ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

三月二十三日金曜日雨天

2012-03-23 | weblog

 


                       小田原・高長寺

 やっと春が来た~♪ と喜んだのも束の間、またダウンジャケットが必要な今日という一日。
温暖化のまるで正反対の現象は、やはり異常だし、冷え症にはかなりこたえる。
義母が逝ってから7×7日が過ぎた。厳密に言えば8×7日も過ぎてしまったので、お香典返しが間に合わない、とあわてふためいてしまった。
いままでは人ごとだったのが今回は夫と自分の上に降りかかり、世の常識を(たとえそれがどんなに不合理だと感じても)改めて学ばざるを得ないはめになった。お寺さん抜きのきわめてシンプルなお葬式、というと聞こえはいいが、親しい友人も兄弟姉妹も一人を除き誰もが鬼籍入りしているから、非常識と言われようが体裁のために葬式をする必要はない。近くに住む身内のみでお別れをし、さまざまな手続きを終え、墓地を私たちの住む地元に求めた。義母は生前、青梅市にある霊園に自分のための墓所を購入したが、まっ先に義兄がそこに埋葬されることになった。それで墓地など早々と持つべきではないなぁ、と実感した。夫はこれで彼の昔の家族の唯一の生き残りとなった。義父はブラジルに、義兄は青梅に、そして義母はこの街に眠ることになるとは・・・。残されたものが決めるとなると、私たちの死後のことはもうケセラセラで、おまかせとなるのでしょう。

 きょうは返礼の品をカタログで選んだり、挨拶文を考えたりパソコンで作成したりの一日となる。お葬式は近辺の身内だけで、とはいっても、義母の生まれ故郷である新潟県S市には、私の会ったこともない義従兄妹が何人も住んでいるのでお知らせしないわけには行かなかった。義母の兄弟姉妹の数はたしか11人ほどもいる上、会ってもいないのだから何度聞いても何年たってもなかなか覚えられるものではない。これは私たちが海外で知り合って、そこで長い間生活をしていたのだから仕方がないことだ。だけど、お話大好きな義母は生前、それはそれは沢山の、家族のエピソードを、うんざりするほど繰り返し話してくれたので、書き留めていたならば、とても興味深いひとつの家族史が出来ていただろうな、と、後に思った。その時は次から次へと出てくる名前を聞きながら、一体誰の話をしているのかさっぱりわからなくなり、いくら聞き上手?といえども相槌をうっているだけでも疲れ果てるほどだったから。義母の長兄がフィリピンだかインドネシアだかで戦争の責任をとって割腹自殺をした話は忘れられなかったが、どこの国だったのか、教えてくれる人はもう一人もこの世にいない。現地の人々にとても慕われていたとのことで、死後には銅像が建てられたそうな。知りたいと思った時には親はいず。あるいは認知症になっていたりするから自分の迂闊さが残念でならない。

新しいパソコンを、それも初めてのノート型を、やっと購入してからまだひと月も経っていない。簡単なことでも戸惑ってしまい、にっちもさっちもいかなくなってはデータをUSBメモリにコピーして古いパソコンに移す。が、互換性の問題でなにもかもがすんなりとは行かず、時間ばかりが過ぎていった。
昨日、銀座ITOYAまで行って用紙と封筒を購入したものの、封筒に印字する「ご挨拶」のたった三文字が一日がかりの大仕事となってしまった。こんなことならはじめからデパートで頼んでおくべきだった、と後悔したが、そうすると配送が更に二週間は遅れるようなので仕方がない。久しぶりのエクセルで名簿を作り、そしてワードで挨拶状・・・必要に迫られてしか、なかなかお勉強ってものは出来ないもんだ。
でも、ワイヤレスでの印刷方法を覚え、「なんかプロ見たい♪」な仕上がりを見たら、さっきまでうんざりしていたことなど忘れてニンマリしている私。いやいや、こんな程度で喜んではいられないんですけどね~、本当は。例のメモ帳はどこ?いつも使っているアレはどこなの?と、ボタンを押しまくりしているうちにミスタッチで画面がおかしくなったりするので、新しいうちにバックアップをとること、と、どなたかのブログで教えていただいたことを実行しなくては、と焦ってしまう。

このお彼岸に、父のお墓をお参りしたあと、義母の墓所の位置を改めて確認。最後の墓石が建っている所の隣だったので、現時点ではどん尻だ。義母も、まさかここに自分が入るだなんて思っても見なかっただろうな。四十九日に納骨する、というのが一般的だけど我が家はすべてに後れを取っている。石の種類と形、家名の大きさや字体、家紋をいれるかどうか、漢字かアルファベットにするか、などなど、あれこれ考えを巡らせていたらどんどん遅くなった。遅いというこに対して異議を申し出る人が我が家には皆無なので、ときどきこれでいいのだろうか、と考えてしまう。きついひと言を言ってくれる人、おせっかいな人は煩わしいけど貴重かもしれない、と、そのような目上の人を次々と失う年齢になってやっと身に沁みて寂しさが募る。
もしかしてこのお墓の墓守になってくれるかもしれないウチの長男は、夜勤明にもかかわらず今日、気仙沼に出かけた。寝不足の一日ボランティアで役立つのだろうか、電車の中で寝る、と言っていたけど。
 

 祖死父死子死孫死

 美濃清泰寺の仙崖義梵和尚は、めでたい言葉を書いてくれと頼まれたところ
筆をとり「祖死父死子死孫死」と書いた。
頼んだ人が、死という字ばかりであんまりだ、と言うと、和尚は微笑みながら、
「生まれた順番どおりに順序正しく死んでいけば家中に若死はいない。」と答える

 

じいさんが死んで、次に父さんが死に、最後は子が死ぬ。順番だからこそ、めでたしめでたしである、というこの話を、学生時代に友人から聞いて、なーるほど、と思った。そのように「死」は私たちの生活の一部なんだと、これもしみじみと感じるこの頃である。
ちなみにこの和尚さん、死の間際に「死にとうない」と言ったそうな。