「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「思い出を拾い集めて」

2022年05月15日 | 思い出話

            

先日急逝した姉のその後の諸々や、住まいとしていた県営の集合住宅の最終始末など、複雑多岐にわたる作業がなかなかはかどらない。
喪主としての勤めは滞りなく果たしてはいるのだが、なにぶん、予測なき突然の終焉のため、姉自身の意思や希望など話しを訊いておく間もなかった。そんなわけで、数ある遺品の多くをどのように処理するのか、どの時点で最終処理業者に任せるのか、最終判断は私が下すことになるのであろうが、色々悩ましき日々でもある。

今日は、実の妹と、生前の姉の最も近くにいて親しくしていた姪らとともに姉の家の鍵を開け、少しばかり遺品の整理をした。
さすが女性の独り暮らし。あるはあるは、「これは何のために取っておいたのかねー」「まあ、こんなものまで引き出しにしまい込んで」などなど。また、こんなに豪華な装飾品をたくさん持っていたんじゃね、など弟の私から、というか男の眼からみたら、生活様式や日々の暮らしそのものが実に幅広く雑多であると同時に、きらびやかで華やかで優雅な生活痕がうかがえる。『女やもめに花が咲く』とは言い得て妙、まさしくその通り。

姪や妹が目を光らせるのはほかならぬ貴金属類である。都会暮らしが長かった姉の生活ぶりを反映した数々。その中からお気に入りの品々が自分たちのバッグに収められた。これもまた亡き姉への供養でもある。生前に愛用した思い出の数々を、縁深い人が受け次いで久しく活用することは、姉も望むところであろう。

それにしても84歳の突然死は早すぎる。おふくろさんなどは、84歳と言えばまだまだ現役でちんちろ衣料品店を切り盛りしていた。そして100歳を生きた。ま、人それぞれ、人生それぞれ。長いのが佳しとは言い難い。結局はそこそこ、ほどほどがよろしいようで。

 

 

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「山が笑って、五月雨に泣いて・・・」

2022年05月14日 | 季節の移ろい・出来事

                   

1年の中でも最もきれいな、山が笑う季節。
山頂にそびえる岩国城を盛り上げるようなお城山の全景。
一度は見ておきたい、一度は見せて上げたい季節の風物詩。ええでしょ!!左下には、長い竿を持った釣り人が一つのアクセントになって。
見慣れた光景なのに、やはり色艶やかな新芽が競う山肌。それを見上げるような、間近に迫る竹の秋が色を添える。

この景色にスマホカメラを向けたのは4・5日前のことである。
先ず先ずの写真だなと思いながらも、猛烈な忙しさに追われてブログアップもままならず、数日を過ごしてしまった。無沙汰を致しましたが元気です。
その間に山が笑いを収めかけると、こんどは五月雨続きで山が泣く日々となった。ホンの短い数日にいろんなことが重なったものだ。
出来るならこの忙しさから早く解放されて、自らの思いを遂げること、やりたいことに没頭したい気分にもなるが、世の中そんなに自分中心ばかりでは回らない。今しばらく辛抱するしかないか。

この眺めから左側200mに位置する錦帯橋の河原で行われる、夏の風物詩「錦川水の祭典」大花火大会は打ち切りとなり、楽しみな夏の行事が終わりを告げる。これもコロナ禍の負の影響の一つである。
こういった地域で主催する風物詩などがどんどん姿を消す。淋しい限りである。もちろんコロナ禍という現実問題もあるが、もっと大きな問題は人口減少である。産めよ増やせよとは言わないが、せめて彼女を求め、彼を求めて結婚しなさいよ、そして一人、二人子供を作りなさいよ、でなければ将来の日本はなくなるよ・・・などと考えるのも大袈裟かな。

ま、せっかくの最もいい季節なのだから、つまらぬ愚痴など封じ込めて、そろそろ産卵・孵化が始まるメダカさんの餌やりをわすれないよう、気持ちを鎮めて明日もまた楽しく・・・を心掛けよう。

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「ピンクに彩られて!」

2022年05月08日 | 季節の移ろい・出来事

     

5月の第2日曜日といえば母の日。母の日と言えばカーネーション。可憐な花。何色よりもピンク色が映えるこの日。
プロ野球もピンク色に彩られていた。打者の持つバットが鮮やかなピンク色。腕章や手首汗止めもピンク。主審のマスクもキャップもピンク色に染められていた。

投げて・打って・走って・捕って、泥んこの中に見せる白い歯の選手も、もちろんベンチにいる監督やコーチも、そして審判も、みんなみんなお母さんがいるから今ここにいる。
母の日とは、そういった奥深い思いが交錯し、何となく優しい心地になれる日でもある。
ただ残念なのは、私も妻も母と呼べる人はとうの昔に彼岸の人となった。孝行をしたいときには親はなし。

この日は、カーネーションを筆頭に色んな花が主役を務める。
花は花でも我が家の花は、今を盛りと咲き誇る「ジャガイモの花」である。葉っぱは青々生い茂り、花は見頃を迎えている。野菜の高騰が叫ばれる中で、見事に咲いたジャガの花に「早く大きくなって家系を助けて」と祈っている。となりの畑に成長するタマネギにも同じように哀願の目を向ける。

土の中で育つジャガイモは姿が見えない。葉っぱが茂り花が咲いても必ず根っこが豊作とは限らない。
でも、色んな高嶺の花が飛び交う中あって、地味ではあるが実益を兼ねたジャガの花。これはこれで可愛くて綺麗なもんだ。

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「いきなりの喪主さん」

2022年05月05日 | 家族・孫話

               

すぐ近くに住んでいる4才違いの姉が、まさに寝耳に水、突然あの世に召された。享年84歳1か月。
84才1か月の生涯が長いのか短いのか。早すぎるというには少し無理があるかな。遅すぎるというには、人生100年時代ともいわれる今、少しの違和感を覚える。ま、人それぞれの考え方にお任せするとして。

2週間前に直接会って話もしたし、特に変わった様子もなく「また来るね」「気を付けようね」などと、いつも通りの軽い会話で別れた。
年なりに足腰が弱っていることもあって、重い物の買い出しは絶対に無理をしちゃいけん。遠慮せんと電話しんさいよ。などと、どこにもある普通の姉弟と同じように力を貸したり知恵を借りたりの生活であった。

ただ、近い将来の身の振り方を真剣に考える時期が見えつつあった。その時は弟である小生が、最大の知恵を絞ってでも人並みな老後を送らせたい、などと少しの心配もしていた。そんな矢先、何の前触れもなく突然、自室のベッドに横たわる形で静かにその生涯を閉じていた。もちろん自死などではなく、他からの影響を受けた形跡や事件性など全くない。最終的医師の判断では「高齢による心臓発作」という診断。という警察署刑事課の担当刑事さんから説明を受け、我が家に引き取ることになった。

家族を持たない姉。身寄りと言えば、血統の一番近い実弟の私が身元引受人であり、喪主ということになる。
なんの前触れもなく、何の予備知識もないままいきなり仕立てられた喪主さん。いささかの戸惑いを感じながらも、山の神の記憶力や姪っ子の知恵などにたすけられて、当面の儀式やお弔い一式を滞りなく終えた。まだこれから、住居の後始末、生活用品の処分など、実質的な大仕事が待っている。

人の一生には様々な事情があり、ドラマがあり、計り知れない運命もある。同じように、人生の幕切れ、一生の終わり方も千差万別、思いがけないドラマの主役になったりする。
生涯の半分以上を独り身で生きて来た姉が、幸せであったか不幸せであったのか。それは本人以外誰にも分らないし、憶測でものを言うのは失礼である。この目で見る限り、大きな幸せではなかったかもしれないが、不幸であったとは決して思わない。いうなれば、ごく普通の一生であった、と思っている。

即席喪主を何とかこなした者の思いとして一つだけ。「人の一生諮り難し、今日とも知らず明日とも知らず」。周囲とつながりを持ち、声を掛けたり掛けられたり、複数の人と一緒に生きていくことも大切だね~というのが正直な感想である。

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「5月3日、憲法記念日」

2022年05月03日 | ニュース・世相

              

またまた訪れた5月3日、憲法記念日。
この日が来ると必ずと言っていいほど、世論が二つに割れる。ジャーナリズムもここぞとばかりに割れる世論を煽る。改憲か護憲か、と。
改憲論者には改憲論者の意見と理由がある。護憲論者には護憲論者の意見と理由がある。当たり前のことだが。

どっちが正しくてどっちが間違っているという結論に達していいのか迷う。それぞれに言い分はある。どっちも正しくてどっちも欺瞞に満ちている。などと言い始めると全く人の言ってることが素直に信じられなくなる。有識者と呼ばれる人の言うことが全て正しいなどとはとても思えない部分もある。
ある人が改憲を唱えれば、あからさまに「右傾だ」「好戦論者だ」という。ある人が護憲を唱えれば「全くだ」「正しい選択だ」という。
但し、どこの世界でも、何がしかの決まり事にしても、時代が流れれば価値観が変わってくる。時代にそぐわなくなるってことはある。

ただただ死守していればそれがベストとして世界に通用する時代が続く間はそれでいい。時代が変わり為政者の意識が変わり、モラルとか人間尊重、国際秩序厳守、などという基本線が守られる、守らせる保証がある、というなら何も心配しなくていいし、改憲だ護憲だと目くじら立てることなどない。

ただ、個人としてどう思うのか、どう考えるのか、という基本線では5月3日を「子や孫たちの将来を考える記念日」として胸の中で大切にしたい。
突然に、理不尽に、我が生命と主権に危機が差し迫ったとき、本当に我が身を守るのは誰か。自分なのか、他人を頼りにするのか、絵に描いた餅のような絵空事で解決できるならいいのだが。ウ~~ン!難しい!! そんな今年の5月3日ではある。

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「5月あれこれ」

2022年05月01日 | 季節の移ろい・出来事

      

1年の中でも、目に優しく気持ちにほんわかを与え、なんとなく優しくなれる最もいい季節。そんな5月が今日からスタート。
ざっと数えただけでも色んなことが思い浮かぶ、表情も豊かな5月。皐月の空の吹き流し、さっぱり気分にさせてくれる。

初日の今日は、世界中の働く人のお祭り「メーデー」と呼ばれる。遠い昔に、職場の若手として労働組合から指名されて、大通りを行進するプラカード要員としていっぱしの労働者の代表みたいな、いい意味の錯覚で自己満足したことをふと思い出している。

世にいうゴールデンウイーク3日は憲法記念日。吾輩がこの世に生を受けて5年後に日本国憲法が発布されたの日が5月3日である。それを記念して1年後に国民の祝日「憲法記念日」が制定された。戦後3年しかたたないうちに発布された憲法が、本当に我が日本国の憲法なの?という小難しい議論はここではさておくことに。
そして5月4日がみどりの日、5日が子どもの日と続く。そうしているうちに神さんの誕生日、母の日あれこれ盛りだくさん。

いずれにしても、山肌を彩る萌え出る新緑。盛り上がる新芽。このグラデーションが山笑うと評される。この季節ほどいいものはない。好きである。何かしら気持が逸る。文章の一つも書いてみたくなる。そして2週間後には、あの手術・あの入院生活開始から半年が経過する。早く肩の痛みを忘れたい。

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