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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「見てきたような…」

2008年12月04日 | つれづれ噺
「講釈師 見てきたような 嘘を言い」などと、講談師が聞いたら怒りそうな川柳がある。
本物の講談をじっくり聞いていたら、まさにその世界に引き込まれ、この人は本物を見てきてしゃべっているのでは…という錯覚に襲われることがある。それほどにホンモノは熟練の技が光って見える。
講釈師にあやかって、こちらも見てきたような、ウソではない本当の話をしてみたい。

1981年2月というから、かれこれ28年も前に、向田邦子さんが雪の広島で講演をされたときの面白い話の抜粋である。

「本当の教養っていうのは・・学校を出たとか、外国語が出来るとか、偉そうなことが言えるとか言うんじゃない。人が思わず失敗したときに、優しい、しかも皮肉な、ピリッとした相手を傷つけない一言が言えることが本当の教養である…。」

日本語は複雑ではあるが表現が非常に豊かである…に続いて「日本語が簡単になることは、ことばが死ぬことです。使わないなんて、もったいない。めんどくさいけど、ことばを覚えて損はありません。だって、ことばをたくさん使って死ぬ人は豊かで、ことばを使わずに死ぬ人は貧しい人ですから。お金がないことが貧しいことではないのです」

「小説やエッセイを書くようになってから気付いたこと・・書くことばは、ことばを書いてしまってから、『言い過ぎた』『微妙に違ってきた』と思いますと、消しゴムで消すことができます。ところが、人を相手に喋ったことばは、一回口から出てしまいますと、『あ、いけないっ』と思っても、もう消せないんですね。消すために謝ることばがまた相手を傷つけて、もっともっと傷がおおきくなったりもします。ことばぐらい人を傷つけてしまうものは無い、と思うんです」

「人それぞれに色んなことばがあっていい・・上品であれ下品であれ、今日一日で一つでも、洒落た面白い言い方、人と違う言い方、ことばを覚えた、ということがあればいい。子どもが言葉を覚えるように、新しいことばを上品下品、ほどよく数多く、使いこなすのがいい……」

まだまだ多くの参考になる、ことばの使い方を、体験をまじえて熱くを語っておられる。
たとえ、取るに足らないブログでも、このような幅広い視野でことばを紡いで行かなければならないと感じた次第である。
実際に講演を拝聴したわけではない。見たわけでもない。しかし、さも見てきた如くに語るのが講釈師もどきの本分であろう。
参考にするぞー。 ありったけの図書カードを、向田文集に替えるぞー。
コメント (6)
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