「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「電話の向こう」

2009年11月06日 | つれづれ噺
人間にはお互いの意志を伝え合う言葉がある。
顔を合わせて、その時々の表情・顔かたち・顔のかげり…など目でも感じながら交わす言葉には、相手が言わんとすること以上を読み取れる安堵感がある。

表情の見えない電話はどうなんだろう。
声の調子、強弱、張りのありなし…など、一方的に耳からはいる情報だけで全てを判断しようと努力する。もちろん、話の内容に沿って電話の向こうの様子や態度までをキャッチしようと試みる。そこには、表情が見えない分、不安がある。

「モシモシ…○○ですが…」「お待ち下さい」暑いもなければ寒いもない、お早うももちろん今晩は…もない。こちらの名前を聞いただけでいち早く本人と替わる。

手間がはぶけていいには違いない。が、そこには人間らしい血の通いが感じられないのは淋しいものだ。全く初めての相手にでも「どちらの○○さんでしょうか…」くらいのことは聞く。それが、相手が分かっているからといって即座に「お待ち下さい…」となると、悪いことでもしているような引け目さえ感じてしまう。

そこの家は、というかその奥さんに限ってはこれが唯一の応接方法なのだろうから諦めるしかないが、ご主人様は気のいい話し好きのお友達なんだよな…。
でも奥さんにとっては、「また悪友からの電話か…」ということになるのかな。

まあいいや、奥さんに話があるわけじゃない。取り次ぎだけで充分か。
と思いつつ、電話の向こうに何がある?電話のこちらに何がある? 見えない分だけ言葉による余分な配慮が要るんじゃないかな…と独り言。

“人のふり見て我がふり直す” 頼むよ、男の値打ち 下げないでよね…。
コメント (14)
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