“ヴィタミーナ”な生活

おいしく食べて、楽しく飲んで 

3月11日

2012年03月11日 | 雑記
一年たって3月11日。
あの時に考えたこと、思ったこと、感じたことを、忘れないように記しておきたい。

2011年3月11日、午後2時50分頃。東京都千代田区。
正確な時刻は覚えていない。
揺れた。
初めは、すぐにおさまる、と思う揺れだった。
なのに、大きくなった。
立ち上がれなかった。
書棚を押さえる上司に「危ないから離れて!」と声をかけた。

揺れは程なくおさまった。
その日は忙しかった。
その後も大きい揺れが何度もあったが、仕事を続けた。
パソコンの画面を見つめていると余震の揺れで気持ち悪くなり、それでも何とか乗り越えた。
テレビで津波の映像を見た。
名取市の田畑を走る津波の映像は、忘れない。
私の勤務している会社は仙台空港のすぐ近くに事業所がある。
その津波の走る先に勤務先の事業所がある、のかはわからないのだが、何らかの被災にあうだろうことはその時点でわかった。
夜。電車は動いていなかったが、どうせ残業になるのだし、あまり気にしていなかった。
帰りたくても帰れない人に仕事を手伝ってもらい、みんなで缶詰をつまみにビールを飲みながらカップラーメンを食べた。
深夜、寝れないし、やることもないし、普段ならあまりおしゃべりをする機会もない人たちとお散歩に行ったり。
その日は、まったく深刻ではなかった。
その日は。
3月11日は・・・。

翌早朝、帰宅した。
家(埼玉県志木市)の中はめちゃくちゃだった。
書棚の本や雑誌は床に散乱していた。
ワインラックのワインもすべて投げ出されていた。
でも、割れていなかった。
それはラッキー。
食器棚は扉のマグネットがとても頑強で不評だったのだが、それが幸いして食器は飛び出してはいなかった。
でも中で割れていた。
割れていない食器を救うために、頭を使った。
片づけをほぼ終えたのが夕方4時ごろで、夕飯の買い物に出かけた。
スーパーには、食材がなかった。
かろうじて鍋を作る材料を揃え帰宅した。
それでも、その時点ではあまり大事とはとらえていない自分がいた。

2011年3月14日、月曜日。
電車が動いていなかった。
正確に言えば、東上線は池袋~成増間でしか運行していなかった。
いろいろ調べ、10時過ぎには池袋~志木間で運行するらしい、ということがわかった。
その始発に乗り出社した。
出社すると上司に呼ばれ、「とにかく出社はすること。通えないのなら宿泊は会社が用意する」と伝えられた。
この日以降二週間、家に帰れなくても1泊はなんとかなる「お泊りグッズ」を持参し、有楽町線の始発駅まで車と徒歩で行ったり、JRの最寄駅から自宅まで歩いたり、都内の実家にお世話になったりしながら、なんとか毎日出社した。
この時、首都圏はどの線も非常措置だったのだが、東上線の運行はおそらく最悪だったろう。
都内(池袋~成増)までは本数を減らしても何とか運行するものの、その先は目処が立たず。
志木の自宅にいて、朝、都心に出社するのに何時に電車が動くのか早朝でないとわからず。
都心の会社にいて志木行きの帰宅時間の発車が池袋発夜9時とか。
行ったら戻れず、戻ったら行けず。
身体的にきつかった。

精神的なきつさは、もっと前に来ていた。
仙台空港の直ぐ近くの事業所が被災した。
復興要員は3月13日にすでに派遣されていたのだが、その後も余震による津波警報、物資の不足などから社内で怒声が飛ぶこともあり、数日間は緊張状態にあった。
それに加わる通勤の疲労。
ようやく帰宅してテレビをつけると、どのチャンネルも震災の報道。
メディアが震災の報道をするのは当然のことであることは承知しているが、心が休まる場はなかった。
津波の映像を見ることが出来なくなった。

政府に対する不信感がつのった。
当時の菅首相が適任であるかはおいておいて、「菅首相が辞任しなければ協力しない」という政治家が多いことに絶望した。
そんなこと言っている状況ではないだろう。
これだけの災害があって、何故そういうことを口に出来るのか、がまったく理解できなかった。
協力をしなければ復興はない、被災した方たちを支援することは出来ない。
そんな当たり前のことが、何故、わからないのだろう。
彼らは、日本という国やそこで生活をする国民のことは考えていない。
自分のことしか、考えていない。
そういう絶望だ。
その絶望感は、今でもぬぐえていない。

2011年3月は長い1ヶ月だった。
でもそれ以降は、あっという間に過ぎていった。
一年たって、ようやく震災のテレビの報道を見ることが出来るようになった。
否、見なければ、と思うようになった。
被災した方々にとっては、今でも震災は現実のもの。
でも「大きい揺れは怖くて、後片付けが大変だった」レベルの私にとっては、過去のものになりつつある。
忘れてはいけない、と思わなければならないものに。
忘れては、ならない。



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