「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「そんな昔も…」

2008年12月27日 | 思い出話
JRA日本中央競馬会、この一年を締めくくるG-1レース「有馬記念」が明日開催される。当たりはしないが、話のタネに参加してみたくなる。銀行に組んだ購入資金口座も、ジリ貧でいよいよ底を突いた。
取り返そうなどという大それたことを考えると深みにはまる。ほどほどに楽しむことに徹している。

昔昔のその昔、片田舎の少年が、サラブレッドを疾走させる競馬騎手、今で言うジョッキーにあこがれていたそうな。 住んでいるところが田舎ゆえ、近所の農家には農耕用の馬を飼っている家がたくさんあった。
馬に新鮮な草を食べさせることは、農家の一つの仕事でもあった。小さいときから馬と親しんだ少年は、中学校の頃には、農家の馬小屋から勝手に馬を引き出して、乗りまわりながら、新鮮な草を食べさせるのが日課になった。

あるとき、農家の一軒が、血統証付きの競走馬を購入して、少年を騎手にして草競馬に出場することを決めた。その頃少年は帽子に白線が入った高校生になっていた。どこかの厩舎に所属して本格的に騎手になる夢をふくらませておったそうな。

来る日も来る日も、馬と一体となって調教して腕を磨いていた。草競馬の出場枠も決まった直前になって、調教中の馬が突然路面に躓いた。前足の両膝を、皮がむけるほど擦り傷を負ってしまった。乗っていた少年は、稲穂の実りかけた田んぼの5㍍も先に放り出されたそうな。 少年はかすり傷一つなく無事だったが、馬は、一端膝を突いたら競走馬失格である。農耕にしか使えなくなった。

ついに少年の草競馬デビューが夢と散った。高校を卒業したら、一家の働き手を切望され、厩舎入寮の夢もついえたそうな。 人間、何が幸で何が不幸か分からないが、節々に運命のいたずらというのは付いて回るようである。

「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」と言われるように馬は自分の勘で人を見る。馬になめられたらなかなか乗せてもくれない。そこは午年生まれで、馬とのウマが合ったのかも知れない。
高らかなファンファーレに乗ってゲートインするジョッキーは夢に終わった。責めて今、G-1レースくらいは興味をもって眺めたい。  そんな昔もあったのだ……。

        ( 写真:思い出のアルバムから拾った、遠い昔話の一コマ )
コメント (10)
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