夕食の後、近くの禅寺に散歩がてら出かけて30分を3回ほど坐る。 これを1週間に1回づつ続けていたのだが、バカンスの後不規則になりここのところご無沙汰だったので今晩は出かけた。
昨日の晩は4時間ほどしか睡眠をとっていなくて今日は昼に少し根を詰めて人と話をすることがあったので神経が少し疲れているし、眠気もどこかに漂っている。
曹洞宗の寺なので坐るときには壁に向かって坐る。 15人ほどが坐れる禅堂は座布団の上方、壁の上部にろうそくが置かれ、室内の中心にある文殊の像の前には線香と長いろうそくが灯され、ろうそくの光がこの空間を照明する。
薄暗い壁に向かって坐るとそれぞれのろうそくから放たれた光が自分の体の形を抽象的な幾何学模様に変え薄く壁に幾重にも映し出す。 斜め後方2mに満たない距離にある文殊のろうそくは強く私の体の形を目の前に浮かび上げらせる。 自分の坐った影が目の前にある。 その像は左右対称形ではなく右側が少し短いようだ。 この空間でも空気が動いているのか炎が微かに揺れると影の縁が微妙に揺れる。 形が微妙に非対称であるゆえ、眺めているとおのずからどこかで補正しようという意志が働くのか余計に像が揺らぐ。 この時点で集中力が破れていて徐々に眠気が侵蝕してくる。
始めの10分だけだ集中して坐れたのは、あとは記憶が微かだから居眠りをしていたらしい。 住職の声に一瞬のうちに覚醒したのだがその後もそれも長く続かず結局今夜の座禅はまともに坐れたのは全体の3分の1以下だろう。
この日のもう一人の参禅者が帰った後、私と住職は玄米茶を飲みながら四方山話に花を咲かせたのだがこの途中でも眠気が襲ってきて早々に帰宅してこれを今、書いているのだが眠くてしかたがない。 ここまでで何回舟を漕いだことか。 酒に酔ったような気持ちのいい気分である。このまま寝床に直行する。
昨日の晩は4時間ほどしか睡眠をとっていなくて今日は昼に少し根を詰めて人と話をすることがあったので神経が少し疲れているし、眠気もどこかに漂っている。
曹洞宗の寺なので坐るときには壁に向かって坐る。 15人ほどが坐れる禅堂は座布団の上方、壁の上部にろうそくが置かれ、室内の中心にある文殊の像の前には線香と長いろうそくが灯され、ろうそくの光がこの空間を照明する。
薄暗い壁に向かって坐るとそれぞれのろうそくから放たれた光が自分の体の形を抽象的な幾何学模様に変え薄く壁に幾重にも映し出す。 斜め後方2mに満たない距離にある文殊のろうそくは強く私の体の形を目の前に浮かび上げらせる。 自分の坐った影が目の前にある。 その像は左右対称形ではなく右側が少し短いようだ。 この空間でも空気が動いているのか炎が微かに揺れると影の縁が微妙に揺れる。 形が微妙に非対称であるゆえ、眺めているとおのずからどこかで補正しようという意志が働くのか余計に像が揺らぐ。 この時点で集中力が破れていて徐々に眠気が侵蝕してくる。
始めの10分だけだ集中して坐れたのは、あとは記憶が微かだから居眠りをしていたらしい。 住職の声に一瞬のうちに覚醒したのだがその後もそれも長く続かず結局今夜の座禅はまともに坐れたのは全体の3分の1以下だろう。
この日のもう一人の参禅者が帰った後、私と住職は玄米茶を飲みながら四方山話に花を咲かせたのだがこの途中でも眠気が襲ってきて早々に帰宅してこれを今、書いているのだが眠くてしかたがない。 ここまでで何回舟を漕いだことか。 酒に酔ったような気持ちのいい気分である。このまま寝床に直行する。