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三峡とは瞿塘峡、巫峡、西陵峡。途中で王昭君の故郷といわれるところに、彼女の白い像があったり、岩壁に「倭寇は出て行け」との詩や李鵬や鄒家華の書が写されている。
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カヌーのような小船に乗り換え、神農渓観光。少数民族が漕ぐ舟に乗り、両脇を岩壁で囲まれた小さな川を登っていく。滝があったり、黄色い彼岸花が咲いていたり、岸壁の上のほうに棺が埋め込まれているのも見える。少数民族の少女ガイドが歌を歌いながら説明してくれる。「ダムができて水位が上がっても神農渓の景観は変わらない。もっと奥までいけるようになるので、ツアーが面白くなるはず」と話していた。
その後、三峡ダムの工事現場に上陸。孫文がダムを発想して以来、ほとんどすべての政府高官は反対していた中で、モスクワ動力学院で水利を勉強した李鵬だけが建設に賛成、長老たちを説得して回ったという。「李鵬首相のおかげでこのダムはできた」。悪口でなく李鵬をよくいう中国人をはじめてみた。
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翌朝、宜昌に着くと、タクシー運転手が手ぐすね引いて待っている。我々以外はみな団体ツアーなので、バスで行ってしまった。しょうがないからタクシーに乗り、三遊洞を見る。
その後、三国志で関羽が城を築いたという荆州へ向かってもらう。高速道路はきわめてゆっくり運転、「安全運転だ」というが、イライラした。荆州に着くとバスターミナルを確認して切符を買った後、昼食、城壁や博物館でミイラを見てバスで武漢へ。