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ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

「④焼く」 ~ぱんれぽNo.9~

2007年03月17日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
④ 焼く
この工程にたどり着いて、やっとパンと呼べるものが出来上がる。

スイスのビーラー湖岸にあるトゥワン遺跡からは、種々のパンの断片や完全な形のパンが出土している。この遺跡の文化層は3層あって、紀元前3830~3760年の下層からは壺入りの穀物のスープ・壺入りの醗酵した粗挽きカユ・ツブガユの保存食が、紀元前3700~3600年の中層からは少し醗酵させた灰焼き・窯焼きの平焼きパンの断片が、そして紀元前3600~3500年の上層からは完全な形の5500年前の気泡の多く入ったパンが出土している。

初めてのパンは、穀物を粗く砕いて作ったガレットと呼ばれる平焼きパンだった。
原始的なパンはカユとは違ってぱりぱりしていた。
種を使わず醗酵もさせていなかったこのガレットは、初期のパンのなごりで今でもトルコ、ギリシャ、レバノンなどで作られている。

パンは、熱する設備の種類で分類できる:
・無醗酵パン-Ⅰ平鉄板――――トルティーヤ、クレープなど
       Ⅱ凹面鉄板―――チャパティなど
       Ⅲ凸面鉄板―――フブス、タンナワ-など
・醗酵パン――Ⅳ円筒型――――ナン
       Ⅴ変形丸天井型―ピタなど
       Ⅵかぶせもの(釣鐘型など)――ポガチャ
       Ⅶ丸天井型―――食パン、フランスパンなど
       Ⅷその他――――蒸しパン、揚げパンほか

熱し方は、熱する生地が無醗酵か醗酵かの2種類で分けられる。


「③水でこねる」 ~ぱんれぽNo.8~

2007年03月16日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
③水でこねる
さて、ムギを挽いて、摂取したい栄養分だけを確保できたが、その粉を加熱したとしても、そのまま食べればむせてしまう。そこで、人々は粉を水で練ってだんごのように形にして焼いたり煮たりして、噛んだり呑み込んだり出来る状態にすることを思いついた。


「②粉にする」 ~ぱんれぽNo.7~

2007年03月14日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
こうしてムギはフスマも胚乳も砕かれてしまうのだが、フスマの方はきめが粗く、胚乳の方は細かくなるので、これをふるいにかければ粉が下に落ちる。
古代人の考えた木の実や穀物の中身を取り出す方法は、それを平らな自然石の上に置き、別の自然石を手に握って、身を叩きつぶすことであった。次第に自然石を加工し、改良を加えて道具が出来上がる。深鉢状の石臼と棒状の石杵は、まだ土器のなかった旧石器時代の終末期(紀元前15000~8500年)からすでにパレスチナで出土があるから、ムギの起源地オリエントでも既に粉にしていたことがわかる。

イスラエルの遺跡からは、搗き臼と磨り臼の2種類の石製粉砕用具(石臼)が発掘されている。はじめは杵で上下についていた。これは、コメやアワ、キビなどの皮を擦り取るには適しているが、コムギのような皮の硬いものには、搗くよりすりつぶす方が効率が良いので、すり石を前後に動かすサドルカーンを使っていった。
次の段階がロータリーカーンと呼ばれる回転臼で、紀元前1270~750年のトルコ東部の遺跡から出ている。これは、上石を下石の上にのせ、上下貫通させた心棒を中心に、上石を手で回しながら、上下の石の間にあるムギを挽くという仕組みである。この上石は持ち上げる必要がないので、大きくすることができ、大きくするとその重みで粉はよく挽ける。
ここまでくると、人類はより楽に効率よく挽くにはどうすればよいかを考えるようになる。人力(奴隷)や畜力(ロバ、馬)から、水力、風力利用、さらには電力へと発展するわけだ。

麦を挽くことの発見という出来事は、歴史学者、人類学者、社会学者たちに各方面からその重要性を指摘されている。麦をつぶし、粉にするという行為は、人類の産業、技術史にとって大きな転換点の一つになったのであり、現代はそれによってもたらされた食糧革命後の、新しい文明への歩みの延長線上にあるのだとも言われているのだ。

ちなみに、古代ローマ人は穀物の種類と女奴隷に挽かせた粉の精白度によってパンに名をつけていた。奴隷と最底辺の農民が食べる全粒コムギとふすまから作るパンはパニス・ソルディドゥス。粗いふるいにかけ、ふすまや胚芽の残ったコムギ粉で作るパンはパニス・プレベイウス。質はまだ劣るがもう少し運の良い者が食べたのはパニス・セコンダリス。そして貴族向けの高級パンは白く歯ごたえがやわらかいパニス・パラティウスという。


「②粉にする―コメとムギ」 ~ぱんれぽNo.6~

2007年03月13日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
② 粉にする
パンを作るには、生の穀物をまず粉にしなければならない。
パンは、コメに比べてだいぶ手間のかかる食物だ。粉に挽いても、その後でこねて、伸して、まるめて、高温で焼き上げないと口にできないのだ。新石器時代の人々がカユを作るのにさえ、ムギを石でつぶしさないといけなかったのはなぜだろうか。
理由は、コメとムギの植物の構造を比べるとわかる。

<コメとムギ>
ムギの穀粒はでんぷんを主成分とする胚乳、胚芽、それらの外側を取り巻くフスマ(外皮)から成り立ち、さらにこの穀粒を殻が包んでいる。殻は食べられないから、穀粒だけを取り出す。この作業が脱穀である。フスマは繊維質やビタミンなどは豊富だが、硬くて不消化なので、これもこすり取らなければならない。よって、ヒトの食糧に必要なのは、でんぷんやたんぱく質に富んだ胚乳で、粒全体の70~75%を占めている。
コメの場合、もみがらを取り除いた粒が玄米。これは薄い皮をかぶっている。この皮(糠)はつくと(精米すると)簡単に剥がれて内部の胚乳(白米)が壊れずに粒の姿で現れる。コメの皮は薄く、胚乳はとても硬いからだ。粒のまま食べられるのならそれが一番手っ取り早いから、日常食ではコメをわざわざ粉食する習慣がないのである。
ところがムギの場合はコメと反対に、外側の皮がとても硬くて、内側の胚乳がやわらかい。胚乳を取り出すために何層も重なる硬い繊維質の皮を擦り取るために搗いていると、粒全体が粉々になってしまう。だからどうしても、粉にする過程を通らなければならないわけだ。


「①穀物―白パンと黒パン」 ~ぱんれぽNo.5~

2007年03月12日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
<白パンと黒パン>
4種のムギの特性を紹介する。
・コムギは経済的生産のためにはセ氏14℃以上が必要であるが、秋播き種、春播き種があるので、栽培地に出穂条件の適したほうを選ぶことが出来る。また乾燥に強いもの、湿潤な気候に強いものなどなど、幅広い順応性があるので、栽培地域は広く、世界最大の穀物生産量を誇っている。コムギ粉は色が白いので、白パンが出来る。(ちなみに「小麦色の肌」というのは、コムギ粉の色ではなく、稔ったコムギの穂の色を指しているそうだ。)
・ライムギはコムギに比べ、耐寒性に優れ、セ氏-25度以下の所でも越冬でき、痩せ地でも容易に生育する。しかし栽培地域は限られており、現在ではロシア、ポーランド、北欧、ドイツ、オーストリア、スイスといった国々である。ライムギパンは色が黒いので、黒パンと言われる。
・エンバクはカラスムギ族で別名オートムギ。パンのほかカユ(オートミール)の原料にもなる。ライムギよりさらに厳しい自然環境下で生育する。北フランス、スコットランド、アイルランド、アルプス山中から北欧でも北緯60度から69度まで、アフリカでは南緯40度、標高は2800メートルまで栽培できる。特にコムギやライムギの育たない地域では、パンやカユの好材料になっていた。エンバクパンはコムギを少量混ぜるが、それでも煎餅のように薄く、色は薄黒いので、黒パンの部類に入る。現在ヨーロッパでは廃れてしまったが、第二次世界大戦後まで、前記地域の主要な食料であった。
特に、アルプス以北の人々は1950年頃まで自給自足の生活を送っており、もっとも収穫量の多いエンバクのパン(ドイツ語では「ハーファークーヘン」、スコットランド人もよく食べていたが彼らは「オートケーキ」と呼ぶ)を日常多く食べ、ライムギパンはよりおいしいもの、コムギパンは年に一度の復活祭のお楽しみだったという。エンバクは、オーブンの余熱の中に入れておかないと水車で挽くこともできない程硬い。エンバクやライムギのパンにコムギを混ぜるようになったのは1950~60年以降のことで、人々は民宿経営や林業、酪農によって現金を得るようになり、自家栽培のムギではなく買った粉でずっとおいしいパンを食べるようになった。
しかし、エンバクはたんぱく質や脂質に富み、他のムギより栄養価が高いため、今日でも馬の飼料としてよく栽培される。(ちなみに、広島のバッケンモーツァルトというお菓子屋さんでは歯ごたえの良いエンバクのクッキーがとても人気だ。)
・オオムギはコムギに比べ生育期間が短く、耐寒性もあるので、コムギより高地、北方で栽培できるが、現在オオムギはパンにするより、粒のまま煮たり、ビールやその他の酵造原料、飼料に利用されたりしている。しかしメソポタミアでは、灌漑による塩害に強いため、パンの初期段階から新約聖書の時代まで、オオムギパンはコムギパンより庶民の間では一般的だった。しかし、コムギの生産高が安定するにつれて、しだいによりパンに適したコムギに取って代わられた。

このように、ムギ全体について言えば、それぞれ生態に違いがあるため様々な異なる栽培条件にも適応できて、広い地域に渡ってヒトの食用とされてきたし、また種類によって栽培に適した地域が異なった結果、素材の異なるパンの地域が発生したのである。その中でもパン用穀物には特にコムギとライムギに絞られていき、地域ごとに伝承されて、白パン地域と黒パン地域が生まれたのだった。


「①穀物―ムギ」 ~ぱんれぽNo.4~

2007年03月11日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
ムギ
パンの原料となるものはムギ、トウモロコシ、ソバ、そのほかキビやアワなどの雑穀、というように地域によりさまざまだが、このうちパンの素材としてもっとも優れているのはムギ、その中でもグルテン質に富むコムギである。
ムギにはコムギのほかに、ライムギ、エンバク(オートムギ、カラスムギ)、オオムギの4種がある。
コムギとオオムギは野生種、栽培種ともに、パレスチナ、シリア、イラク、トルコ、イランなど西南アジアの多くの遺跡から出土している。こうした遺跡群の年代測定から、チグリス、ユーフラテス河流域からパレスチナを含む「肥沃な三日月地帯」で起源したムギは、紀元前8000年頃にはすでにこの一帯で栽培かが始まっていたことが明らかになっている。古代メソポタミア人はオオムギやコムギのカユとオオムギのビールが好物だったいう。(この地は、ムギ以外にも豊かな植物性食料に恵まれていたため、世界最古の農耕文化の発祥地となり、後にオリエント文明が発達することとなった。なぜこの地だったのか、ということについては諸説があるが、どこかへ移住することによっては解決できない、食料資源の転換を迫るような、自然環境の変化説がそのひとつにある。また、長い目で見ると農耕は植物の種類を簡単化し、生態系を単純化する欠点もあり、後にこの地方を砂漠化していったのも事実なのだ。これは現代への警告かもしれないと、私は思う。)
一方エンバク、ライムギは、もとはコムギ、オオムギの畑に混入していた雑草であった。(現在でもアフガニスタン山岳部にはコムギやオオムギ畑に雑草ライムギや雑草エンバクが混じっているそうだ。)こうした雑草は、コムギやオオムギと一緒に刈り取られ、また一緒に播かれもする。栽培ライムギの成立は、冬や夏の気候に耐えられる強いムギとして、小麦の代わりに選択されたことによるものだ。冷涼地、痩せ地にも強い。エンバクは、岩だらけの土地でも育つさらに強い性質を持っている。「肥沃な三日月地帯」の紀元前7000年紀の遺跡で検出されている。

こうして、約5000年かかって農耕社会は定着し、「肥沃な三日月地帯」で栽培化されたコムギ類はムギ農耕文化とそれに伴う経済・社会の仕組みと共に、世界へと普及していった。


「①穀物」 ~ぱんれぽNo.3~

2007年03月10日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
① 穀物
後期旧石器時代と新石器時代の境目、15000年から8000年前頃は、文明と気候の大きい変動期であった。大部分の地域では、昔ながらの大型動物の狩猟に依存する生活が続いていたが、より小さな、よりバリエーションに富んだ資源へ移行し出した。
新石器人は狩猟生活をしながら、草原に野性の穀物を見つけては、摘んで食べていた。穀物の種類は、だいたいオオムギ、エンマ-コムギ、一粒コムギと言われている。(後にオオムギの栽培は何千年も続くが、一粒コムギとエンマ-コムギは姿を消すことになる。)
彼らは、収穫したこれらを貯蔵することを思いついた。地面に貯蔵用の穴を掘れば一年中食糧を蓄えることが出来る。こうして彼らは、ダマのあるどろりとカユをいつでも食べられるようになった。彼らはもみがらに覆われた胚乳を石でつぶしていたという。このような生活の変化は、テクノロジーの変化をも生んだのだ。植物を掘り起こす道具、野鳥を捕獲するわななどにともなって、小さい簡単整った石器が、世界各地で発見されている。
(この時代から材料の下ごしらえに道具を使って食べていたとは、粒のまま水で炊けば食べられるコメを食べていた日本人からすると、驚きだ。理由は②でまとめて説明する。)
そのうち、ヒトの居住地付近の環境になじむ雑草の中から、ヒトがより有用なものを選び、これを収穫しては、その種をまた耕地に播くようになった。この繰り返しが、耕作につながる。一年生で、収穫量が多く、生育環境の適応性があり、貯蔵しやすく、品種改良に適応しやすい植物が選ばれた。そして、食べやすいように、育てやすいように、徐々に改良されていったのだ。
去年、イタリアマルケ州で、古代コムギのパスタ作りに成功した。エジプトの古代遺跡から出土したコムギの種から始められた栽培は、同面積で通常のコムギの半分しか収穫できないし、高く伸びるため機械にかけられず脱穀は手作業、約30年かかってやっと最初のリボンパスタが生産された。(ちなみに、見た目もゆで時間も歯ごたえも普通のパスタと変わらなかったそうだ。)今と古代のコムギの性質がいかに違ったかがわかる。


パンの世界 「パンとは」 ~ぱんれぽNo.2~

2007年03月09日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
第一章 パンの世界

パンとは
一般的に言われているパンの定義を紹介する。これを見れば、パンがめしやもち、まんじゅう、うどんとはどこが違うのかわかる。
① 生の穀物を、
② 粉にし、
③ 水でこね、
④ 焼くと、
⑤ 固形物になる。

これだけ単純だからこそ、長い間、広い世界で、パンは食べられているのだろうし、バリエーションがたくさんできるのだろう。例えばこうである。
①穀物のほか木の実など、でんぷんの多い植物ならパンになる。ただしどれも生。
③水のほか、家畜の乳や卵、果汁などでもこねられる。
④焼く以外に、蒸す、揚げる、稀にはゆでるといった方法もある。ただし前記の方法で加工されたものに限る。
⑤出来上がりの形は丸、四角、薄い、厚いなど何でもいいが、ともかくかたまりである。

これらの工程ひとつひとつは、順を追って、古代から少しずつ、偶然と必然が重なり合って、確定されてきたものなのだ。



「はじめに」 ~ぱんれぽNo.1~

2007年03月08日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
はじめに

パンは、世界に最も広く普及しており、人々の日常生活と密接に結びついている食物である。
パンはなくてはならないものだから、食物、そして命の象徴と言われる。人々はパンを求めて大革命を起こしたこともある。時の権力者たちはパンとパン製造者を人質にしたこともある。パンが登場する法令ができたこともある。
パンは人間の魂に関わっている。パンは供物にもなる。日々のパン作りを、愛と信仰の行為と呼ぶ民族もある。
パンは大きな文化だ。パンは様々な分野から語られる。まだ謎に包まれた部分もある。パンを語り尽くすには相当な時間が必要だ。

パンがどうして生まれたか、どれだけの時間をかけて生まれたか、発祥はその土地の風土によって違う。パンのタイプは、その土地の自然環境からどのようなパンの素材(例えばムギの質やグルテンの含有量など)と燃料が得られるか、その土地の気候はパンの保存にどの程度適しているか、その土地の人々は定住者か非定住者か。こうした条件によって自然と決められてきたのである。現代よりも人々の生活は不便なだけに単純だったから、ルートをたどることは私にとってもそんなに難しいことではない。
それを調べることは、パンを作ることも食べることも大好きな私の、地理のレポートに最もふさわしいと思って、このテーマを選んだ。


『ぱんれぽ』 はじまるよ。

2007年03月08日 | ぱんれぽ~高2夏休みの自由研究
この前、去年の夏休みにがんばった地理のレポート「パンの世界 世界のパン」を先生から返してもらいました。
テーマを自由に選べたこともあって、とっても長いけれど、とっても愛着のあるレポートになったので、このままじゃもったいない!というケチゴコロから、ここに少しずつ載せていくことにしました。

表紙に使ったのは、インスブルックのパン屋さんの写真↓



「パンの世界 世界のパン」

目次

はじめに

第一章 パンの世界
パンとは
①穀物
 ムギ
  <白パンと黒パン>
②粉にする
  <コメとムギ>
③水でこねる
④焼く
  <無発酵パンと発酵パン>
  パン窯
  暖房を利用して
それから

第二章 世界のパン
☆ヨーロッパ
☆ロシア
☆東アジア
☆東南アジア
☆中近東
☆アフリカ
☆アメリカ大陸
☆オーストラリア

おわりに
参考文献