福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

長い間 福崎山が果たしていた 役目って なぁに??

2012年07月26日 11時25分25秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
少しだけ、日本史分野から離れたことを 今日は 軽くまちまなびです。


福岡城跡が福崎山だった時のことを考察する時間も いいバランスでとっていかないと
場所の特性というか、ながぁぁぁあい 時の流れで見た場合の 
あの場所の意味を 取り違えてしまいそうで

でも、まだ「そうかあ!」っていう発見までは 至ってないんですけどね。

地域史は 政(まつりごと)の歴史だけではなく、自然史でも 振り返っていかなきゃなんだろうなって思うんだけれど
うーん・・・・・・
そこに至る資料・文献を 探せてない 私がいかんちゃろうなぁ


午後からは 妻仕事一色になるので、午前中の短いすき間時間を まちまなびに使いましたが。


今日、参考にしたのは・・・海辺の生き物の図鑑。

夏っていったら、海ですよね?!
おっと様は、夏山やろ?っていうんですけど、私は海派です!!

海に囲まれた 長崎県出身って感じですか

海辺の生き物の図鑑と、「森は生きている」の本を ちょこちょこと読んで・・・・・

数ページ、イラストを いろいろ見て・・・・・


うーん。

昔、そうねぇ・・・・それこそ筑紫館とか鴻臚館の時代って、
福崎山って、今で いうところの 〝航行目標保安林〟みたいな役目を果たしていたのかなぁ???と。


どうなんでしょう???
他に、〝航行目標保安林〟の役目を果たせたような場所って、どこかにあったのかな??
でも、建物があるそばに山があるって、やっぱり その山って 航行目標になるよねぇ??

むかーしむかしの 土地の形状がわかるような 地図がほしいです


そうそう、万葉集の句。
以前印刷していた『博多港の「みなと文化」』に載っていましたぁぁぁ

なんだー、ちゃんと 見つけてるんじゃん、私ってば!!


よっしゃ、この先 がんばろー