花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

竹を生ける│大和未生流の稽古

2015-09-21 | アート・文化


今回は花材としての竹の話である。華道大和未生流に入門して以来、本年度の第二十七回いけばな展まで、流派の華展において青竹を花材に扱う機会を4回頂戴した。まずは下の写真を御覧頂きたい。竹の水揚げは難物である。或る程度の太さがある青竹は、我々の手に渡る前にあらかじめ専門家の手により、最底部以外の全節の中央を上から打ち抜く芯抜きの処置が施されている。そして竹の内腔には水が一杯に充填され、最上部の断端は紙の栓で密封されている。従って、必要な長さを決めて切り落とす際には、水を溜めている底となっている最下節を必ず残しておく必要がある。さらに花器に生け込んだ後は、上の切り口にいつも水面が覗くくらいに毎日水を補充してゆかねばならない。この注水を忘れると次第に青竹の変色が始まり、節の横からでている葉も萎んで枯れてくる。



昨年の華展では、上部の栓を取り忘れて注水を怠った竹があり、3日間の前期展示の終わり頃に完全に葉が丸まってしまうという失敗をした。これを教訓に、本年は無事に最終日まで瑞々しい葉を保つことが出来た。これまでの華展で竹に取り合わせた花材は、菊2回、秋海棠1回と秋草1回である。萩原朔太郎の竹の詩の一節、「地上にするどく竹が生え、まっしぐらに竹が生え」に詠われた如く、地表の竹はひたすら天に向かって伸びる勢いがある。添え花として、よく似た風情の真っ直ぐな花を合わせたならば、漢方で言うところの「肝火上炎」の花になる。一方、めりはりのない花々をなよなよと並べただけでは、竹の強さに霞んでしまって締まりのない足元になってしまう。こちらは例えるならば「肝陽上亢」の花であろうか。生け込みの会場でやたら周囲に響き渡る音を気にしながら、青竹を剣山に止めるべくかんかんと打ち付けていた時、身の程知らずに香厳撃竹の話をふと思い出した。修行もあやふやで御指導頂いたこともすぐに忘れる身ではあるが、何時の日か必ず、竹のいけばなというものを多少は見極めることが出来る日を迎えたい。

ところで当院駐車場の歩道に面した生垣は竹である。医者にとって不名誉な薮医者という言葉が世にある限り、医院に竹垣などはふさわしくないかもしれない。それでも私は清々しい竹が一番好きである。庭師さんに手入れをして頂いた後は、何時も歩道が一見で見渡せる程に、竹垣の枝葉がすかすかと涼しく漉かれている。向うが見通せない藪になってはいけないからと慮って、おそらくより一層、間引いて下さっているのに違いない。