ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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新年初の街歩き~美術展

2015-01-09 | art/exhibit/museum

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新年七日目にやっと都内へ外出しました。
こんなに長く地元で過ごすお正月ってきっと生まれて始めてでしょう。
そのあいだ、娘も帰国したりで三人三様の在宅・出勤日に振り回された「主婦業」が忙しかった?のです。放っといているつもりなんですけどねぇ。

さて、外出目的は、日本橋高島屋で開催中の生誕130年を迎えた版画家の回顧展となる「川瀬巴水展」。
港区芝で組紐職人の長男として生まれ育っただけあり、版画の対象となる場所が身近に感じられ、とても親しみが持てます。浦安の風景も何枚かあったのにはびっくりでした。
チケットに使われたのは、東海道風景選集より、「日本橋(夜明)」1940年の作。
その美しい佇まいを眺めていると、

見よ、橋の上に橋のない本来の姿を!

と言いたくなります。
 

 
近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。
(wikiより)

 日本橋 〈夜明〉


芝増上寺 〈東京二十景〉


清洲橋

 
木場の夕暮(東京十二題)

14歳のときに日本画を始め、25歳で父親の家業を継ぐも、画家になることが諦めきれず、27歳で日本画家 鏑木清方の門をたたいたが、年齢が行っていることで洋画の道を勧められます。

しかし、画の世界では挫折を経験し27歳の時、一度は入門を断られた清方に再度入門を申し出て許されると2年の修行を経て1910年(明治43年)に「巴水」の画号を与えられる。1918年には、師の清方が得意とした美人画で生き詰まり、同門・伊東浸水の版画「近江八景」に影響を受け、版画家に転向。

と、ほぼWikipediaからの紹介です。

写生帳や原画なども含めた展示数がとても多く、どれも小ぶりな上、色彩としては暗いものが多いので、人出が多いと見辛くなり目が疲れましたが、版画を通した日本の美しさは世界に誇れるものでしょう。かのスティーヴ・ジョブス氏も愛好家だったそうです。


この日は今年初のデパート来訪日でしたが、ここに来る前に街歩きをしてきたので時間が遅くなり、八階での美術展を見終わった後は地下で食品のみ買い物をして帰宅しました。
福袋も興味ないし、衣類は欲しがっていたらキリがない。お客を待ち構えている定員さんだらけの売り場は、年々行きにくくなります。

街歩きを楽しみながらやってきた日本橋でしたが、次回は、順序が逆になりますが、八丁堀~途中下車の旅(大袈裟)~なぁんてね。