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国際連盟脱退の真実

2014-10-17 10:35:28 | 21世紀
国際連盟脱退の真実
2014/10/18
 戦前の歴史に、国際連盟脱退があり、これが、日本孤立から、大東亜戦争開戦に繋がるとされている。ウィキペディアでは次のように書かれています。
柳条湖事件を契機に日本が満州全土を制圧すると(満州事変)、清朝最後の皇帝・溥儀を執政にする満州国を建国した。これに抗議する中華民国は連盟に提訴。連盟ではイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンを団長とするリットン調査団を派遣する。リットンは日本の満州における“特殊権益”は認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、満州を中国に返した上で日本を含めた外国人顧問の指導下で自治政府を樹立するように報告書に記した。「リットン報告書」である。
1933年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告について審議され、最終的な同意確認において、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)であり、国際連盟規約15条4項[7]および6項[8]についての条件が成立した。この表決および同意確認直後、席上で松岡洋右日本全権は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、総会会場を去った(新聞で大きく報じられた『連盟よさらば! 連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す』である)。
しかし、実際の理由は、国際連盟での麻薬使用禁止の委員会報告で、日本が取り上げられ、解答を迫られたことに対し、それを拒否するために脱退したようです。
日本政府は、1938(昭和13)年12月16日に「興亜院」を発足させた。
総裁は近衛文麿総理、副総裁は陸軍大臣板垣征四郎中将、海軍大臣米内光政大将、外務大臣有田八郎、実際の運営は総務庁長官柳川平助中将である。(A級戦犯が含まれている事に注目)
その下に「蒙彊連絡部」を設置、そこには大蔵省から大平正芳(後の日中国交回復時の田中内閣外務大臣)、農林省から伊藤正義(戦後に首相指名を断ったことで有名)など将来大臣級の大物が送られた。
彼らはただちに「蒙彊土薬股粉有限公司法」をつくっていった。「土薬」とは阿片の事。有限公司とは株式会社である。
零細農家で栽培されていた阿片を、大企業の資本を投下し大規模に生産していこうというのが狙いであった。
1938(昭和13)年の蒙彊銀行貿易統計によれば、輸出品の第1位は阿片で4300万円。なんと、今の貨幣価値に換算すると3兆円もの金額にのぼっている。それ以降の、本腰をいれ阿片の生産と輸出にかかってからの金額はどれほどのものだったのだろうか?
膨大な数の中国人が犠牲となったのが想像できよう。

興亜院は1938年、国際連盟脱退は1933年で差がありますが、33年には、ひそかに、特務機関で運営していた麻薬ビジネスを、38年には国営として大々的に行ったことのようです。
大平正芳の自伝にも、麻薬栽培と管理のことは、書かれています。
1945(昭和20)年8月までの蒙彊地域での阿片による収益は当時の金額で4億2千万円を超えていた。戦艦大和の建造費が1億3千万円と言われていた時代の数字である。その金額に匹敵する阿片はゆうに8千万人の人間を阿片中毒にすることのできる量であった。
東條英機は、1941年大東亜戦争開戦の年に、甘粕正彦から満州の阿片利権の資金を得て有力企業や銀行、高級官僚に盛大な付け届けを行い、用賀に800坪の豪邸用土地を購入している。
一方、興亜院蒙彊連絡部の実質リーダーとして阿片ビジネスにかかわったクリスチャン大平正芳は、戦後の国交回復後に、北京に地上14階地下1階、建坪延べ 8万平米の「日中友好病院」を建設させた。79年12月の首相としての訪中時には、中国医学近代化促進のためと160億円を無償供与。これによって、中国 共産党からは阿片の罪を問われる事は無かった。
なお、蒋介石は日本政府が中国侵略期間中に内蒙古で阿片を生産し北平上海に輸送販売し中国毒化政策を行った事実を、東京裁判にて訴えようとしたが却下されている。
 中国で阿片商売に暗躍した特務機関の関係者は、朝鮮戦争勃発後、米帝の日本における防共活動に活躍し、数々の謀略に関わったと言われている。
以上【日中戦争】「A級戦犯東條英樹と大平正芳のアヘン商売」から引用
http://anarchist.seesaa.net/article/18290735.html
 中国での戦費は、麻薬ビジネスで調達されていたようです。そんな時代だった、現在とは違うと、言われるでしょうが、嫌な歴史事実です。
 中国から、危険ドラッグが日本に送られて、それを、日本の若者が使い、事故など起こしていますが、歴史を知ると、文句も言えませんね。
 歴史の研究というと、「邪馬台国」「卑弥呼」など人気がありますが、近代史の封印されている事実の研究が、必要な時代に感じます。
 左翼の研究者は、軍隊の横暴・内務班のリンチ・撤退できないインパール作戦、などの記述をしますが、国際連盟の脱退の実際、とか、大東亜戦争の戦費調達・軍票発行とその後始末、などの研究発表をして欲しいですね。


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