暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

野生のヒヤシンス

2018年05月03日 11時27分54秒 | 日常

 

何だか鬱陶しくこの二日ほど家の中に籠ってコンピューターの前に坐りきりだったから腰が痛く、これではだめだと近所を歩いてこようと家を出た。 

庭の隅を見ると辺りが薄紫というか薄い青というかそんな色が広がっていた。 オランダ語で Wilde Hyacint、 直訳すると 野生のヒヤシンス だ。 ヒヤシンスなら中央の茎から細かい花が沢山生って、喩えていうとトウモロコシの実のようなコーン型になるのだがこれはそんな花が小さな釣鐘のように一本の茎から沢山ぶら下がりヒヤシンスのように一本一本立ち上がって見えるようなことはない。 庭のあちこちに茫洋と生えている。 同じ形の白もあって住み分けているように見える。 釣鐘草、待雪草、鈴蘭と同じく小さな鐘、ベルのようなものがぶら下がった形の花なのだがこの野生のヒヤシンスはサイズが大きいから他と紛れることはない。 それに眼についた青、薄紫であるので小さな白い花の咲く鈴蘭などとは一見して別だとの判断が働くし、たとえ白の野生ヒヤシンスをみてもその釣鐘の広がりのしゃくれ具合が鈴蘭とはまるで別物だと分かる。 すぐそばに先日撮った鈴蘭がまだ開花せず胎児のようだとみえたものが徐々に開き始めているがまだ馴染みステレオタイプの鈴蘭の形になっていないのに対してこの野生のヒヤシンスの咲き具合の速さというか鈴蘭を追い越して辺りを睥睨しているのを見ると感心するものがある。

運河に架かる橋を越えて向い側の地区をぶらぶらと歩き対岸をうちを遠くに眺めながら2kmほど散歩してきた。 途中で被写体になるような作業員風の男を見かけたが声をかけそびれた。 物憂さが声をかけるのを引き留めていたようだ。 T-シャツのキン肉マンでそこには嘗てのZZトップのように長い顎鬚をたたえたサングラス姿だったのだ。 運河にもやっているプレジャーボートの中年夫婦もいい被写体になりそうだったのだが手にカメラをぶら下げていても声をかけなかった。 声をかけるスタミナがないのだ。 ほんのちょっとしたことなのだが知らない人にものを頼むのには、ことに撮ってもいいかどうか尋ねるのには気力が要る。 

途中でスーパーに寄ったのだが背中のバックパックに負担にならないよう取り立てて買うようなことはしなかった。 散歩途中であちこちの草花にカメラを向けたがピントがうまく合わずちゃんとしたものが撮れなかった。 ゆっくりと一時間ほど散歩して帰宅した。 それで腰の痛みもなんとか治まりゆっくり夕食の鶏肉のグリルにかかった。

尚、ここにはオランダ名に倣って 野生のヒヤシンス としたけれど和名は イングリッシュ・ブルーベル となっていてその中に日本語は入っていない。 ヒヤシンスにしても和名はあっても 風信子、飛信子 と見慣れないものでヒヤシンスの シン をとって漢字を当て嵌めたたような怪しいものだ。 オランダ名にはこの他に 森のヒヤシンス というのもあって確かに森の中に一面この青いものが広がっているのを今の時期に見かけるのだが、先々週リンブルグの山野を歩いた時にはまだ時期が早く、開きはじめのものを見かけたけれど息をのむほどの光景にはなっていなかった。 けれどあのあたりは今ではもう薄暗い森の中に一面にこれが広がっているのだからそれを想像するとちょっと惜しいことをしたような気もするけれど、それなら今は近所の自然公園の林のなかにも咲いているのだろうからそのうちそんな辺りも歩いてみようかとも思うがモノグサな自分には何でも腰をあげるまでが遅く仮令そこに出かけたとしてももうそのときには既に盛りは過ぎているということになるのが精々のところだ。