昨日、愛犬のパクが逝きました。今日火葬して、いまは小さな骨壷の中です。
亡くなったのは6月27日午後7時半頃。門に寄りかかるようにして倒れていました。おそらくいつものように、私を迎えに門のところで待っている時に発作が起こり、心臓が止まってしまったものと思われます。私があと10分早く帰宅していれば、もしかしたら・・・。
パクが我が家に来たのは阪神大震災のあった1995年の5月。我が家の庭に置き去られた三匹の子犬の内の一匹でした。喧嘩してはいつも負けていた一番弱い子でした。一匹はいつの間にかいなくなり、一匹は他家にもらわれて行き、最後に残った子にパクと名づけ、家族の一員となったのです。
子供のいない私たちにとって娘の様な存在でした。
家内が事故で入院した際、寂しがっていたのを見かねて家に入れて以来、当たり前のように家に入ってきました。
大きな音が嫌いで、花火の音や雷に驚いて家に駆け込んでくる子でした。
雷雨を怖がり、離れの階段を上って私たちの部屋の前で鳴いていました。
勘が鋭く、散歩中300m以上離れた場所を母が通ると、喜んで駆け寄って行きました。
私が出掛ける際には門まで見送り、帰ってきたときには迎えてくれました。どんなに爆睡していても私が帰るときだけは起きて迎えてくれました。
車に乗るのが嫌いで、乗せると息が荒くなり、時には悲鳴めいた声をあげました。
2年前、下半身がマヒした際、数ケ月の寿命を覚悟したにもかかわらず、自力で歩けるまで回復し、無理のきかない足腰で跳ね回ろうとしていました。
昨年12月、急激に衰弱し、年内の最後を覚悟しましたが、回復し今まで一緒にいてくれました。
わたしがカメラに戻ったのはパクを撮りたかったから。動画を始めたのもパクを撮りたかったから。
後から家族に加わった猫の三太は、パクが苦手で、パクと目を合わせると硬直していました。そのくせちょっかいを出すのをやめようとはしませんでした。
家族として16年以上暮らしてきて、振り返れば次々と思い出がよみがえってきます。
昨夜はパクの亡骸に一晩添い寝しました。目を覚ますとパクが動いているような気がして、何度も目を覚ましました。
今朝、いつものように母はパクの朝食の缶詰を準備していました。私も、いつものように水を換えようとしていました。
朝目覚め、階下に降りたとき。仕事を終えて帰宅した時。パクの姿がないことに慣れるのにいつまでかかるでしょう。
本当に家族でした。パクの存在でどれだけ救われてきたでしょう。だから今言えるのは、
いままでありがとう
今まで生きていてくれてありがとう
やすらかにパク
本当にありがとう。