「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「命を燃やして」

2012年10月21日 | 季節の移ろい・出来事

        
                   今を盛りと咲く、山肌の琉球朝顔

何らかの形で多くの人が苦しめられた今年の猛暑・酷暑・雨不足。
米とレンコンはさほど影響されないようで、例年並みかそれ以上の出来栄えのようだ。
但し、露地物の花、たとえばアサガオなどは大きく悩まされた部類のひとつ。

夏休みに入る前は順調に咲き始めたものの、肝心な朝顔観察をする夏休みに入ったとたん、花の数が極端に少なくなり、その後も先細り。
今年はこれで終わりか、と気をもませた。朝顔に限らず、テッポウユリの開花も遅く、ホテイアオイに至っては、最初の1本から次が咲くまでに随分な日数がかかった。

秋に入り、そろそろ金木犀のあの香りを期待するのになかなか咲かない。
と思ったらほとんどつぼみが付いていないではないか。金木犀アレルギーの娘が嫌がるほどに毎年咲く我が家の大きな木に、それこそ申し訳程度の小花がそこここに。
芳香と言える香りも発してくれない。明らかに雨不足の影響である。

カー君と散歩の道すがら、国道沿いの山肌に自生する琉球アサガオの、見事な満開を見せてもらった。本来ならこの時季は、来年に備えて衰えを見せる頃である。
それなのに、まさに今が見ごろの花いっぱい。
ここでも、本来のアサガオの季節である夏の盛りには、雨不足の日照り続きで花を咲かせるのを抑えていたのに違いない。でも晩秋を迎える今頃ではあっても、ちゃんと自分の持ち分は今年のうちに咲かせようと努力しているように見える。

人間も植物も、生きとし生けるもの全てに、与えられた命は燃え尽きさせるように出来ているのか、とさえ思わされる。つまり、たとえその時季が多少狂ったり、相前後しても、最後には、持って生まれた命、天から与えられた命は燃え尽きさせてくれるようになっているのだろう。

生きている間は全てにおいて道半ば。まだまだ先がある。特に人の一生は。
与えられたこの命、一回こっきりの人生、もっともっと燃やしてみたくなる。

コメント
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