暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

まだジュールコールだ

2019年03月05日 19時28分35秒 | 喰う

 

まだジュールコールだ。 この間まで暖かくもう春かと思われるような陽気が続いていたけれどここに来てまた気温がもどり寒くなった。 だからそんな時には冬のジュールコールを喰う。 ここにもう今までで何回ジュールコールのことを書いて来ただろうか。 だからこの前のことを下に牽いてこのオランダの国民的献立については詳しいことは書かない。 

https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/61340470.html

燻製のソーセージを茹で、カリカリに炒めたベーコンを添える。 ジュ―コール自体は八百屋で「婆さんのジュ―コール」と言われるジェネーバの実や胡椒、クーミンの実が入って酢と塩で漬けてある硬いキャベツを買ってきてそれに白ワインを注ぎ、ニンジン、長ネギ、玉ねぎ、パプリカなどを炒めたものも加え、煮炊き用の林檎、バナナを最後に添えて煮る。 茹でたジャガイモの上にかけて喰う。 白ワインやビールが合うが残念ながら抗癌剤を飲んでいるので諦める。 癌巣を胃と食道に抱えて抗癌剤で押さえている身にはジャガイモが一番胃に優しくすんなりと普通に楽しめて都合がいい。 オランダ人はこういう田舎料理を卑下してするが彼らが実際一番好きなのはこういう料理なのだ。 ここに住めば何人でもこれが好きになるのはほぼ確実だ。


どの順番で喰うか

2019年02月22日 10時04分30秒 | 喰う

 

 

2019年 2月 18日 (日) 

このところこういうものを朝食に喰っている。 大きめのブラウンブレッドのスライス1枚を180℃にしたオーブンで片側3分づつ焼いてそれにバターを厚く塗り、四つに切って一つにはローストビーフに粗びき辛子を塗ったもの、一つにはカマンベールやソフトチーズを乗せたもの、苺ジャム、チョコレートペーストを塗ったものを喰う。 飲み物は濃く淹れた紅茶に砂糖をたっぷり入れて濃厚ミルクティ―400ccだ。

何年も前まだ健康な時にはパンのスライスを2枚も3枚も喰っていたけれど胃を8割切ってからは量がだめだから大きめのスライス1枚が限度だ。 今抗癌剤投与の解毒期にあたり味覚・食欲は甚だ健康で朝空腹を感じることさえある。 癌再発が分かる前から抗癌剤投与の前、年末ごろまで苦痛だった毎回の食事が今はまるで嘘のようにスムーズに食餌が進む。 それに体重を落とさないようにタンパク質、カロリーの高いものを奨励される。 だからバターたっぷり、人工甘味料でなくちゃんとした砂糖、肉、ハム、ソーセージが奨励される。 ひところ体重とコレステロール、脂肪、糖分に注意して体重を増やさないよう警告されていたことが夢のようだ。 出来るだけ喰え、喰え、体重を増やせのこの頃だ。

食い物はべつとして朝食の皿にこのように並んだものを前にして、どの順番で喰えば味が衝突もせず穏便に腹に収まるのか思案するのだからなんと能天気なものだと自分でも呆れるけれどそれもちょっと考えてみると理由の無いことでもない。 急ぐことも朝食の後何をすることもない暇人の考えることである。 

チョコレートのついたパンは菓子パンであるけれどこれも侮れない。 嘗てこどもたちがまだ小さいころ夏の休暇でフランスの田舎のキャンピング場に滞在することが多かった。 そんな朝、歩いたり車で村のパン屋に行ってその日のバケットやクロワッサン、チョコレート入りのロールを買って戻り淹れたてのコーヒーで朝食にするのが常だった。 その時以来時々は朝食にこういうことをする。 けれどチョコレートの味が勝つのでチョコレートは順番の最期に持ってくるのが順当だろう。 何日もリュックを背負って歩くウォーキング・バカンスの夕食にはステーキを喰いたくなるし抗癌剤投与期で体力・食欲が戻ってくれば肉が喰いたい。 だから生肉に近いローストビーフが今の朝食の必須となる。 それに粗びきの西洋辛子をつけるとこれが朝一番に齧り付くものとなる。 そして熱い濃厚なミルクティーを二口ほど飲んでカマンベールやソフトチーズを口にする。 本来ロストビーフやカマンベールと来ると赤ワインが欲しくなるし嘗ては朝からでも飲んでいたこともあったけれど毒を薬として体に入れている今は流石に控える事は心得ている。 

これからあまり遠くない未来にもうだめだということになれば夜中や朝など時間に限らず好きな時に好きなものを飲み食いするに違いないしこの組み合わせは悪くない。 もう50年以上前、親戚の伯父が癌でもうだめだというときに病床で好きなものを贅沢に飲み食いしていたことを見ている。 斜陽だったとはいえ繊維会社の社長で芸者買いが教養のない自分には一番の愉しみだったという男が贅をつくした食い物を花と籠に入った沢山の醸し出す果物の匂いが漂う病院の特別室で喰う。 子供の自分は勧められるままにそんな美味なものを裾分けされたのだがそれはそれで美味いとは思うけれどそんな状況下で言い難い妙な感じがしたのを覚えている。 そのとき伯父はどんなことを思いながらものを喰っていたのだろうか。 今自分が似たような病気を得て喰うことが寿命をのばすことだと言われてそれに従って努力して喰う。 これから病状が進みいよいよというときが来るに違いない。 そのときに自分もまた伯父のようにあれが喰いたいこれを持ってこいと未練と欲に急かされて喰うのだろうか。 ただしその時に食欲があればの話である。 それに食欲があっても喰えないということもあるのだ。 

自分の簡素な朝食に戻る。 朝食であるのだからジャムは必須でもある。 家人や子供たちにバカにされながらも自分は苺ジャム一筋だ。 他に眼が行かない。 砂糖分が少なく香りがあって酸味が前に出る苺ジャムがいい。 それを済ませてから抗癌剤投与期には毒を飲む。 解毒期にはすっきりとした気分でさて今日一日どんな日になるのかぼんやり想い先ずはベッドに暫し横になる。


イタリア仕出し屋で

2019年02月11日 00時19分51秒 | 喰う

 

毎週その前を通るのに今まで気にかけてもいなかった店に入ることになった。 今は他の町に住む娘があそこの料理は美味いと勧めてくれたのでそこに行ってみることにした。 知り合いの古LP/CD/DVD屋の斜め前の店で入口が狭いもので通りに出した小さな丸テーブル二つから通るたびにそこはイタリアンカフェーだと思っていた。 いつもそこではイタリア語が飛び交っているし殆どが女性ばかりだから自分の入るところではないと思っていたしカフェーなら他に自分がゆったりできるところがいくつもある。 何をわざわざ姦しい女ばかりのところに入ることがあるのかと斜めに見ていた。

家人は娘の評判を基に自分の妹二人と何週間か前にそこでランチにしてえらく気に入っていて土曜の午後マーケットに行くときに娘と家人の三人で試してみようという事になったのだった。 自分は量は喰えないから他の者たちが注文したものを摘まんでいればいいと踏んでいた。 家人はそこで喰った煮物のカーボネロ(黒キャベツ)、イタリア、トスカーナ地方が原産と言われている葉キャベツの一種で、オランダでは椰子キャベツ(palmkool)と呼ばれているものが印象に残ったといっており、2週間ほど前に共同農園を散歩で訪れた時にそれを見ていたからそれも試してみたかった。 そこに行こうと思ったのは家人も娘も好みではない自分が好きなトリフのラビオリがあると聞いていたからでもある。

そこは女ばかり4人でやっている仕出し屋のようだ。 自分で粉を捏ね、詰め物、煮物を用意してパスタやラビオリなど、それに肉の煮ものも次々に作られできる度にショウウインドウに並べ持ち帰りの客に提供する仕組みなのだが小さいテーブルが8つに長テーブル一つを鰻の寝床のようなスペースに配したレストランでもあるのだ。 どういうわけか圧倒的に女性が多くまたイタリア人が多い。 それに店の女性たちは誰もオランダ語を解しない。 やりとりは英語なのだがイタリア語のアクセントが強過ぎてこっちの言いたいことが通じているのか確認しなければならないほどだ。

今日はラビオリと煮ものを試すことにした。 肉、チーズ、トリフ、ホウレンソウ、野菜のラビオリに鮭の混ざったソースをかけたもので3人分の腹を満たすのには充分だった。 ソースは簡単なものでバターを溶かしたもので香草のセージのエッセンスをひきだしたもの、鮭のソースにはレモンの皮を擦って散らした香りがついていた。 

煮物はカーボネロ、マッシュルーム、セロリ、赤・黄パプリカ、チコリ、芽キャベツ、ズッキーニなどが盛り合わせられていたけれどそれぞれが別々に調理されておりグリルされたパプリカからは甘く香ばしい味が立ち上がっていたし、ズッキーニやチコリなどには別々に下味が施されており雑然と盛合された煮物の野菜たちからはそれぞれの特徴ある味が立ち上がってくる。 初めて口にした黒キャベツ・カーボネロはその名の通り畑では椰子の葉のように緑に育っていたけれど煮物にされれば黒く伸びて歯ごたえがある。 味はキャベツか味の濃いパクチョイのようで特筆すべきは何か中東の香料を思わせる特徴ある味が含まれていることだ。 グラスの赤ワインを注文してこういう美味いときの特例とした。 直に死ぬ末期癌患者なのだから何をしてもいいのだがまだ死ぬほど苦しい目をしたくないのでほどほどにしておく。 飲むといっても舐めるだけでグラスの一割ほどを喉に入れて後は酒も煙草も嗜む医者である娘の腹に入った。 

パンが美味かったので帰りに一つ求めて帰った。 ラビオリのソースが美味かったのでパンで皿のソースをこそげるようにして喰ったのだがイタリアパンが懐かしく知らぬ間に千切っては口にしていた。 基本は粘りのある中身なのだが側というか皮が香ばしく懐かしさに魅了された。 ちゃんとした薪の窯で焼かれたピザの側の味だ。 自分が子供のころから青年期まで毎年撞いた餅やそれから乾かして作ったかき餅を火鉢で焼いた香ばしさでもあり、夏の休暇に出かけたフランスの田舎で朝、村のパン屋に出かけて出来立てのクロワッサンとともに無造作に包まれたバゲットの捻ればパリパリこぼれる皮の香ばしさでもある。 こういうものはその日のうちでなければ美味くないのだがこのイタリアパンは二日目にオーブンで焼けばその香ばしさが戻ってきた。

 

 


boeuf bourguignon って牛肉の赤ワイン煮込みの筈だろ?

2019年02月05日 21時08分03秒 | 喰う

 

Bœuf bourguignon(ブフ・ブルギニョン)は、フランス語で「ブルゴーニュ風の牛肉」

昨晩から鋳物の厚鍋で煮込んでいる匂いがキッチンから廊下、階段を上がって病室のドアをあけると流れ込んできた。 あれ、こないだポトフを喰ったばっかりなのにと家人にいうと今晩はブフ・ブルギニョンだという。 この前のポトフからすると丁子の香りが薄く他の香草の香りが強い。 あれ、ブフ・ブルギニョンは赤ワインで煮込んだ牛肉なんだろ、ワインの香りが殆ど無いな、というと病人に強い赤ワインの煮込みも何だから色もつかないほどにしておいたというのでそれじゃ、ポトフじゃないかというとまあそんなものかとそれに同意もする。 これもこのあいだポトフの時に書いた地方の煮込み料理のひとつだ。 

ただここにはブルゴーニュで出来る赤ワインを潤沢に使うという特色があって、それなら他の煮込み、例えばコッコー・ヴァン(coq au vin)という鶏の赤ワイン煮込みもブルゴーニュが発祥だったのではないか。 この鶏のワイン煮込みは簡単だから自分もよくこれを料理した。 ありあわせの野菜にジャガイモをも含めて大きな鋳物の厚鍋に安物の赤ワイン一本を注いで皮を油で炒めた鶏の腿をコトコトと庭の香草を放り込んで煮た。 家族のだれもが好み、柔らかくバラバラになった骨に絡まった肉を取り出して先ずは貪り喰った。 けれど老夫婦だけになった今はそんな量は必要もなく大きな厚鍋は戸棚の奥にしまわれたままだ。 だから小さな厚鍋でもこのように煮れば二人で三度食事ができるほどだ。 それが鋳物の厚鍋でコトコトと煮る料理の最小単位となるのだろう。 けれどこんな鍋料理は大きな厚鍋で大人数のために大量に煮込んだものがより美味いような気がする。


寒い夜のポトフ

2019年01月20日 22時21分28秒 | 喰う

 

昨日から家人は鋳物の厚鍋で何かコトコト煮ていて、香辛料や香草の匂いがキッチンに充満していた。 夜間温度が氷点を大分下がり始めた日曜日の夕食に出たのがこのポトフだ。 肉や野菜を鍋に放り込んで香辛料・香草を加え、とろ火で長く煮込んだだけの簡単な料理なのだがこれは世界中に昔からある料理なのだ。 ただその国、土地によって多少の材料の違いはあるものの人間の食い物の基本に沿った合理的な料理だ。 フランスではポトフというけれどロシアではボルシチであり中国では火鍋、まさにポトフとは火にかけた鍋という意味なのだからそのものなのでオランダでも同様の意味を持つ  Stoofpot がこれに相当するのだけれど日本版はこれが「おでん」らしい。 なるほどここまで来ると出汁の系統が少し変わってきてヨーロッパ風マイナス香辛料・香草、プラス昆布にカツオというところだろうか。 寒いヨーロッパの冬には体の温まる滋味深い伝統あるそれぞれの郷土料理なのだ。

毎日の夕食に苦労していた。 この2か月ほど食事が胃にちゃんと入らず苦労していた。 ところが抗癌剤投与が始まってから胃と食道に巣食う癌巣が抑えられたか毒の影響かですんなりと食べ物が小さな胃に収まるようになって不思議に思っていたところ今日のポトフがこの2か月で一番おいしくいただけ、まさかこれほどの量が胃にはいるかと思うほどの完食だった。 完食できるとは思わずただ単に自分の皿を写真に撮っただけだがこれが完食記念になった。


梨入りキーシュ

2018年12月18日 23時15分23秒 | 喰う

 

我が家で皆が季節に依らず好きなものがある。 それがキーシュでありここにも何回か登場している。 大抵は湯引きしたベーコンを肉気として長ネギを主体としたものだけれど今日はそれに我が家と隣家が共同で育てている梨の木から秋に収穫したものを混ぜたキーシュとなった。 収穫してからもう2か月ほど屋根裏の冷たい所に保存してあり、幾分か水気がなくなったものの成熟していても甘みが少ないから腐らない。 元々煮物にして使う梨を選んで植えてあり普通の梨よりかなり小ぶりで片手にすっぽり入るほどの大きさである。 

甘味がほとんどないからボヤーッとした味でキーシュの味に丁度合っている。 甘い梨なり酸っぱい林檎となればもうデザートやパイの領域に入ってしまい主食から外れてしまう。 ほんの小さい一切れにプチトマトを一つ。 これが自分の本日の夕食となる。 量が進まない自分の胃でも味で満足するのだからこれでいい。


' 18 秋季帰省覚書(6) センチメンタルジャニー;自由軒のカレー

2018年11月29日 14時47分02秒 | 喰う

 

食い物の話が続く。 大阪ミナミの千日前自由軒の「名物 混ぜカレー」を喰った。 この前ここで喰ったのはいつのことになるのだろうか。 初めてこの店に入ったのがもうほぼ半世紀前、自分が浪人生のときだった。 何回か来たけれどそのうちカレーを喰うのだったらここから200mほど離れた御堂筋沿いにある「はり重」のカレーにばかり行くようになった。 大学を卒業後本町の零細輸出貿易会社で働いていた時は近くにカレーの店があって昼はよくそこに行った。 だから夜には千日前界隈に来てもここには入らずここから50mほど離れた「珉珉」で専ら餃子にビールだった。 だからこの前ここに入ったのは40年以上前ということになるだろうか。 帰省するたびにこの辺りは歩いているし眠眠には通っている。 今回もこの日までに餃子でビールを腹に入れているけれど小ジョッキに餃子一人前というなんとも惨めな喰い方でおまけにビールは30%ほど飲めずに残している。 この日餃子や中華料理には食指が向かず大抵は店の前に客が並んで待っているこの店に時間が中途半端だったんだろうか、誰も並んではおらず覗くと中には空席が多かった。 だから本当に久しぶりに眠眠や岸和田の御好み焼き屋の「双月」のように古びてちょっと薄汚なそうにさえ見えるレトロの自由軒に入った。

ここで喰うのは織田作之助の小説「夫婦善哉」(昭和十五年)に「ここのラ・ラ・ライスカレーは、ご飯にあんじょうま・ま・まむしてあるよってうまい」と描かれている「名物 混ぜカレー」であり、この店は創業明治四十三年とあるとおり内装は古く垢抜けず古ぼけて誠に好ましい。 中で働く人もアンティークの雰囲気を漂わせていて親しみがわく。 けれどここはグルメのくるところではないように思う。 今の世の中カレーが溢れている。 自分の村の国道沿いにさえネパール人が経営する本物のカレー・レストランがあるし、あちこちにそのようなレストランもあるからカレーは戦前に比べると何の特別なものでもない。 美味いのだが缶に入ったカレーパウダーを振りかけたような懐かしい香りがする。 強いて言えば「ご飯にあんじょうまむしてあって生卵が乗っている」その姿が忘れられないものとなる。 

胃が普通の人の2割ほどしかない自分は少量に時間をかけてよく噛んで飲み込まなければならず、それを怠るとすぐ吐き気を伴う苦しみがやって来る。 今回の帰省で16泊した中で4回この吐き気を伴う苦しみ(ダンピング現象)に襲われ、恢復するまで40分から2時間かかっている。 ここではゆっくりゆっくり時間をかけて飲み込み最後はもうこれ以上は駄目だというところで2割残して止めた。 それまでに客の回転が二回りほどあっただろうか。 だから客を観察も出来てなかなか興味深いものでもあった。

自分の斜め向かいに80歳を越えたと思しき爺さんが一人入ってきてチキンライスを注文した。 ライスの赤いのはどうしているかと訊くので店のオバサンが、玉葱を炒めてそれにトマトベースで、、、というと、いやいやそれは要らない、ケチャップにしてくれ、それにカシワは要らんから、と付け加えた。 オバサンはその通りキッチンに注文を通し、爺さんはそのうち出来て来たものをひたすら喰って金を払い出て行った。 玉ねぎを炒め、それにケチャップを加え飯を混ぜただけのチキン抜きのチキンライスなのだ。 何とも味のある喰い方をするものかと感心した。 いや、チキンがないから味はないのかもしれないけれど、、、、。 西成あたりのケチャップライスのようなものが、それをチキンライスと呼ばせるところが古き良き千日前なのだろう。

店を出ると向かいに若い女の子が3人立っていた。 日本人でなさそうなので英語で話しかけたら結構上手な英語を話したのでどこから来たのか聞くと香港からだという。 買い物かい、と訊くと、今回は観光、京都に行ってきた、明日は奈良に行って明後日帰る、という。 3人並んだところを写真に撮らせてもらった。 笑いも微笑みもしてくれるなと言ったけれど後で写ったものを見ると微かに微笑みが引っかかっていた。 あ、もう一人が来た、というのでそちらの方を見るともうひとり立っていた。 私も入らなくてもいいの、と訊くので君一人だけ撮ろうと言ってシャッターを押した。 その子は微笑まなかった。 そこからちょっと行った道頓堀のグリコの看板が見える通称「ひっかけ橋」では3mの間に眠る浮浪者、羽根のついた天使、ライカおじさんがいて大阪は何と濃い町かと感心する。 オランダに戻ってライカでモノクロ写真を撮る知り合いの造形作家にスーパーで会ってこれらの写真とそのときのことを言うと、そこはカメラマンにとっては天国だなというのでこの間ロッテルダムの日本映画祭で写真展をやっていた若者もそう言っていたと付け加えた。 

自由軒のカレーはそういうところにある。


オールド・ジンとビターバル

2018年10月06日 12時48分23秒 | 喰う

 

このところ「喰う」のコラムにはちゃんとしたことを書いてこなかった。 その理由は去年の胃の手術以来ものがまともに喰えないからだ。 けれど今日は気持ちよく喰えたのでそれを記す。 気持ちよく喰えた理由は二つ、いや三つか、一つ、サイクリングで28km走り喉が渇いていたし腹も減っていたこと、二つ目、麗らかな秋の陽射しが気持ちよく、ことにサイクリングの終わりの日没までまだ間のある午後5時、カフェーのテラスで日向ぼっこをしながら飲み喰いしたこと、三つ目、オールド・ジン、オランダで言うアウデ・ジェネーヴァが美味かったことだ。

夕食前や夕食後の食事を含まないアルコール摂取習慣をオランダ語ではボレルという。 ちょっと一杯、という意味もある。 そのきもちのいいちょっと一杯がこれだ。 アウデジェネーバに丸いクロケットのビターバルとなると典型的なボレルなのだ。 クロケットを辛子につけて口に運ぶ。 オランダ人に日本の辛子を経験させてみるといい。 クロケットの要領でべっちゃりつけて口に運んだあとは飛び上がるに違いない。 鬼殺しといわれるほどの辛さに目を白黒させるだろう。 自分は同じように帰省した時におでん屋で何気なくこちらでしているように辛子を大根につけて口から吐きそうになった。 欧米の辛子は日本人にはマイルドなのだ。

30分ほどひなたぼっこをしながらボレルを終え、7ユーロ80セント払った。 1000円程か、町のカフェーよりは1割以上高いように思うけれどこの日差しが今日の特典となって気持ちよく帰宅した。


喰えない

2018年08月26日 12時09分38秒 | 喰う

 

このコラムは「食う」なのに喰えないことを書く。 普通は喰ったもの、喰った感想なりそういうことを書くのだが今日はそれ以前の「喰えない」ということを書くのだから、それなら「食う」のコラムというより「健康」に関してのことでもあるのだからそこに書けばいいとはいえ、喰いたいのにちゃんと喰えなかったものの写真も撮っているので「食う」のカテゴリーに収めることにした。

自分の経験していることは胃を切った人に共通する現象なのだと説明された。 知り合いの親戚にもう10年以上も前に胃を半分切った人がいて日常生活で一日に5回も7回も食事をしている人がいる。 例えばうどんを5筋ほど食えば満腹してもうそれ以上だめで、そんな少量を5回も7回も時間をおいて繰り返し毎日を過ごしている。

自分の射撃クラブの同僚で去年医者のすすめで肥満対策で胃を小さくした男がいる。 自分の手術とほぼ同時期だったことからこちらは胃癌、あっちは肥満矯正のためと術後の経緯の軽重の差はあっても食後の体の反応に関しては同じような経験をしているのだが一つ違うのは向うは味覚が鈍り、食欲がなくなったこと、だから腹が空かず時計の針に従って、食べるというより食物を只単に機械的に規則正しく口にするだけの毎日となったことだ。 

手術から一年以上も経って今こんなことを書くことに少々の苛立ちを覚える。 手術後半年ほどでほぼ普通の食生活に戻った。 刺激物や酸性の強いものに弱くなったものの味覚は戻り、以前にも増して敏感になっているとも思えるようにもなっていた。 医者から一回の量を少なくして一日5回以上に小分けして食事をするように言われていた。 頭では分かっていても60年以上も続けている自分の食習慣はなかなか変わるものでもなく、ことに味覚が正常、食欲もあるのだから美味い食い物を前にして抑えることはなかなか難しい。 普通の食生活に戻るにつれて、また体力が恢復するにつれて家庭で食卓に着くと自分の皿に家人のものと比べて3割ぐらい少なめに取り分ける。1年半前までは家人の3割増しで盛り、おまけにお代わりをも普通にやっていた。 それがこうなっている。 ただ術後の恢復期には医者に言われたことは頭にあったものの何れはもとの健啖に戻ることを当然のこととして現在の状況はその過渡期と考えていたふしがある。 ない胃を鍛え自分が考える一回の限度をこれと決めて皿に取り分けたものを完食するつもりで頑張っていたのだがこの4ケ月ほど食事の後不快感と吐き気のようなものが押し寄せてベッドで30分ほど横になってやり過ごすということがほぼ毎日になっている。 

それならそこまで盛らずに少量にすればいいのだが、これくらいと思って盛りつけたものに対してこうなのだからそれで気分が滅入る。 どこまで後退すればいいのかそれに悩むのだ。 それに快不快の境目がとても微妙なのだ。 あと三口ぐらいで完食できるとおもっていたらスプーン一匙、肉フォークひとかけらで急に嘔吐感に襲われてベッドに轟沈となるのだから落とし穴に嵌められたような気分に落ち込むわけだ。 それにほんの偶に完食してそんな攻撃に遭わなかったときがあるのだがその時には多少の空腹感が残る。 そしてその時にはあと一口分でもお代わりをすればまた元の木阿弥になる感じはあるのだからその境目の薄さには悩まされることとなる。 結局は自分の喰える限度と思う量よりまだ少なめに皿に盛り、その習慣に徐々に自分を適応させていくしか仕方がないようだ。 そして旨いと感じてもそこで慌てず急がずゆっくりと咀嚼して少ない量を相手の食べる量に合わせて完食するという技を身につけなければ少ない量を喰い終わり他人がまだ食事しているのを味気なく眺めていると言う甚だ寂しい体たらくを晒すことを避けねばならない。 これが自分の「喰えない」現在である。

今日の食卓に上がったのは隣村の肉屋が手造りの自慢の小ぶりのソーセージで、その大きさは南米の女たちが20も30も胃に飲み込んで運ぶコカインのパッケージほどの親指より少し大きめである。 小粒の新じゃがを洗って花野菜と一緒にキャセロールに放り込み庭のローズマリーを刻んで塗しオリーブオイルを振り掛けて焼いたもの、レタスにプチトマトのサラダである。 手術前にはこの3倍位が食事量となっていたはずだから量の貧しさはカメラが被写体に寄って大きく見えることでカバーしている。


女の子たちのためにパウンドケーキを焼いた

2018年08月21日 01時26分10秒 | 喰う

 

 

息子がガールフレンドを連れてうちに寄ると聞いたのでそれではちょっといいとこを見せようとスケベ心から、それじゃケーキを焼くわ、と家人に言うと、あら久しぶりだわね、と応える。 

そういわれるとこの前焼いたのはいつだったかと思い出そうとするけれどなかなか出てこない。 まあそんな具合だから多分一昨年ぐらいじゃなかったかと思う。 それも若い娘が自分に会いに来たからでもあった。 3年ほど前に一週間に一度日本語を教えていた親戚の中学生の娘がいてその後半年ほど九州の中学校に交換留学で行っていた。 その娘が高校に入って外国実習が単位として必修だそうで各自自分で研修先を見つけなければならず、彼女からどこか知り合いがないか尋ねられ、たまたま彼女が前に留学で行った近くの町に知り合いのお菓子屋があったのでそこに世話したのだった。 ほんの1週間ほどの滞在だったけれどお菓子屋の主人家族には世話になった。 彼女が出発前に家に寄るというのでそのときにこのケーキを焼いたのではなかったか。 今回はそれ以来だと思う。

このパウンドケーキはオランダでは普通に皆どこの家庭でも焼くし、告別式のあとコーヒーや紅茶と一緒に供されるのが常だ。 昔の葬式饅頭のようなものか。 スーパーに行けばパン、パンケーキやピザ生地のパッケージと一緒に並んでいて何種類ものバリエーションがある。 何も考えず細かな生地のミックスパッケージを一つ、500ccのミルク1パック、250gのバター、卵4個、レモン一個を籠に放り込めば準備完了だ。 卵、ミルク、バターを常温に戻しオーブンを150℃にセットして25cmの型の内側にバターを塗り小麦粉を少々内側に絡ませ不要な粉は捨てる。 150gのバター、粉一箱、ミルク100cc、卵四個に粉をボールに入れて攪拌ミキサーで3分ほど混ぜ、そこにレモンの皮を卸て香りにし更に1分ほど攪拌すれば出来上がり。 半分の量を型を傾けて注ぎ残った生地にカカオ・パウダーをスプーンで適量放り込みチョコレート色になるまで攪拌して型に黄色とチョコレート色が半々に見えるように注いで温めたオーブンで60-70分焼けば出来上がりだ。 焼いた後は湿気を残すためにアルミホイルで包んで徐々に冷ます。

前回はカカオの粉も入れずごく普通のモノになってどういう訳か湿気が抜けてスーパーの安物のケーキのような味がした。 それにレモンの皮が半分ぐらいだったからか香りも薄かった。 スーパーのケーキより不味いとなると少々めげた。 だから今回はミルクもバターも少し多めに入れた。 本当はリキュールを垂らしたかったのだが切らしていてそれも叶わなかったけれど香りも湿り気もあって何とか合格点まで持って行ったような気がする。 子供の時からこのパウンドケーキなりスポンジケーキに慣れていた。 母親が精神病院の看護婦をしており病院の近くに心斎橋銀装カステラの工場があり患者の見舞いに来た家族が看護婦たちによく持ってきていて皆で分けたものがよく持ち帰られた。 美味いものだから看護婦たちも手軽に自分で工場前の店で家族のために買いもしその湿り気の十分ある上質カステラがこれだった。 自分が高校生になるとリキュールに浸したものも持ち帰られそれが最高のものだったしそれでなくとも小さな子供の時から時々は何かの貰い物で杉の木箱に収められた平べったい長崎カステラにも親しんでいたからオランダに来てこのケーキは本場のものであるけれど目新しさはなかったし慣れていた日本のものの方が繊細ながらオランダのものはその点野趣あるオリジナルであって日蘭の文化の違いもそこに現れているようだ。 そんな具合だから自分は時々は少々の湿り気とリキュールの香りが恋しくなるわけだ。 だけど普通のオランダ人には日本のものは歯ごたえがなくひ弱で頼りなく感じるようだ。 それはパンを比べると一目瞭然だ。

30になる息子は4年前に3年ほど付き合っていた彼女とそれぞれ大学卒業後の進路のこともあり別れることになり、それ以来女友達の話も聞かれずどうしてるのかと思っていたら付き合っている彼女がいると何週間かまえに報告があり、二人で四日ほどオランダ北部の島に車でバカンスに出かけテントで寝泊まりするらしく、出かける前に二人で我が家に寄ってお茶をという次第で、そこに登場するのがこのパウンドケーキだった。 聞いてみると2か月ほど前にハーグの何かのパーティーの折りに知り合い、彼女は息子の3つ年下でうちの娘と同い年、息子、娘の通った近所の中高一貫校だったというのに娘も息子も知らなかったらしい。 息子は会計士、その娘は地元ライデン大学の法学部を卒業後大学に残りEUの金融法の研究員として博士論文を書いているのだと聞いていた。 前の女友達は同じ法学部、犯罪学専門で今はブリュッセルのEU本部で働いているとも聞いているから互いに何らかの仕事なり興味繋がりなのだろう。 

ケーキの真ん中を大きくザックリ切ると切れ目が意図したように卵色とチョコレートの巴になっていた。 その分厚い一切れの皿を娘に渡したらそれを嬉しそうに平らげたので好ましいと思った。 かれらが出かけるときに半分をアルミホイルで包んで彼女に渡したら断らなかった。 もっとも初めて会ったボーイフレンドの父親の焼いたケーキを断れる娘がいるだろうか。 自分はそれを断る跳ね返り娘のほうが歯ごたえがあって面白いとおもうのだが、それは傍目で見ると面白いのかもしれないけれど実際には、、、。