暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

眠りの定型

2018年02月22日 10時14分44秒 | 想うこと

 

若い時から眠りに入るのに苦労しなかったし眠ってからも夢を見ることは殆どなく眠った次の瞬間にはもう朝だ、というようなパターンだった。 友人に枕元にメモ帳を置いて目覚めたら必ず見た夢を記録してそのうち或る程度夢を自分で制御できる、観たい夢をみられる、というような者がいた。 そんなことができるのがうらやましいと思う一方、どこかでそれではつまらないとも思っていた。 夢は荒唐無稽だから面白いので自分の計画したものがその通り見られるのはそれはただの自作映画でしかない。 映画は他人の作った自分が予期もしなかった物語が眼前で繰り広げられるから面白いのであって、それに自分は自分で映画を創りたいとも思わない。

眠りに入るのに苦労しないというのには小さい頃からの習慣が作用しているのかもしれない。 運動や仕事で疲れている場合寝床に横になるとそのまま苦労なく眠りに入れるのはいうまでもないけれど日常生活では大きな疲れもなく寝床に入るのが普通だ。 眠くなるまで起きていて寝床に倒れ込むようにしてそのまま眠りに入るパターンも多いけれど普通は眠りが訪れるまで読書するのが習慣になっている。 大抵複数冊の書物を枕元に置いている。 机の前で読書することはほとんどなく自分の読書経験の多くは寝転んで読んだものだ。 一番幸せなのは時間の制限なく興味の赴くままに読み続け疲れたら眠り目覚めては読む、というパターンだ。 思い出す幸せな思い出は高校生の夏休み、畳の上に枕一つで横になり文庫本を飽きるまで読んだことだ。 幸せな思い出となったのは多分書物が軽いものであったり少年のための文学作品というようなものだったからだろう。 後年、徐々に腹に応え、重く、また人間の不条理というようなものが描かれるものに親しむにつれて徐々に自分の青さが変化していくようでもあったけれど読書体験だけで人生が理解できるというのは一面的にすぎるというものだ。 いくら退屈だからといっても我々の実生活が本番である。

眠りを削ってまで本に曳かれるというのも良し悪しである。 もう眠らなければ翌日に響くと分かっていてもやめられないときがある。 昔仕事をしていたときにはそんなとき本を読むのをやめても興奮しておりすぐに眠りにはいれないことがあった。 そういうときには強い酒をナイトキャップ、眠り薬として飲むのが常だった。 定年し年金生活者となっている今は明日とりたてて約束があるでもなく、朝はやく起きなくてもいいから制限なく好きなだけ読み続けていいのだが体力が追い付かずそのうち沈没するのが定型になっている。 

眠りにも体力が要るようだ。 昔は例えば1時ごろ眠りに就いても朝の7時ごろまでは一気に眠り、途中小用に起きるということもなかった。 けれどいつのころからか、たぶんこの5,6年だろうか必ず途中で起きるようになってきている。 今のパターンは例えば12時に眠りに入るとすると5時半ごろに小用に目覚め済ませた後寝床に入ると眼が冴えているから読書を1時間ほどしてから疲れて本を置きそこから2時間ほど眠り起床するというのが慣例となっている。 

もうこんなブログを書くことを足かけ14年ほどやっている。 ああでもないこうでもないと考え考え綴るのだから結構時間がかかる。 深夜の物音のしないところでポツポツとキーボードを叩くのが好きで音楽を聴いたり読書をしたりネットであちこち眺めたりして時間を過ごす。 だからこの十数年の生活パターンは朝5時ごろ就寝して昼前の11時ごろ起きるというのが日常だった。 起きて朝昼兼用の食事を済ませ自転車で職場に急ぐと言うようなことをしていた。 大学の日本語教師としての授業時間をすべて12時以後にしていて朝は起きなくても済んだのがこのような睡眠パターンが可能な理由だった。 この時には11時起床という制約があったので就寝にあたって強い酒、オランダのジン、ジネーヴァをショットグラスで飲んでその力で眠るのが常となっていた。

眠りのパターンが変わったのは去年の胃の手術からだ。 5月の末に胃癌で胃の8割を切り取る手術をして体力がほぼゼロから徐々に回復した。 当初体力がないものだから眠りにしてもパターンはなく始終朦朧としていた。 ものごとに集中も出来ずベッドに横になって微かな音量でネットで探したクラシック局から軽いクラシック音楽ばかり聴いていた。 それしか聴けなかったのだ。 ポップはおろか自分の好むジャズでさえ煩わしく、ましてや活字を集中して追う読書などできるものではなかった。 3週間の入院の後自宅に戻りベッドの上の生活となり徐々に眠りのパターンも出来て夜8時のテレビニュースを見てから暫くテレビの番組を眺めていたけれど辛抱が続かず二階の自室に戻りベッドに横になる。 始終微かにFMのクラシック音楽を流していて眼を瞑ってはうつらうつらとし、数時間眠っては目覚めることを繰り返していた。 そのうち徐々に読書も叶うまで体力が戻り、そんな室内だけの生活の中で横になることが中心の時間が続きテレビ好きがテレビから離れるようになる。 なにを観ても面白くないのだ。 また、ジャズは体力が充実していなければ聴けない種類のものであると悟った。 元々ものを書く時のBGMとしてグレゴリオ聖歌を専門にしているネット局があってそれを聴きながらことを進めていたのが今は殆どがクラシック局になっているのだからここに音楽と体力ということの相関関係をみるようでもある。

こんな中で徐々に体力が恢復するにつれて眠りのパターンも定まってきたのだが夜型の生活時間は戻ってこなかった。 現在でも夜は11時になると寝床が恋しくなる。 昼間に運動したり長い距離を歩いたときには夕食後にもう寝床が恋しくなっている。 そんなときは調整するためにせめて10時ごろまではおきているようにするのだが横になると沈没するのが常である。 胃が殆どなく繋いだ腸を訓練して胃に補填するようにしているのだと医者は言うのだが、実際働きとしては文句のいいようがないとしても容量が甚だ小さいものだから大食いの往時の7割ほどにもどってきた現在は食欲・味覚は何事もなかったかのように振る舞っていても胃もどきの器官が入って来る量に泣き言を言い悲鳴を上げる。 だから食事の後は10分ほどベッドに体を横たえて胃もどきの負担を軽くするような体勢をとるのが日常にもなっている。 そのとき本を手に行を追うのだがしばしば一時間ほど微睡むことになるのもまた日常的である。 そんなときにも夢などみることはない。

この度3週間ほど日本旅行をした。 地元の村の大邸宅を中国人が買って改修しホテルにしたところに滞在していた折、畳の大部屋に4人雑魚寝し畳が珍しい他の3人は喜んでいたものの自分は寝起きに足腰の骨に負担がかかるのを感じ歳を感じた。 別の部屋ではベッドが3つで4人寝ていたこともある。 子供たちがオランダに戻った後は夫婦二人で幾つかのホテルに宿泊しそこでは一つの部屋で二つのベッドに寝ていた。 普段はそれぞれ各自の部屋で生活しているから眠りのパターンが邪魔されることもなく自分勝手な眠り方をするのだがこういうときには困ることがある。 これは数多の夫婦の問題でもあるのだろうが、一人が眠りたくとももう一人がまだ明かりをつけて読書を続けたいとき片一方がアイマスクなどで自分の眼を暗くして眠れるならば問題がないのだがそれでも気になるというとそこで一方がまだ眠くなくとも部屋を暗くしなければならなくなるのだ。 ここでは眠ってからの鼾やその他の行動については問題にしないことにして取敢えずは眠りに入る体制に入ることを問題にする。 そうするとまだ眠くなくとも眠らなければならず、日頃そういう訓練をしていないものにはある種の拷問となる。 羊を数えるか頭の中で眠くなるような想いを膨らませるか、往々にしてそんな時頭に浮かび上がってくるのはちょっとした思い煩っていることやどうでもいいことなのだが自分にはそんなものごとの種が頭の中で徐々に育ち逆に大木となって眠りを妨げるようになりがちで始末に負えなくなる。 

子供たちがまだ小さいころから夏の休暇には車にテントを積んでヨーロッパのあちこちに出かけていた。 そんな折、この問題に対処するために当時はカセットテープの音楽をヘッドホンで聴きながら眠るという方法を採っていた。 これならだれにも迷惑がかからず眠りに入れる。 それがCDウオークマンに変わりそれが小型のアイポッドになり今もそれを持ち歩いてバカンスの折りのこんな時の睡眠導入材としている。 ジャズのスタンダード・ヴォーカルでバラードを唄ったもの、クラシックのピアノソナタやモダンクラシックなどが自然に眠りに導いてくれるから技術的にこの問題を解決してくれるので何人かとの旅行には本は必携ではあるがそれ以上に自分にはアイポッドが欠かせないものとなっている。 一人で寝室を采配できるのなら眠りは比較的簡単なのだが二人以上となると眠りの形が社会的問題となり誰もが満足のいく解決方法はいまのところこれ以外に考えられない。 これにはまだ室内温度がどうこうということになると問題が複雑になるのだが大体が男が女の言い分を受け入れるということで治まるようだ。


ふとん着て寝たる姿や東山  服部嵐雪

 



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