損益分岐点・限界利益
「限界利益を知って経営をせよ」と上原先生は話され用語の解説をしました。
「売上高を目標として経営すれば、利益がついて来ない場合が多い」
「必要な利益額を得ることを目標として経営すべきだ」とも話されました。
馬鹿の私は「利益額を基準に入札すれば、仕事は取れないですけれど?」
と質問しました。
「それは難しいことですよね。そこに創意工夫が出てくるのですよ」と軽く答えられます。
松下幸之助の「ダム式経営」の話しを想い出しました。
わかった!
損益分岐点の下で赤字に喘いでいる状態と、損益分岐点より多い売上を得て利益を出している状態を比較して考えるとよく分かった。
売上高が損益分岐点を上回れば、新しく売る商品には、固定費の負担を求めないでもよいのだから、利益は50%以上見込めることになるだろう。
同じ商品を同じ価格で販売したとき、固定費を商品に負担させねばならぬ赤字企業は出血サービスと恩着せがましくなるでしょう。
一方固定費負担を絶対と考えないでいい黒字企業は、十分な利益を計上し感謝の気持ちを感じているでしょう。
損益分岐点より上の状態にあるときと、下の状態にあるときには、考え方も計上できる利益額も全く違うのです。
勝者の考え方は、売上高が損益分岐点を突き抜けた状態のときの考え方なのだ。
以前、優良企業の社長稲田さんから、「商売で儲けることは、そんなにむつかしいことではない」と言われたことがあります。「すばらしいなぁ。そんなことは私は言いきらない」と感じましたが、損益分岐点より上の勝者の考え方に裏打ちされていたのだろうと今なら納得して聴けます。
売上が低迷し、損益分岐点より下にあるなら、販売努力を2倍しても悩みは続く。
この損益分岐点の上に何が何でもでなければならない。そして、値引きやオマケ・社会貢献も分岐点の上にあっての考え方だと悟りました。
限界利益・固定費・変動費などの言葉は昔から使いながら、利益が少なければそうだよなぁとしか考えなかった私は勝者になれなかった訳だ。
人間の大きさ・資本の蓄積・新事業などでセコムの飯田亮さんの事績を前回の上原塾で聴きました。これら勝者の考え方は、損益分岐点を突き抜けてこそ生まれるものだ。そういう考え方になるには、まず利益だ。
2008年現在、売上は前年より20%減少しています。
不景気だと嘆いても何も始まらない。固定費を切り詰め、損益分岐点の上に顔を出そう。
大企業の下請けをしていると、単価の切り下げなどで、「血も涙もない。自分の利益しか考えていない」などぼやくことがありますが、これは、大企業は損益分岐点より上にあって勝者の考え方をしている。そして下請の私は損益分岐点の下に沈み、敗者の考え方をしていると素直に思えます。
下請けしていたって、損益分岐点を突き抜けた売上でいれば、値引きの余地もあろうし、勝者としての考え方を身に着け、未来に向ってはばたくこともできる。
「創意工夫が足りない」とチェックが入るわけです。
この限界利益・損益分岐点の考え方は個人の生活設計に於いても非常に有効であると思います。
借金生活で、金利を支払い固定費を高くしてしまう生き方は、敗者の生き方です。
倹約生活に創意工夫を加え、貯金を殖やしてこそ、損益分岐点を突き抜ける勝者の考え方が出来るのです。
当たり前のことではないか。70才になっても進歩がないなぁ と言われそうな文章ですが、安定したお坊ちゃん育ちには有りがちかなぁ。他山の石として勝者になってほしいという気持ちです。
この勝者なら全員が、創意工夫で勝者になれる。そして努力のし甲斐もある。
日本の次世代の教育の基本には、この損益分岐点の考えを入れるべきだと思います。 しかし日教組は、中山国土大臣を切り捨てるように、耳を貸さないだろうなぁ。
「限界利益を知って経営をせよ」と上原先生は話され用語の解説をしました。
「売上高を目標として経営すれば、利益がついて来ない場合が多い」
「必要な利益額を得ることを目標として経営すべきだ」とも話されました。
馬鹿の私は「利益額を基準に入札すれば、仕事は取れないですけれど?」
と質問しました。
「それは難しいことですよね。そこに創意工夫が出てくるのですよ」と軽く答えられます。
松下幸之助の「ダム式経営」の話しを想い出しました。
わかった!
損益分岐点の下で赤字に喘いでいる状態と、損益分岐点より多い売上を得て利益を出している状態を比較して考えるとよく分かった。
売上高が損益分岐点を上回れば、新しく売る商品には、固定費の負担を求めないでもよいのだから、利益は50%以上見込めることになるだろう。
同じ商品を同じ価格で販売したとき、固定費を商品に負担させねばならぬ赤字企業は出血サービスと恩着せがましくなるでしょう。
一方固定費負担を絶対と考えないでいい黒字企業は、十分な利益を計上し感謝の気持ちを感じているでしょう。
損益分岐点より上の状態にあるときと、下の状態にあるときには、考え方も計上できる利益額も全く違うのです。
勝者の考え方は、売上高が損益分岐点を突き抜けた状態のときの考え方なのだ。
以前、優良企業の社長稲田さんから、「商売で儲けることは、そんなにむつかしいことではない」と言われたことがあります。「すばらしいなぁ。そんなことは私は言いきらない」と感じましたが、損益分岐点より上の勝者の考え方に裏打ちされていたのだろうと今なら納得して聴けます。
売上が低迷し、損益分岐点より下にあるなら、販売努力を2倍しても悩みは続く。
この損益分岐点の上に何が何でもでなければならない。そして、値引きやオマケ・社会貢献も分岐点の上にあっての考え方だと悟りました。
限界利益・固定費・変動費などの言葉は昔から使いながら、利益が少なければそうだよなぁとしか考えなかった私は勝者になれなかった訳だ。
人間の大きさ・資本の蓄積・新事業などでセコムの飯田亮さんの事績を前回の上原塾で聴きました。これら勝者の考え方は、損益分岐点を突き抜けてこそ生まれるものだ。そういう考え方になるには、まず利益だ。
2008年現在、売上は前年より20%減少しています。
不景気だと嘆いても何も始まらない。固定費を切り詰め、損益分岐点の上に顔を出そう。
大企業の下請けをしていると、単価の切り下げなどで、「血も涙もない。自分の利益しか考えていない」などぼやくことがありますが、これは、大企業は損益分岐点より上にあって勝者の考え方をしている。そして下請の私は損益分岐点の下に沈み、敗者の考え方をしていると素直に思えます。
下請けしていたって、損益分岐点を突き抜けた売上でいれば、値引きの余地もあろうし、勝者としての考え方を身に着け、未来に向ってはばたくこともできる。
「創意工夫が足りない」とチェックが入るわけです。
この限界利益・損益分岐点の考え方は個人の生活設計に於いても非常に有効であると思います。
借金生活で、金利を支払い固定費を高くしてしまう生き方は、敗者の生き方です。
倹約生活に創意工夫を加え、貯金を殖やしてこそ、損益分岐点を突き抜ける勝者の考え方が出来るのです。
当たり前のことではないか。70才になっても進歩がないなぁ と言われそうな文章ですが、安定したお坊ちゃん育ちには有りがちかなぁ。他山の石として勝者になってほしいという気持ちです。
この勝者なら全員が、創意工夫で勝者になれる。そして努力のし甲斐もある。
日本の次世代の教育の基本には、この損益分岐点の考えを入れるべきだと思います。 しかし日教組は、中山国土大臣を切り捨てるように、耳を貸さないだろうなぁ。
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