わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

SHIROH

2004年12月14日 | 観劇記
2004年12月14日マチネ 帝国劇場 20列下手より

ロック・ミュージカルと銘打たれていましたので、観るのをやめようと思っていました。正直、ロックはあまり好きではないからです。でも、話題作でもあり、チケットが手に入ったので、どんな感じか観に行ってみました。
やはり、音楽には馴染めず、とてもお話自体は素晴らしいと思うのに、舞台に入り込めないのでした。

自分達の力で反逆し、日本全国の反徳川の力を結集できると思っていたシローたちだが、本当は徳川幕府の謀にまんまと乗せられていたという、どんでん返し的な進行。そして、現在の紛争にも通じるメッセージなど、見所満載なのです。

が、なぜか私のテンションは下がりっぱなしでした。ロックが苦手ですから、その時点でこの作品を語る資格はないのかもしれません。が、こんなに人気があって、どうしてこんな作り方なのだろうと思うことがいくつかありました。

まず、長過ぎます。感動したいにも、長くて、疲れて、全ての印象が薄くなってしまうのです。なぜ長いのか・・・。はっきり言って、台詞と歌がダブルからなのです。これは「オケピ」でも思ったのですが、台詞で言ったことをまた歌にして言うのです。ミュージカルはどちらかというと、長い時の流れや、多くを語りたいことを、音楽の力を借りて短くするから、印象深い作品になるのだと思っています。肝心な台詞を台詞として言ってしまってから歌っても、「歌」に意味はないのです。

そして、ミュージカルだからと言って、歌えない俳優に歌わせるのはどうかと思いました。まして、今回は歌に不思議な力があるシロー(中川晃教さん)が登場するのですから、歌はこのシローに任せればよかったのではないでしょうか。

舞台装置にもがっかりしてしまいました。テレビがたくさん置いてあるのです。そして、難しい言葉や、人名をテレビに流すのです。まるで、茶の間でテレビを見ているときにテロップが出るような感じで。勿論、手助けになりました。が、舞台というか劇場の空間というのは、人間と人間のぶつかりあいを楽しむところなのではないかと思うのです。宗教上の言葉は、開幕前に説明するという方法もあります。一番がっかりしたのは、吉野圭吾さんの演ずる板倉重昌は戦闘で死んでしまうのですが、その死が語られるときに吉野さんの顔がテレビに映し出されたことでした。舞台のどこかでリプレイをするのが、舞台の楽しさのはずなのに、テレビに頼るのか!もう、怒りを通り越して悲しくなりました。

また、照明の点滅、そしてその際の色がきつ過ぎて気分が悪くなってしまいました。照明の効果的な使い方で舞台が生き生きしたところもあったのですが、本当に残念でした。

全体の内容はとても重い、考えさせられるものなのです。が、あまりにもコメディタッチに登場するキャラクターが多すぎるのです。こういう重い内容を、軽く笑い飛ばすのもいいと思います。が、それにしてはどたばたし過ぎではないでしょうか。真面目に演じなければならない役柄の俳優がとても萎縮して見えました。どっちが主役なのかわからない印象を受けました。

私は、この舞台にとても批判できですが、これが時代の流れなんだろうなぁという気もしています。人気の舞台俳優を揃え、新感線のプロデュース。大きな音で劇場内を一杯する。若い世代が、そして多くの演劇ファンが好むのはこういう舞台なのかと分ったことはとても大きな収穫でした。
それでも、なお言っておきたいことがあります。
劇場は、人間が人間らしく生きていることを実感できる空間であって欲しい、と!

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