暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

昨日羊の肉を煮込んでいる間に惜しいことをした

2013年11月24日 14時58分10秒 | 日常

昨日、まとまりのない何となく過ごした土曜日だと記したのだがその日起きてすぐメールボックスを開けていたら画期的なニュースに立ち会えたのだがそれを逃した。 知り合いからメールが入っていてシーボルト博物館でオランダ語で初めて源氏物語の翻訳が出ることになり、その出版記念とアムステルダム国立博物館が江戸初期にオランダの東インド会社を通じてオランダに持ち帰った源氏物語をモチーフにした蒔絵の筺を7億5000万円ほどで購入したことに重ねて源氏物語関連のレセプションがあったのだ。 アムステルダム国立博物館はこの間、もう何年も補修をしていて閉館だったものがオープンするときに山陰地方の古い寺から購入した鎌倉時代の運慶・快慶のながれを汲む金剛力士像を17億ほどで購入し、それをオープンのときに全面に出していたのだから今回の蒔絵も見事なものに違いなく、その事情を直接古くから知るその学芸員から聞けたのにとまことに残念な思いをした。  

今から思うと自宅でコトコトと羊の肉を煮込んでいたときにそのイベントが行われていたことになる。 その羊肉を買うのに仕事場から自転車でレンブラントの生家の前を通り、その父親の所有していたと思しき風車を通り過ぎていくのだがそのときふと生家と風車をつなぐ跳ね橋の上から古い港にカメラを向けて曇り空の下、シャッターを切ったのだけれどその場所はまさに17世紀以降インドネシア、中国、日本から文物が運ばれてきた所でもあるのだ。 源氏物語をモチーフにしたその筺がここに着いたという保証がないのは東インド会社の港はここひとつだけではなくあちこちにあるからだ。 ただ江戸時代後期、シーボルトが日本から持ち帰った文物はここに運ばれ港の奥の家屋やここから1kmほど離れた場所、さらには200mほど離れたシーボルトの住居に保管されていたことは確かだ。 博物館的な価値に加えて美術的価値の高いものはアムステルダムの国立博物館に行くようだ。 例えば将軍の花押のついた第一級文書の類はハーグの国立公文書館といったぐあいである。 

世界各国から見物客が来るアムステルダム国立博物館は再開館してからまだ半年も経っていなく夏に入り口の建物をみたけれどかなり混雑していた。 金剛力士像を観たいとおもうけれど一番寒く客が少ない時期に訪れようと思う。 正月に帰省してオランダに戻って落ち着いたころになるだろう。 その頃にはこの源氏の蒔絵の筺は展示されているだろうか。

まとまりのない土曜だった

2013年11月24日 04時21分10秒 | 日常

昨夜、1960年代の岡田茉莉子主演の映画を二本観てその後、ミニ映画祭の主催者、知り合いたちとカフェーで12時まで色々と話していて帰宅してから身損ねたニュースを見るべくテレビの前に坐って観ていたらそのうち居眠ってしまい目覚めたら2時間経っていた。 頭がすっきりしたからそれから3時間は眠れず結局いつもの通り5時を過ぎてから寝床にもぐりこんだので眼覚めたら昼を廻っていた。 今日することは土日の食材をマーケットに買いに行きその後、ラジオやCDを聴きながら料理することだけだ。 

この2ヶ月ほど土曜の食事のルールを変えている。 子供たちが家を出てそれぞれ下宿しているので家で食事をする場合は予め来ることを連絡しておくこととした。 家にいた頃、自分が食事当番の土曜には子供たちが何かの具合で外食する場合には予め連絡をすることがルールだったのだがそれを逆にした。 マーケットから戻って日曜の晩飯の羊肉の煮込みを作っているときに息子から晩飯に来ると連絡があったがそれは食材をすでに買った後だから遅すぎるのだけれど肉は昨日4人分買ってあったから慌てることはない。 どうせこどもたちは連絡もしてこないのだからと大抵4人分作って余ったらそれを自分の夜食にする算段でやっている。 今夜はひき肉を500g買ってあってそれでハンバーグをつくるつもりをしていたからもし今晩3人なら150gほどのものを3つ作り小さいものを一つ作っておけば丁度いいと算段した。 ジャガイモはちょっと多めに茹でて余ったらそれはどうにでも使える。 

6時前になりほぼ肉を焼けば終わりというところで娘がやってきて何度も電話したけれど繋がらなかったと言い訳をした。 大きな肉からそれぞれ少しずつ千切って小さい肉に足して4つ同じような大きさに揃えた。 小さなメロンを買ってあったのでそれをデザートした。 10時ごろ娘は自分の下宿に帰ったけれど息子は明日の朝フィールド・ホッケーの試合があるとかで家に泊った。 10月の初めハーグに越して以来土曜日はガールフレンドのところに泊って日曜の試合はそこから行くようなことをしているのだが今日はガールフレンドは彼女の下宿にいないようでだから家に泊ることになったのだ。 

夜中に日本の母親に電話をした。 何日か風邪で寝込んでいたのだがやっと起きることができるようになり住んでいる介護施設の食堂まで歩いて行けるようになったと言っていた。 声に力があまり感じられないもののそれほど酷くないようだ。 日曜昼に射撃競技会があるので火薬の準備をして目覚ましを10時半にセットした後寝床に入った。