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そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

家村、渡辺さんの古代史

2020年12月10日 |  / 古事記・古代史

2020/12/10

「太秦や南禅寺には三本の柱からなる鳥居のありぬ[家村和幸][古代史]」
「三本の柱は神で『造化』なる秦氏はこれらを讃えていたり
 [天御中零雷ヌチ大神、高皇産霊神、神皇産霊神][古代史]」

「家村は上記とか他の書を引用だけで新説はなし
 [竹内文書も持ち出してきて、ユダヤ道祖論まで展開][古代史]」

「家村氏大風呂敷を開けいて納得のいく説明はなし
 [一見すると正しいようだが謎の論証はしていない][古代史]」

「渡辺の万葉集の暴きたる天智天皇捏造なりと
 [万葉の基本ルールに納得し少し付き合う気になれるかも][万葉集]」

「渡辺の仮説あまりに大胆でついていけない冷ややかに見ん[渡辺康則氏][万葉集]」




推古帝(12/05)

2020年12月05日 |  / 古事記・古代史

2020/12/05

「推古帝東洋初の女帝なり則天武后も後の人なり
 [554-628,18才で敏達と結婚、在位592-628][古代史]」

「敏達死し殯のみやで悶着が穴穂辺暴れ不貞はたらく
 [三輪逆が阻止。その後逆は物部に斬られる。585年、
  崇峻即位も馬子に暗殺される592年、その年推古の即位][古代史]」

「着ぶくれの聖徳太子の服脱がせ本当の姿見てみたきかな
 [厩戸の遣隋使、600文帝遣隋使1回目、607煬帝再遣隋使2回目][古代史]」

「1回目文帝のとき朝貢も野蛮な国と教えを垂れる
 [聖徳は皇太子か?遣隋使の文章では推古が出てこない][古代史]」

「遣隋使帰りに来る斐世清の真の目的なんであったか
 [ほんとうは何しにきた。なぜ推古に会わなかったのか][古代史]」

「推古死ぬときに呼びたり二皇子を田村・山背に遺言残す
 [太子622,馬子626,推古628に死亡][古代史]」

「汝が母にこられ我は行く青雲の出で来る吾妹子相見て行かむ[巻14][古代史]」



古事記下巻~仁徳から推古まで19代

2018年02月08日 |  / 古事記・古代史

2018/02/08

「万葉集をやり始めたら、巻1の最初の歌が雄略天皇で、巻2の巻頭が仁徳天皇妃の磐姫の歌が出てくる。つまり、万葉集の扱っている歴史年代が、古事記の下巻と符合している。また、万葉集の左注や右注などに、古事記、日本書紀の参照記事があり、記紀に対する独自の見解を示している可能性がある。ということで、中断していた古事記の語呂合わせについても必要性が出てきた。ただ、上巻・中巻と同じペースではできない。とりあえず、仁徳、雄略、推古については、プライオリティを高めて語呂合わせをしてみたいと思っている()」


天皇の子孫(15 応神天皇-11)

2015年04月03日 |  / 古事記・古代史

2015/03/31


「この系譜のせる理由は武烈にて皇統絶えてしまうためだと
(0:品陀天皇の御子の若野毛二俣王がその母息長真若中比売の妹の百師木伊呂弁、又の名を弟日売真若比売命という方と結婚されて生んだ子は、
/1:大郎子で、別名は意富富杼王[後の継体になる]、
/2:次に忍坂之大中津比売命、
/3:次に田井之中比売、
/4:次に田宮之中比売、
/5:次に藤原之琴節郎女、
/6:次に取売王、
/7:次に沙禰王である。
/[七王]
)」


「意富富杼王は継体になる人でその直系の子孫を示す
(0:そして、意富富杼王は、
/1:三国君[福井県三国]、
/2:波多君[滋賀八日市羽田]、
/3:息長の坂君[滋賀米原町]、
/4:酒人君[大阪玉造]、
/5:山道君、
/6:筑紫の米多君、
/7:布勢君
/等の祖先である。
)」


「根鳥王は大雀王の弟で異母妹である人と結ばる
(0:また、根鳥王が異母妹の三腹郎女と結婚されて生んだ子は、
/1:中日子王、
/2:次に伊和島王である[二柱]。
/3:また、堅石王の子は久奴王である。
)」


「羽曳野市仁徳陵に並び立つ最大級の古墳でありし
(およそこの品陀天皇の享年は百三十歳、甲午[394年]の年の九月九日に亡くなった。御陵は河内国恵賀の裳伏岡にある。)」