福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

海岸線と みなとの変化があるまちの 遺跡と そのまちらしさ・・・・なのかな??

2012年07月27日 23時59分37秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
半夏バテ???
それとも 気温についていけていない??

よくわからないですが、真夏の日差しと 猛暑っぷりに  午後ぐったりでした。


なので(?!)、まちまなびも ちょこっとだけ。




以前探し当てていて、先日見つけた『博多港の「みなと文化」』を 改めて読んでみたら・・・・


ああ、そうかぁ・・・港湾遺跡って言えるんだね、鴻臚館・・・・という発見が。



そうかあ、「港湾遺跡」っていうことも 言ったほうが、
他のまちに住んでる人には、その場所の 当時の在り方って 想像しやすいかも・・・?!。


海があって、海岸線があって、みなとがあって。
だからこそ 出来上がっていった このまちの歴史 イロイロなんですよね?



そうそう。

先週のかなぁ??
サブクリップの 筥崎宮の案内で、
鳥居が4つあるのは、時と共に海が埋め立てられ、次第に鳥居が建てられたと伝えられていますとあって、
へぇ・・・・そうなんだぁ・・・・と。



ということは。
舞鶴公園のまちまなびに限らず。


このまちの 時代ごとでの 海岸線の様子と 時代を経ていくうちの 海岸線の変化がわかれば、
稲作だったり、神社だったり、お寺だったりの このまちなりの特色が 今以上にわかるし、
他の人に このまちの本質を うまく伝えきるようになれるのかな?!なんて思ったりもしています。

稲作も 金印も 神社も 鴻臚館も 鴻臚館も お寺も 元寇防塁も・・・・
このまちならではの みなと文化から派生したもの・・・・なのかもなぁ・・・と しみじみと思ったので



ああ・・・・・・・・・・・・でもでもね。

「時代とともに変化する海岸線と まちの在り方」かぁ。
やっぱり、このまちでも コレ↑も やるんだぁ・・・・
 

えっ・・・・・・でも。。。2000年分、追いかけるの?!

でも、まぁ、追いかけてっても そんな重たい歴史ではないから いいかなぁ!?