大空と大地の中で

2016-03-28 05:15:31 | 松山千春
松山千春  大空と大地の中で




果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
自分の腕でつかむよう

歩き出そう 明日の日に
ふり返るには まだ若い
ふきすさぶ 北風に
とばされぬよう とばぬよう

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを 自分の腕でつかむよう
 自分の腕でつかむよう




26日、北海道新幹線が開業しました。

昨春の北陸に続き、この春は北海道で歓声があがったようです。

もろ手をあげての慶事なのかもしれませんが、狭い日本がさらに狭くなる、そんな危惧を抱くのはへそまがりのマスターだけかしら。

さて、北海道…というと、「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious!)」のクラーク博士のいた札幌農学校(現:北大)を連想し、そして札幌はというと、ビールと雪まつりと、冬季オリンピックを連想する方などは、やはり同時代を生きた方たちでしょうか。(笑)
おっと、生きたという過去形でなく、まだ生きておられますよね。(笑)

当時、この札幌冬季オリンピックのテレビ中継を熱心に観ながら、子供の頃、あまり遠くに旅行に行った事のないぼくは、特にスキーなどのウインタースポーツに興味があったわけでもないのですが、この曲をバックに映し出される北海道の広々とした真っ白な風景に、あこがれたものです。

果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
 自分の腕でつかむよう


果てしない大空と大地の中で…。
北海道を旅すると、狭い日本…なんて言葉は、ほんとに果てしない大空と大地の中で、沈黙してしまいます。

歩き出そう 明日の日に
ふり返るには まだ若い
ふきすさぶ 北風に
 とばされぬよう とばぬよう


歩いてみたらなおさらなんでしょうが、車で縦断や横断ドライブしただけでも、北海道の広さは実感できます。
函館から札幌、小樽を妻とレンタカーで旅したことがありますが、その広さは地図上からイメージした想像以上でした。

そして、なにより北国の道路は広い…。
特に夏の季節にメインストリートを走るとそう感じます。
銀杏並木とビル街のない御堂筋って感じです。(笑)

人や車の数に比べて、なんでこんなに道路が広いのかな?、という疑問は、雪の季節に行くと、氷解します。…まぁ、雪の季節に氷解するというのも変なんですけどね。(笑)

こごえた両手に 息をふきかけて
 しばれた体を あたためて


しばれる(凍れる)、という言葉は、松山千春さんのこの歌からではなく、東北出身の仕事仲間と酒を酌み交わしながら、「今夜はしばれるっしょ」と言われて、返答が遅れて、「しばれるって分かる?、とても寒いってことなんだよ。」と言い直されたことが記憶にあります。

北海道というのは全国からの開拓移住の地ですが、札幌などの大都市圏の一部地域などを除けば、やはり、全体的には、東北文化圏の影響が大きいのでしょうね。

生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ


長々と北海道・北国の紹介をしてしまいました…。(笑)

ともかく、生きる事がつらいとか、苦しいとか、天は我を見放したか~なんて、言ってては、言ってるそばから、凍りますからね。(笑)
まずは歩きだしましょう。

野に育つ花…ということは、温室育ち、つまり乳母日傘(おんばひがさ…これは標準語なんやろうか、関西弁なんやろうか…(^^ゞ ポリポリ)で育った花では無いのならば、逆境、逆風の中で、やはりこの歌詞のように、他力本願ではなく、自分の腕で、自分の力で、弱音を吐かずに、生きていかなければなりません。
うん、そうやろうな~と自戒を込めて。(笑)

それにしても、この曲の歌詞、引用しながら気がついたんですけど、以上で歌詞の全文を引用してしまってます。
あとはすべてリフレイン(繰り返し)なんですね。
これは、とどのつまり、一番しかないようなものですね。(笑)
まあ、細かいことは言わずに、題名にたがわない、おおらかな曲ということにしまひょか。(笑)

































































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