けば焼成時間が短くてすむため、水分の蒸発量を抑えることができ柔らかさが保たれる。それにグルテンの力が強ければ、パン生地が醗酵中に出す炭酸ガスを生地の外に逃さない、弾力のある膜ができるから、気泡を多く抱いたパンができる。

それに対して中近東やアジアの無醗酵パン地域では、コムギのタンパク含有量が少ないうえに、コムギ以外にこの地域に多いオオムギやエンバク、雑穀のアワ、キビ、トウモロコシなどの穀物などでもパンを作るので、ふくらまなくて無醗酵パンになる。無醗酵パンは気泡を含んでいないため、厚くすると、石のように堅くなり歯がたたなくなってしまうから、必ず薄く焼く。生地を薄く伸ばすには、生地を寝かせておかなければならない。そのため、だいたい前夜にこね、翌朝焼くという習慣である。
このパンはふくらまないので平べったい形をしているため、一般に「平焼き」と言われている。