2014/05/02
「歌により神八井耳と弟[神沼河耳]は当芸志美美を返り討たんとす
(1汝が先に兵を従え入りては当芸志美美の命を殺したまえと:
,2ただ手足震えて殺せぬ兄がいてかわりに弟実行をせり:
,3勇気ある神沼河耳の名をたたえ建沼河耳の命といえり:
)」
「兄なれど上に在れぬ吾なりし汝が上にいて天下治めよ
(1神八井耳は弟扶タスけ忌人イハヒビトなりてあなたに仕えましょうと:
,2日子八井の命は茨田や手島なる連の始祖であるといいたり:
,3神八井耳の命の末裔繁栄し意富オホ氏の他も多くの始祖を:
・意富の臣
・小子部の連
・坂合部の連
・火の君
・大分の君
・阿蘇の君
・筑紫の三家の連
・雀部の臣
・雀部の造
・小長谷の造
・都祁の直
・伊余の国の造
・科野の国の造
・道の奥の石城の国の造
・常道の仲の国の造
・長狭の国の造
・伊勢の舟木の直
・尾張の丹波の臣
・島田の臣等
が始祖である
,4継たるは神沼河の命なり末子相続をこの頃はせん:
)」
「このように神八井耳の命には支配の基礎を作りしあとが()」
「神倭伊波礼毘古の天皇の御陵ミハカは畝傍の北の白檮カシの尾に(年齢は137歳という)」
「享年が137歳という話にわかに信じることはできない
(構造的に何が考えられるか
・一年を二回に数える
)」
「神倭伊波礼毘古には美美や耳 名のつきたるは如何なる理由か()」
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