暇つぶし日記

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ろくでなし    (1960);観た映画、 Nov., '13

2013年11月23日 13時40分51秒 | 日常




ろくでなし  (1960)

88分

監督:  吉田喜重
脚本:  吉田喜重
撮影:  成島東一郎
音楽:  木下忠司

出演:
津川雅彦
高千穂ひづる
川津祐介
山下洵一郎
安井昌二
渡辺文雄


以上が映画データベースの記述である。 ネットのMovie Walkerには下のような粗筋と解説があった。

http://movie.walkerplus.com/mv22941/

本作は在オランダ日本大使館主宰の吉田喜重・岡田茉莉子特集としてライデン大学の大講義室で日本学科スミッツ教授の解説の後放映されたものだ。 尚、観客は8人ほどだった。

吉田喜重のデビュー作品だそうだ。  自分が今まで吉田作品を観たのはこの10年ほどで観た「秋津温泉(1962)」と「戒厳令(1973年」の二作だけだが両作からは60年代の終わりに観たATG作品やその当時の新進監督、大島渚、篠田正浩、羽仁進などの作品を観たときのような感銘を受けた。 日本映画史において黄金時代を築いたこれら新進監督たちがその時代を代表する女優たちをそれぞれ伴侶としたことは興味深い。 

しかし本作ではヒロインは高千穂ひづるであり岡田茉莉子は登場しない。 高千穂の後年の作を観て自分がもっていた印象は、美人ではあるけれどつんつんしてちょっとケンのある「お高くとまった」女だったのだがいうまでもなくそれは当然作られたもので、本作もその流れを引くのではあるから、ああ、あの女優だったのだなと納得したけれど作中では自ら他人から見える自分の印象を語る場面があってそれが彼女の役に順当に当てはまるものであり、理想なり自分の基準をもちながらも現実的であるゆえに物事に批判的であらずにはいられないヒロインの性格として描かれていて定まらない性格の主人公津川に惹かれるという役である。 本作の主人公はタイトルにあるように高千穂から「ろくでなし」と言われた津川ではあるものの自分には川津祐介と高千穂ひづるに焦点が向かうようだった。 それは60年当時、自分たちが置かれている社会を冷徹に意識した性格が与えられておりその有効性は現在までも充分届くものであるからだ。 特に川津の父親である三島雅夫の言動が戦後民主主義を標榜する日本の良識を代表するものであるからそれに対する批判としての三島の存在と川津の諦観が地に足の着いたものとして説得性をもち現在まで有効なものとして変更不要の普遍性をもったものとしてある。

大学キャンパスに寝転んで川津がランボーの詩を朗読するシーンの後ろに一瞬60年安保の学生運動のシーンが挿入されそれが本作で唯一当時の世相を示すものであるのだが形式的には前東京都知事のデビュー作、太陽族の生態とも重なるようにも見えるものでもあり、その作品でも登場した津川及びその兄である長門裕之らが本作の学生達に対照されるだろうけれど映画の持つ批評力は吉田の作にそれが偏在していることは明らかである。 少しだけ顔をだす拳銃売りの男、佐藤慶ならびに歌手、ささきいさおが登場すると顔の頬がゆるむのを感じる。

音楽に関してはモダンジャズが初めから流れ、チャーリー・パーカー調のアルト・サックスで始まり後ほどテンションが高くなるとソニー・ロリンズ調のテナー・サックスに変り、日本のモダンジャズ史を辿っても1960年当時日本のジャズが世界に開いていたことを示す演奏である。 大江健三郎の「個人的な体験」のなかで主人公の名前がチャーリー・パーカーに倣ってかバードとあったように当時からモダンジャズはこのように若い芸術家たちに影響力をもち浸透していた例としてみることができるだろう。