ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ニコライ堂と御茶ノ水界隈

2006-02-19 | visit/drive

  

 父の伯母が亡くなって四分の一世紀が過ぎました。
子供の頃、駒場東大前にあるそのお宅に遊びに行くのがとても楽しみでした。
私のもっと幼少の頃の一時期、別の地区ではありましたが、同じ屋根の下で過した事があります。
襖一枚の向こうとこっち
で2家族が生活してましたので、好奇心旺盛な小さなbiancaは、その襖を開けるのが楽しくてしょうがありません
。ある時、いつものように中を覗きたくて、がらっと襖を開けたら、そこには四つんばいの虎になった伯父さんがいて、「グヮオ~~~!」と、叫びながら向かってきたのです。よほどおどろいたのでしょう、今だにその光景が瞼に浮かんできます。
その伯父さんは、満百歳まで、豪快に笑い、ボケもせず、杖も使わず、亡くなる数ヶ月前までゴルフ場に足を運んでいました。ちょうど3年前のことです。風邪をこじらせ、あっという間に肺炎で亡くなってしまった伯父さんの遺灰は逗子マリーナから船で沖合いの海中に散骨されました。

伯母は、その伯父さんの奥さん。たまに遊びにいくと、手づくりの洋食にデザート、そして必ず紅茶を入れて下さいました。今の時代なら取り立てて言うこともないでしょうが、あの時代、フローリングの居間にソファ、肘掛け椅子にレース編みのカバー、芝生のお庭では、育てているバラが満開・・・と言うお宅はそう多くはなかった気がします。しかし生活は質素そのものでした。伯父の描いた油絵が壁に掛かり、自家製の肥しで!お庭の植物を育て、お二人で芝を刈ります。花柄の食器類はどれも年季の入ったもの。大切に使っていらっしゃる様子が子供の目でもわかりました。
クリスチャンの家庭で育った伯母は私たちを集めては、キリストの紙芝居をお話しながら見せて下さいました。
「良きサマリア人」と、あとなんだっけ・・・。人を表向きだけで決めちゃだめなんだよ、って、その紙芝居の影響で、小さい心は正義感でいっぱいになったものです。チンコーンと、ベルを鳴らして訪れる、ぼろを纏った人はもしかしたらイエス様。
クリスチャンでなくても、そうかもしれないなぁ・・と思ってしまいました。
今だったらどうでしょう?人を見たら泥棒と思え・・・のような時代って、本当の豊かさとはかけ離れていますよね。

伯母が亡くなってこの16日がちょうど25年目。私の仕事のお休みの日に合わせて親戚の女性4人で
ニコライ堂まで初めてお参りに行って来ました。

  御堂の入口

 上階に上る途中の階段より

ニコライ堂の正式名は「東京復活大聖堂」。
1861年に函館府の領事館司祭として、25歳の時日本に正教会の布教にやって来たロシア人、聖ニコライにより建てられました。関東大震災により、大聖堂の中にあったものは、ハリストス(キリスト)の聖像を除いてすべて焼失。今ある聖像(イコン)は震災後の修復後に安置されたそうです。

大聖堂の入口を入って左側の部屋に入り、上階まで階段を上っていくと、そこに鍵のかかった部屋があります。付いて来て下さった、とてもご親切な教会の女性の方が開けてくださると、その中はロッカールームそのもの。伯母の名前が書かれたロッカーの鍵を開けていただき、やっと何十年ぶりかで、分骨され小さな袋に入ってしまった伯母と対面することが出来ました。


お参りを終え、教会の独特な雰囲気の漂う中庭を歩きながら駐車場まで。
(私は運転手として駆り出されたようですヮ!)
そこから歩いても数分の
山の上ホテルでお昼をいただくことに決定。簡単にランチセットをいただけるコーヒーパーラー「ヒルトップ」にて、運ばれてくる、それぞれ違った柄のプレートやカップ&ソーサー、シュガーポット等を目で楽しみながら古きよき時代の話しに花が咲きました。
作家や文化人たちご用達の
このホテルの本館は、アールデコ調のつくりで私好みです。
○○文学賞授賞式の前には、ここに泊まると受賞の可能性が高い、というジンクスを信じて宿泊する候補者が後を絶たないようです。

    

 

このあとは、欲張って 湯島天神まで梅を見に行きましたがまだほんの一部咲き。
合格祈願の絵馬が所狭しとばかりに吊るされ、そこに書かれた文面を読んではニンマリ。
なつかしい!