ミュージカル蝶々さん
07年6月17日
シアター1010 1階15列目ほぼセンター
あらすじ
コレル夫人(剣幸さん)はプッチーニの描いた「蝶々夫人」の中の蝶々さんが本来の姿ではなく、異国趣味と東洋蔑視で変えられてしまったことに心を痛めているので、本当の話をしたい。そう言って幕が開きます。
アービン宣教師(戸井勝海さん)と妻のコレル夫人は長崎に赴任してきた。母に死に別れ、間もなく女郎宿に売られていく蝶々さん(島田歌穂さん)がコレル夫人にお手伝さんとして働かせて欲しいと頼みにやってくる。コレル夫人は手は足りていると断ってしまうが、蝶々さんのことがなんとなく気になっていた。お祭りの日に笛を吹く蝶々さんと再会。蝶々さんがコレル夫人に笛を、コレル夫人が蝶々さんに英語を教えることになった。
蝶々さんの辛くとも前向きに生きる姿に周りの人は心惹かれる。書生の木原(山本匠馬さん)もその一人だった。ある日、蝶々さんがコレル夫人に身の上話をしているのを聞き、驚く。なぜなら、武士であった蝶々さんの父を、殺した集団の一人が自分の父だったからだ。「敵を討て」という木原に、蝶々さんは「過去のこと」と言い、木原を許す。
アメリカの海軍士官と結婚する女郎たちが多かった。蝶々さんも見初められ結婚することに。幸せ一杯の蝶々さん。コレル夫人も喜ぶが、不安もあった。しかし、あまりに幸せそうな蝶々さんに言い出すことが出来ない。
いつ戻ってくるとわからないまま艦船は長崎を後にする。
蝶々さんは子供を産む。ますます不安になるコレル夫人は、蝶々さんの相手が未婚であったかを調べると、アメリカで結婚していたことがわかる。不安的中である。
艦船が再び、長崎へやってきた。しかし、蝶々さんの夫は家にやってこない。やってきたのは妻のケイト夫人(小野妃香里さん)であった。子供を引き取る、と申し出た。拒む蝶々夫人。
ケイト夫人は「夫は、蝶々さんは人形のようだったと言っていたのに、こんなにしっかりした女性だとは・・・」と言ってしまう。
蝶々さんは、「自分が誰のおもちゃでもなかったという証明をしなくては」と自害してしまう。
ちょっと雑なあらすじです。すみません。心に残るとてもステキな台詞がたくさんあったのですが、やはり一回の観劇ではなかなか覚え切れません。
感想です。
舞台の構成、音楽は本当に素晴らしいと思いました。
キャストも実力派揃いですから、当然の満足度かとも思いますが、舞台づくりの妙を感じました。
例えば、本来向き合ってやりとりしている会話であるにもかかわらず、互いに正面を向いて会話をしていたり、一人は相手を見ているのに一人は正面を向いていたりします。二人の距離感や気持ちのすれ違いを視覚から感じ取ることが出来るので、不自然には感じないのです。かえって、一人が台詞を発したときに、もう一人がどうその言葉を受け取っているかが良くわかるので、舞台に引き込まれる感じがしました。
セットの変更がなくても、アンサンブルの方たちのご活躍で、場面にいろいろ変化があり、とても楽しめました。振付もとてもおしゃれで、すっきりしていて、上品だなぁと思いました。後で振付はどなた?と見たら麻咲梨乃さんだったんですね。いつもながらに、舞台を盛り上げ、主役の感情を観客に伝える助けをそっとして下さっていると感じました。
キャストでは、コレル夫人の剣さんが本当にステキでした。包み込むような優しさが溢れていました。日本人と西洋人がかかわる舞台では演じ手はすべて日本人ですからその違いを表現するのが難しいというか、違いがわかり難いことが多いのですが、剣さんは立ち姿や声のかけ方などで、西洋人の雰囲気をとてもはっきりと表現していたと思います。
また、主役の島田さんとの声の質そのものの違いもとても良かったと思います。
時々、主演の方たちの声質が似ていて、歌い合うときにどのキャストが歌っているのかわからなくて、観客が混乱することがあります。混乱するということは、舞台に入り込めないわけで、結局は「つまらない」となってしまうのです。キャストの実力とは別に、キャスティングの時には、声質のバランスもとても大切なんだと感じました。
島田さんも、健気で、かわいらしい蝶々さんを演じて下さったのですが、やはり、「どうして自害?」という思いを払拭することは難しいようです。これについては、また後で話します。
戸井さんは相変わらず説得力のある歌唱で、普段は意識しない私の心の底の方にある思いに問いかけて下さいました。
山本さんもすごく良かったです。蝶々さんに憧れというか、好意を抱いていたのに、敵だったことを知ったときの悩み方、蝶々さんがアメリカ海軍士官と結婚してしまうときの悩み方、痛いほど気持ちが伝わりました。
蝶々さんが木原をどう思っているかは描かれていないのですが、もう少し絡みがあったら、自害する気持ちをもう少し理解できたかもしれないなぁ・・・かなり妄想が広がっているでしょうか(苦笑)。
本当にいい舞台でした。
でも、蝶々さんが自害することにどうして納得出来ません。時代が違う、と言ってしまえばそれまでですが・・・
私は、どの時代でも、自害が美徳だとしたのではない、と思っている人間なので、余計にそう思うのかもしれません。なんとなくですが、いわゆる戦時教育として武士道が捻じ曲げられて利用されたときに、「自害は美徳」とされてしまったのではないかと思うのです。そしてまた、自殺を厳禁しているキリスト教の国々に驚きをもって伝わって行っただけなのではないかと思うのです。
私は、「ミス・サイゴン」の結末も好きではないし、欧米諸国の東洋蔑視としか思えないので、頭にさえ来ます。それでも、蝶々さんよりは、キムが死を選ぶ気持ちの方がまだ理解できるのです。子供の将来を思う母の気持ちに少し共感できるからです。しかし、蝶々さんは自分が自分であるための死のような気がするのです。勿論、人間として自分を大切にすることはわかりますが、なにかが違うと思うのです。
コレル夫人が、日本人は貧しい暮らしをしていても躾が素晴らしい、とか、蝶々さんが、母の教えを守る、とか、今の日本人が忘れかけている、日本人が大切にしてきたことを思い出させてくれる、とてもステキなお話が展開されていくのに、最後でがっかりなのです。
蝶々さんが、貧しく、苦しい生活をしてきて、幸せを手にして、でも、それが儚く消えていく悲しさで自害するという運びならもう少し納得できたかもしれません。でも、それを感じるには、貧しく、苦しい生活の部分の描き方が弱いように思えるのです。
それに、こういう展開では「自分が誰のおもちゃでもなかったという証明」にはなり得ませんね。
どのような味付けをしてみても、現代の日本人が(特に、女性が)この結末に共感するのは難しいように思いました。
07年6月17日
シアター1010 1階15列目ほぼセンター
あらすじ
コレル夫人(剣幸さん)はプッチーニの描いた「蝶々夫人」の中の蝶々さんが本来の姿ではなく、異国趣味と東洋蔑視で変えられてしまったことに心を痛めているので、本当の話をしたい。そう言って幕が開きます。
アービン宣教師(戸井勝海さん)と妻のコレル夫人は長崎に赴任してきた。母に死に別れ、間もなく女郎宿に売られていく蝶々さん(島田歌穂さん)がコレル夫人にお手伝さんとして働かせて欲しいと頼みにやってくる。コレル夫人は手は足りていると断ってしまうが、蝶々さんのことがなんとなく気になっていた。お祭りの日に笛を吹く蝶々さんと再会。蝶々さんがコレル夫人に笛を、コレル夫人が蝶々さんに英語を教えることになった。
蝶々さんの辛くとも前向きに生きる姿に周りの人は心惹かれる。書生の木原(山本匠馬さん)もその一人だった。ある日、蝶々さんがコレル夫人に身の上話をしているのを聞き、驚く。なぜなら、武士であった蝶々さんの父を、殺した集団の一人が自分の父だったからだ。「敵を討て」という木原に、蝶々さんは「過去のこと」と言い、木原を許す。
アメリカの海軍士官と結婚する女郎たちが多かった。蝶々さんも見初められ結婚することに。幸せ一杯の蝶々さん。コレル夫人も喜ぶが、不安もあった。しかし、あまりに幸せそうな蝶々さんに言い出すことが出来ない。
いつ戻ってくるとわからないまま艦船は長崎を後にする。
蝶々さんは子供を産む。ますます不安になるコレル夫人は、蝶々さんの相手が未婚であったかを調べると、アメリカで結婚していたことがわかる。不安的中である。
艦船が再び、長崎へやってきた。しかし、蝶々さんの夫は家にやってこない。やってきたのは妻のケイト夫人(小野妃香里さん)であった。子供を引き取る、と申し出た。拒む蝶々夫人。
ケイト夫人は「夫は、蝶々さんは人形のようだったと言っていたのに、こんなにしっかりした女性だとは・・・」と言ってしまう。
蝶々さんは、「自分が誰のおもちゃでもなかったという証明をしなくては」と自害してしまう。
ちょっと雑なあらすじです。すみません。心に残るとてもステキな台詞がたくさんあったのですが、やはり一回の観劇ではなかなか覚え切れません。
感想です。
舞台の構成、音楽は本当に素晴らしいと思いました。
キャストも実力派揃いですから、当然の満足度かとも思いますが、舞台づくりの妙を感じました。
例えば、本来向き合ってやりとりしている会話であるにもかかわらず、互いに正面を向いて会話をしていたり、一人は相手を見ているのに一人は正面を向いていたりします。二人の距離感や気持ちのすれ違いを視覚から感じ取ることが出来るので、不自然には感じないのです。かえって、一人が台詞を発したときに、もう一人がどうその言葉を受け取っているかが良くわかるので、舞台に引き込まれる感じがしました。
セットの変更がなくても、アンサンブルの方たちのご活躍で、場面にいろいろ変化があり、とても楽しめました。振付もとてもおしゃれで、すっきりしていて、上品だなぁと思いました。後で振付はどなた?と見たら麻咲梨乃さんだったんですね。いつもながらに、舞台を盛り上げ、主役の感情を観客に伝える助けをそっとして下さっていると感じました。
キャストでは、コレル夫人の剣さんが本当にステキでした。包み込むような優しさが溢れていました。日本人と西洋人がかかわる舞台では演じ手はすべて日本人ですからその違いを表現するのが難しいというか、違いがわかり難いことが多いのですが、剣さんは立ち姿や声のかけ方などで、西洋人の雰囲気をとてもはっきりと表現していたと思います。
また、主役の島田さんとの声の質そのものの違いもとても良かったと思います。
時々、主演の方たちの声質が似ていて、歌い合うときにどのキャストが歌っているのかわからなくて、観客が混乱することがあります。混乱するということは、舞台に入り込めないわけで、結局は「つまらない」となってしまうのです。キャストの実力とは別に、キャスティングの時には、声質のバランスもとても大切なんだと感じました。
島田さんも、健気で、かわいらしい蝶々さんを演じて下さったのですが、やはり、「どうして自害?」という思いを払拭することは難しいようです。これについては、また後で話します。
戸井さんは相変わらず説得力のある歌唱で、普段は意識しない私の心の底の方にある思いに問いかけて下さいました。
山本さんもすごく良かったです。蝶々さんに憧れというか、好意を抱いていたのに、敵だったことを知ったときの悩み方、蝶々さんがアメリカ海軍士官と結婚してしまうときの悩み方、痛いほど気持ちが伝わりました。
蝶々さんが木原をどう思っているかは描かれていないのですが、もう少し絡みがあったら、自害する気持ちをもう少し理解できたかもしれないなぁ・・・かなり妄想が広がっているでしょうか(苦笑)。
本当にいい舞台でした。
でも、蝶々さんが自害することにどうして納得出来ません。時代が違う、と言ってしまえばそれまでですが・・・
私は、どの時代でも、自害が美徳だとしたのではない、と思っている人間なので、余計にそう思うのかもしれません。なんとなくですが、いわゆる戦時教育として武士道が捻じ曲げられて利用されたときに、「自害は美徳」とされてしまったのではないかと思うのです。そしてまた、自殺を厳禁しているキリスト教の国々に驚きをもって伝わって行っただけなのではないかと思うのです。
私は、「ミス・サイゴン」の結末も好きではないし、欧米諸国の東洋蔑視としか思えないので、頭にさえ来ます。それでも、蝶々さんよりは、キムが死を選ぶ気持ちの方がまだ理解できるのです。子供の将来を思う母の気持ちに少し共感できるからです。しかし、蝶々さんは自分が自分であるための死のような気がするのです。勿論、人間として自分を大切にすることはわかりますが、なにかが違うと思うのです。
コレル夫人が、日本人は貧しい暮らしをしていても躾が素晴らしい、とか、蝶々さんが、母の教えを守る、とか、今の日本人が忘れかけている、日本人が大切にしてきたことを思い出させてくれる、とてもステキなお話が展開されていくのに、最後でがっかりなのです。
蝶々さんが、貧しく、苦しい生活をしてきて、幸せを手にして、でも、それが儚く消えていく悲しさで自害するという運びならもう少し納得できたかもしれません。でも、それを感じるには、貧しく、苦しい生活の部分の描き方が弱いように思えるのです。
それに、こういう展開では「自分が誰のおもちゃでもなかったという証明」にはなり得ませんね。
どのような味付けをしてみても、現代の日本人が(特に、女性が)この結末に共感するのは難しいように思いました。
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