暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

’16春の日本帰省旅(10)新世界の喰い物屋

2016年06月29日 03時33分03秒 | 日常

 

日本に住んでいた時は大阪のキタ・ミナミのターミナルとその周辺を歩くのは殆ど何かの用事に出かけたり用事がなくとも目的地から目的地まで最短距離・最短時間で移動することが多かった。 それは若くせっかちでブラブラすることもあまりなかったからで、還暦を越してから大分なる今とくらべるとそれはせわしないものだった。 それで今偶に帰省して大阪の町をブラブラしたいと思うときに自然と足が向くのが新世界だ。 そこには大型書店も洒落た映画館もコンサートホールもないけれどブラブラするのにはまことに心地よいところだ。 

オランダに長く住み家族連れで殆どの夏を近隣諸国の田舎を車で移動しヴァカンスををしたり大都市にはでかけることもあった過去の経験からして、日本に戻って今更取り立てて他所に行くこともなく時間を潰すには新世界は手軽で面白い。 昼間から酒を飲んでカラオケでがなりたてるのも不思議ではなく、行き交う人を観ているとまるでサファリパークで動物を観察するようにカラフルな人々が見られて飽きないし自分もそこに入れる気安さもある。 急がない、別に用事があるわけではない、というのが自分のテンポに合っていてヨーロッパでもそんなところも無くはないけれどここほど華やかで元気なものではない。 それにヨーロッパのハイストリートなどキタやミナミの若者が行き交うファッショナブルな通りと同じだから自分にはもういい、というような思いを抱かせることにもこういうところに足を向けさせる動機にもなっているのだろう。 

喰い物とそれがある周りの環境には幾分かそこに出かける年齢が関係しているのだろうか。 心斎橋筋で大丸の前にいつも緑のお茶のいい香りがしていた辺りに古い「福寿司」というのがあり帰省するたびにそこで冷酒で鯖の棒寿司を喰うのを楽しみにわざわざ出かけていた。 もちろん地下鉄の駅で降りればそのまま大丸に上がり上階のギャラリーで美術品や誰かの個展を観てからのことなのだがその店に最後に二年前ほど行くと客も従業員も老齢が多くやって行けるのかと心配していたら一昨年には200年ほどかかっていた暖簾を下ろすことになったという張り紙が店の前一面に覆われた塀に貼られていた。 今回そこを見てみるとファッションビルになっていた。 ハイストリートの変化はめまぐるしい。 幾ら美味くても若者がこなければ維持できないし若者が大量に来られるのを嫌い店内を改装もせず若い娘たちには入りにくく寿司の単価もかなり高ければそんな鮨屋はよっぽどの財力の蓄えがなければやっていけない。 多分そんな一等地では土地の単価がべら棒で後継者が難しいそんな昔からの鮨屋を継ぐのを厭えば土地を売って大金を掴めばそれが老人たちの福祉にも役立つだろうからここに来ていた客以外誰にも迷惑はかからない。 名残を惜しむ客にしても10年ほどすれば大概は世界から消える。 そんなことが世界中どこでも急激に起こっているのを感じたのがこの20-30年ぐらいだろうか。 多分そういうことは古今東西いつの時代にも起こっていたのかもしれないし自分が老いに入るときこういう光景をみると自分の経験してきた昔が消えることで代替わりを感じるからかもしれない。 この5年ほど特にそれを感じるというのもそう言うことなのかもしれない。

けれど新世界ではそのテンポが遅いように感じる。 だからここに来るとのんびりする。 この10年ほどこの町には日本各地から御上りさんが来て、それは往々にして若い娘たちが多く時にはどうしてこんなところに長蛇の列が出来ているのかというような現象も見える。 イラチな自分にはそんなところで半時間も1時間も並ばなくとも近くに同様の店があるのに、と思いながら横目でそういう人々を眺めて通り過ぎるのだ。 分からなくもない。 大抵手にはガイドブックを持ち他の店に入ろうと思っても立ち飲み屋や串カツなどの店には若い者には入り難いある種の雰囲気があってとても一見では入れないような居心地悪さを感じるのだろう。 そういう店はここに見るようにオッサンが多く若い娘たちが興味本位で入ってきてもジロジロ眺めまわし値踏みをするようでもあり自分がそんな娘ならよっぽど腕っぷしの強い男友達と一緒でないと入らないかもしれない。 

通天閣のすぐ下にあるこの立ち飲み屋は誰からも進められたわけでもそんなガイドブックなども見たこともないけれど大分前に何気なく入り普通に壁に貼られた品書きを観て喰いたいものを注文し冷酒や生ビールで適当に腹を膨らませて次のところにあてもなく出るそんな場所だ。 一度行って別に差しさわりが無かったから次の時にも行くということが重なった。 鯖のキズシ、土手焼き、クジラのコロ、野菜の串カツ、紅しょうがの串カツに冷酒か生ビールのごく普通のもので十分だ。 長居をするなら縮緬雑魚に大根おろし、う巻き卵を加えてもいい。 なんとも地味な老人食なことか。 冬ならオデンの大根や餅入りの巾着オデンが加わるはずだ。 自分の宿の場所柄朝8時にはここにくることはないけれど近くに住んでいれば8時からでもそういうふうに飲み食いするだろう。 それにこの通りには美味い昔風のコーヒーを出す古い喫茶店やジャズを流す店まであるのだからいうことはない。