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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「粋な別れ」

2008年12月07日 | 季節の移ろいの中で
♪“いのちに終わりがある 恋にも終わりがくる 秋には枯れ葉が小枝と別れ~…”♪♪
いかにも物悲しい秋の風景、そして恋の終わり……。
あまり好きな光景ではないが、受け入れざるを得ない現実の風景である。

夜来の荒れた木枯らしで、足下に黄色のジュータンを敷いたような桜の葉っぱ。
それでも、必死に小枝にしがみついて、別れを認めようとしない葉っぱもある。
見事な散り際を見せるも良い。まだ残っている生命力の限りを尽くそうとするのもまた良い。

演歌大好き人間にとって、またまた大きな星がこの世から消えた。惜しい・実に惜しい。
作詞・作曲家、遠藤 実氏の逝去の報に接した。
愛唱歌というか、レパートリーの中に何曲も入っている、偉大な演歌の巨匠であり、演歌文化の旗手でもあった。

これでまた一段と、演歌が衰退して行くのかと思うと、淋しいなー。
どことなく哀調帯びたメロディー、人間の優しさの原点が窺える詩情……どれをとっても心に響く歌の数々を世に送り出した。

あの木枯らしにも負けず、しがみついて生き残る葉っぱのように、もっともっと元気に活躍して欲しかったお一人である。 自分自身の気持ちも晴れて精一杯歌うチャンスがあれば、北国の春・すきま風・星影のワルツ・夢追い酒など、遠藤演歌を思いっきりぶっ放してみたい。 ひんしゅくを買わないように。


それにしてもこの秋から冬にかけて、実に訃報の多い年である。礼服が押入に落ち着くいとまがない。
今夜もまた、会社関連のお通夜参列。
万病の元といわれる風邪には何は置いても注意しないと、桜の葉っぱのように、木枯らしに吹き飛ばされそうである。

       ( 写真: 木枯らしに見舞われ、残り少なくなった桜の葉っぱ )
コメント (12)
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