2016年 5月 19日 (木)
この日は老母がデイケアセンターに出かける日だったので自由となり難波に出て本屋を探しにでかけようと宿を出た。 30分ほど乗る電車は昼前だから通勤客はなく仕事、用事・遊びの中年以上、女性が多い配分で空港近くの駅だから車内に入ればまだ座れる空間はある。 この何年か大阪キタ・ミナミの大型書店が姿を消し、この何年かは吉本の難波グランド花月前にあったジュンク堂に出かけていたのだがそれも今年は消えていて仕方がないからその前で劇場に入る人、行き交う人々の流れを警備の若いのと眺めながら四方山話をして時間を潰していた。 なんといろいろな格好、肌の色、言葉の違う人たちが行き交うものだ。 もう何年も前からそこに続く道具屋筋では上から流れる広報は英語・朝鮮語・中国語なのは承知しているが今更ながら中国人の溢れているのにはため息も漏れる。 そこから遠くない黒門市場はその顕著なものだ。 自分の戻るホテルが分からないと警備員に尋ねるフィリピン人の母娘がいてその日本語がさっぱりわからないので警備員が困っているので英語で話しかけると返す。 それで見分け難い地図を頼りに話すのを通訳して警備員のスマホに連動させて説明するのだが日本の大都会の繁華街の集密度に情報のカオス状態ではそこから数百メートルの場所であっても辿りつくのは日本人の自分のような御上りさんでも同様だ。
そんな警備員と話していてジュンク堂が消えて残念だというと難波の高島屋に移ったのではないかというので行ってみた。 そこで尋ねるとそれは正確ではなく西難波駅の近くだと言われたのでそこにブラブラ歩いて行った。大阪のことは多少とも承知しているけれどそんな名前は聞いたことが無かった。 言われた通りそこに行ってもし難波と名の付く古い駅があったならその駅舎でも撮りたいと思っていたのがそれは旧港町の駅でそんな駅舎もとうにビル街の中にカゲロウとなって消えていた。 ビルの何階かの広いフロアにジュンク堂があり幾つもの棚が整然と並んでいるものの別段何が欲しいとも頭になく、今年の10月か11月に高野山から熊野本宮に向けて3泊4日ほどで歩きたいと思っているので5万分の1の地図を何枚か求め文庫本を一つ二つデイパックに入れたあと、さて、どうしようかと外に出ると久しぶりに「はり重」のカレーが喰いたくなりその方向に歩いて行った。
肉屋の「はり重」は古くからその肉屋のそばにすき焼屋、グリル、カレーとビーフ・ワンという肉丼だけの小さな店があり、1969年だったかそこのカレーの洗礼を受けたのだった。 肉屋には美味い奈良漬も売られていてそれがカレーの傍についていたのだし肉丼には山椒の粉がかかっていて今ではそれは普通なのだろうけれどその当時には我々の舌を一味ちがうものとして実感させたものだ。 前回、去年の秋にはそのビーフ・ワンを喰い、当時の空間はそのままだったけれど当時にはなかったテーブルがいくつも配置されていて何人かのオバサンウエイトレスに当時のことを話して懐かしんだものだ。 それが去年のことでこの日は久しぶりにここのカレーを喰いに行くべく中に入ると一杯だった。 待つのが嫌だから外に出て肉屋の棚を眺めていると一番高いのが100g2000円と出ていた。 もっと高いのもあるのだろうがそれは中に入って尋ねて初めて出て来るものだろう。 ネットでみればしゃぶしゃぶ肉800gがセットになって32000円というのもあった。 そうなると1kgが4万円か。 精々このごろワギューという質のいい高い肉が特別にオランダでも生産されているということは知っているのだろうがそれでもそれは質は別として特別だと言うので付加価値が付いて1kgで1万円ほどの値が付いているかもしれないがそんなものは例外だ。 ただ日本の肉というのと高いということだけで新しいものずきが話の種に一生に一度の経験として出かけるぐらいで一般にはバカバカしくそんなものを喰うぐらいならいくらでも他に喰うものがあるとして見向きもしないだろう。 そんなことを思いながら松竹座の方に曲がったら割烹とグリルの前に割烹着のような制服を着た接客の男がいたので先ほどの吉本の劇場前と同じくその男の傍で行き交う人々を眺めていた。
昼間の時間だから松竹座に入る前に昼食をというような年寄りや年配の商店主とも思われる人などが割烹に出入りし四十を越したぐらいの男がテキパキと対応をしているのだがそんな年寄りたちに対応する態度がすこぶる他の呼び込みたちとは違い特別に呼び込むことはしない。 ただそこにいて誰彼となく分け隔てもなく道順を訊かれるままに教えすき焼を昼間からやっているのかという客にもどんなふうに煮炊きしてだすのか値段、種類などを説明している。 尋ねた中年婦人二人は高いなあ、といいながら離れていくのだが男はそれにも声はかけず笑っている。 メニューを見るとなるほど安くはないが日頃ちょっと入ろうというようなものでもなくすき焼きなど今はどこでも喰えるのだから主婦の習いでそうなるのもうなずけるようだ。 地元の岸和田にも「はり重」というのがあって高価な肉を商っている。 もう4年ほど前にアルツハイマー初期の母を自宅で世話した時に何が喰いたいかと尋ねるとステーキだというのでそこで買って食わせたことがある。 年寄りのことだから自分は味見程度でいいと200gほどで3500円ほど払った覚えがある。 それを母はペロッと全部平らげたので自分は味見をする機会がなかったとそのことをいうと、そこはうちとは何の関係もない、よくそのことを訊ねられるけどあれは分家でもチェーン店でもないと主人から言われている、あそこのは播磨じゃなくどこかの「はり」でしょとのことだった。
表を行きかう人々を眺めていると面白い。 世界中で大阪だといわれると出てくる「かに道楽」の前では様々な人が記念写真をとり、それを邪魔者だとみるような店員たちが忙しくその間を縫って動き回る。 いつだったかオランダのテレビでホステスやホストたちの話がドキュメントになっていてそのことをその男に言い、そんな水商売の人々をあれはそう、これはそうじゃないと目で追っていたのだがその男は履いている靴で見分けがつくという。 若い娘や女は化粧や服装が千差万別でケバいからだと言ってその筋とは限らない、自分は靴を見て判断するという。 それから先は言わないけれど言われてみて靴に集中すると分からなくもないような気がしてくる。 立っている場所は日陰になるので30℃はある日向を歩くのは堪らない。 それでも何人かグループで大きなスーツケースをガラガラ曳きながら移動する中国人たちが行き交いそのことを言うと賑わうときはこんなもんじゃない、それに中国人はうちには来ない、高すぎるから、あいつらは自分たちのネットワークを持っていて安いホテルに泊まり、ものを買いあさっては引揚げていく、ここでの犯罪というのは中国人が中国人の観光客を襲うんだぜ、あいつらの方が日本人よりよっぽど現金をもってうろうろしているんだから、それに強盗にしても自分たちのネットワークがあり、警察も手も足も出ないようだと教えてくれた。 なるほどそんなものか、ビジネスは効率優先だなと苦笑いもでる。
そんなことを話していると白人家族が地図をもってこの店員に訊ねて来る。 日本語がわからず何かラーメンと言っては店の名前らしきものをいうけど分からない、ラーメン屋などここにはゴマンとあると言うけど相手には通じない。 英語が分かるかというと自分たち家族はそのラーメン屋を探してもう1時間ほどあちこち見て回っているけれど分からない、ここはテンノウジか、というからテンノウジなら地下鉄で3つ4つ行かないとだめだ、で、その店の名前をもう一度、というと店員はちょっと待て、それならこの道を100mほど行った右側にあるのじゃないか、という。 それを言うと助かった、ありがとうというので先ほどから英語に訛りがあるのでオランダから来たのかと訊くと驚いた顔をしてどうしてそれが、という。 オランダ語であんたのアクセントはオランダ訛りじゃないかというと親はオランダからの移民でシドニーから来たのだ、なんで日本人がオランダ語をというのでオランダから来たところだというと5つぐらいの男の子が英語とオランダ語の混ざった言葉でロッテルダムに行ったことある?と訊くので何度もあるし家から1時間ほどだというとおばあちゃんはロッテルダムからオーストラリアに来たんだ、と言ってそのラーメン屋に2mほどある父親、180cmほどの母親がそんな日向もものともせず御堂筋を横切って行った。
そのうち腹が減ってきたのでさっき満員で喰いそびれた話をするとグリルに入れば同じものが喰えると言うので中に招かれた。 なるほど両方が店はL字型にくっついている古いグリルだけあって戦前の雰囲気が溢れている。 客は常連か年寄りばかりだ。 壁にかかっているリトグラフかアクアチントにメゾチントかというような果物のプリントも本物だ。 ビールでカレーを喰って外に出ると先ほどの男が80歳を越したと思われる、和服を上品に着こなした女性を割烹料亭に迎えているので上客だね、というとあれは家の仲居さんですと笑った。 大体が年配の客が多いので仲居さんたちも働けるだけ働いてもらってます、と鷹揚なものだ。 ほぼ2時間以上も楽しませてもらい満腹にもなったのでグリルの釣りをこの男にチップにした。 うちの辺りじゃオランダ人はケチだけどあんたみたいな人にはチップをはずむんだ、少ないけどそれでも素うどんぐらいは喰えるからとそこを離れた。
腹ごなしに御堂筋を北に向かってアメリカ村辺りまで行ってみようと歩き始めた。 別に何をしようという目的もなくマッキントッシュの店でアイパッドを眺めたりしていたのだが三角公園の方に向かうと楽器店があったので入った。 アンプや楽器といってもギターばかりでブランドものが殆どないので訊いてみるとそれなら50mほど行くと専門店があるという。 そこに行くとなるほどヴィンテージものがあり見知ったギターが並んでいるけれど自分が贔屓のオランダ人のギタリストが持っていた何とか言うスウェーデン製の、というとレヴィン?というので、ああ、それだ、というとジェシー・ヴァンルラーの? と反応があり流石プロが来る店だ、と客の来ない4階の店で音楽事情、ジャズのことなど駄弁っていると客が来てギターを試している。 アマチュアではなくセミプロかプロのような弾き方をして暫くしてまた来ると言って帰って行った。 ながながと居座ると邪魔にはならないけどそろそろ閉店も近いのでそこで美味いコーヒーの店を教えてもらって外に出た。 なるほどその店は美味いことは美味いのだが流行の店構え、その質にしては値段が高くトレンディーとはこういうものだと外国人が多い店内を見て納得した。 女の子たちは英語が分からないのによく注文が出来るもんだと注文したコーヒーを待っている時にそばのアメリカ人の若者に呟くとスマホを見せてここに中身が説明されているからと笑った。 なるほどスマホか、自分より知っているはずだ。 ガラケイというより化石のような携帯を持っている自分には理解の外である。
そろそろ暗くなっているので地下鉄の駅へと御堂筋を渡ってすぐ何か周りとまるで雰囲気の違う空気が漂っているところに行き会ったので立ち止まって他の見物人たちと暫く眺めていた。 黒塗りジャガーの最新モデルが2台停まっていて映画に出てくるようなセキュリティーが5,6人居る。 まさか脇や腰にピストルでもつけていないかと窺っているとダンヒルのオープニングで限定客のパーティーのようだ。 カメラマン、仕立てのいいスーツの30代の男が多く、北新地のホステス様の高価なものを身につけた若い女たちが談笑している。 そんな女たちは自分の役目をわきまえているように周りを無視して会場の花と化している風だ。 ジャガーのそばのタキシードの男に何なんだと聞いてみるとサッカー日本チームの監督が来ているんだと言った。 今日は招待客だけのパーティーでというのでなるほど店の中から溢れた男女が手にシャンパンを持って優雅に振る舞っている。 ここでも何処も同じ殆どがスマホを弄りそんな小さな板に話しかけている。 そうと分かれば用はないので地下鉄に乗って動物園前で降り新世界の立ち飲み屋で喰いたいものを喰い飲みたいものを飲んで天王寺公園を抜けドイツビールのオクトーバーフェスの横を歩いているとドイツ娘の格好をした3,4人と2,3人の男が靴の格好をして1リットルは入るようなガラスのグラスを持って陽気に同じ方向に歩いているので何で5月にオクトーバーフェスなんだと言うと、知らないけどビールが飲めるんだったらいいじゃないかと酔っぱらった声で応えるし、私たちドイツが好きだからこんな格好で来たのと女たちが言う。 それだったらドイツ娘たちのように太らなきゃだめだ、そんな体格じゃドイツ娘たちのように一つ1kgほどあるジョッキを両手で6つも7つも運べないぞというとここは日本だからそんなことしないでいい、とシャーシャ―していた。 20代中頃ぐらいの男たちはこの靴のジョッキ5,000円だった、安いものだというからそうだな、ドイツでもそれぐらいかまだ高いのもあるしな、というとオジサン行ったことあるのというからミュンヘンの市役所近くのマーケットじゃ毎日もっといろいろ店が出ている、面白いよ、というので俺たち言葉出来ないしだめだな、せいぜいトラックドライバーで稼いだ金でこんなふうに遊ぶぐらいだと言って別の地下鉄の入口にガヤガヤと消えていった。
なるほど、こんな風な若者がいるかと思えばそこから数百メートルのところには10人余りの浮浪者が段ボールで囲いを作って寝ているのだ。 朝来た道を戻り宿に着いたら11時を廻っていた。 蚊取り線香の匂いのする部屋のクーラーを24℃にして風呂に入り出てきてから近くのコンビニで買った缶ビールを飲んで寝た。