私の音楽遍歴(2)
私が小学校の高学年に上がる頃は50年代から60年代に入り、私の村では山側から海の方に抜ける乗合バスが通る道は舗装になっていた。 友だちの兄さんは高校生で髪の毛をポマードでかためて、当時はやりの若きプレスリーの格好にしていたが、私にはあのようなプレスリーのどこががいいのかさっぱりわからなかった。 それより、ラジオから流れてくるへレンシャピロの、鼻音をふくむ低い声がとても切なく聞こえ、胸がしめつけられるようだった。 いまでも、その想いは変らないのがふしぎだ。
その当時のデルシャノン「悲しき街角」にしてもシャピロの唄にしても、アメリカの流行り歌、特にイタリア移民の子孫の唄には抜けるような明るさが満ちていたが同時に奇妙な哀愁が幾分か含まれていたようなきがする。ここにはまだ黒人のブルースの影響はない。もちろん黒人グループのプラターズなどのヒットソングはあったものの、まだR&Bといえるほどの粘りは表面には出てきていない。
これからあとの牧歌的なアメリカンポップスの時期を抜ければあとはビートルズとストーンズ、ジミヘンの怒涛の電気楽器で力が炸裂するロックの時代が到来するのだ。 けれど、この境目にまだ、言っておかねばならぬ、特にものの考え方にいささか影響を与える音楽もあったのだ。
それは、次の機会に。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます