“ヴィタミーナ”な生活

おいしく食べて、楽しく飲んで 

2012年を振り返って

2012年12月31日 | 雑記
毎年、大晦日にはこの題名で、聴いたコンサート、弾いた曲名を記すのですが、今年は音楽の面ではちょっと淋しい結果に終わりました。

聴いたもの
2月  岡本拓也くんを聴く会
6月  篠原正志ギター生活40周年リサイタル
8月  アンダンテ土曜ゼミ特別編 演奏:松澤結子
    岡本拓也くんを聴く会~ウィーンからの便り
11月 新進芸術家ギタリストの響演
12月 takakoリサイタル

加えてN響定期公演を何度か。

弾いたもの
6月  ファンダンギーリョ(J.トゥリーナ)
7月  リフレクションズ、ララバイ(A.ヨーク)
10月 小麦畑にて(J.ロドリーゴ)
    ひょっこりひょうたん島~ヴィタミーナの演奏
12月 エンデチャ・オレムス(F.タレガ)
    フリア・フロリダ(A.バリオス)

加えて7月にエレクトーンアンサンブルでバック・ドラフト

そして新しい趣味が加わりました。
それは、走ること。
昨年の秋の終わり頃から走ってはいたのですが、今年は携帯電話からスマートフォンに替えたのをきっかけに、アプリをダウンロードして距離、タイムを記録しました。
その結果、2月~12月の11ヶ月で524キロ走りました。
走ることで少し痩せ、肩こりがなくなりました。
生活にメリハリもつきました。
8月の下旬以降、右ひざや左ふくらはぎの痛みと付き合いながらのジョギングとなりましたが、来年も無理せず楽しく走ろうと思っております。




 


3月11日

2012年03月11日 | 雑記
一年たって3月11日。
あの時に考えたこと、思ったこと、感じたことを、忘れないように記しておきたい。

2011年3月11日、午後2時50分頃。東京都千代田区。
正確な時刻は覚えていない。
揺れた。
初めは、すぐにおさまる、と思う揺れだった。
なのに、大きくなった。
立ち上がれなかった。
書棚を押さえる上司に「危ないから離れて!」と声をかけた。

揺れは程なくおさまった。
その日は忙しかった。
その後も大きい揺れが何度もあったが、仕事を続けた。
パソコンの画面を見つめていると余震の揺れで気持ち悪くなり、それでも何とか乗り越えた。
テレビで津波の映像を見た。
名取市の田畑を走る津波の映像は、忘れない。
私の勤務している会社は仙台空港のすぐ近くに事業所がある。
その津波の走る先に勤務先の事業所がある、のかはわからないのだが、何らかの被災にあうだろうことはその時点でわかった。
夜。電車は動いていなかったが、どうせ残業になるのだし、あまり気にしていなかった。
帰りたくても帰れない人に仕事を手伝ってもらい、みんなで缶詰をつまみにビールを飲みながらカップラーメンを食べた。
深夜、寝れないし、やることもないし、普段ならあまりおしゃべりをする機会もない人たちとお散歩に行ったり。
その日は、まったく深刻ではなかった。
その日は。
3月11日は・・・。

翌早朝、帰宅した。
家(埼玉県志木市)の中はめちゃくちゃだった。
書棚の本や雑誌は床に散乱していた。
ワインラックのワインもすべて投げ出されていた。
でも、割れていなかった。
それはラッキー。
食器棚は扉のマグネットがとても頑強で不評だったのだが、それが幸いして食器は飛び出してはいなかった。
でも中で割れていた。
割れていない食器を救うために、頭を使った。
片づけをほぼ終えたのが夕方4時ごろで、夕飯の買い物に出かけた。
スーパーには、食材がなかった。
かろうじて鍋を作る材料を揃え帰宅した。
それでも、その時点ではあまり大事とはとらえていない自分がいた。

2011年3月14日、月曜日。
電車が動いていなかった。
正確に言えば、東上線は池袋~成増間でしか運行していなかった。
いろいろ調べ、10時過ぎには池袋~志木間で運行するらしい、ということがわかった。
その始発に乗り出社した。
出社すると上司に呼ばれ、「とにかく出社はすること。通えないのなら宿泊は会社が用意する」と伝えられた。
この日以降二週間、家に帰れなくても1泊はなんとかなる「お泊りグッズ」を持参し、有楽町線の始発駅まで車と徒歩で行ったり、JRの最寄駅から自宅まで歩いたり、都内の実家にお世話になったりしながら、なんとか毎日出社した。
この時、首都圏はどの線も非常措置だったのだが、東上線の運行はおそらく最悪だったろう。
都内(池袋~成増)までは本数を減らしても何とか運行するものの、その先は目処が立たず。
志木の自宅にいて、朝、都心に出社するのに何時に電車が動くのか早朝でないとわからず。
都心の会社にいて志木行きの帰宅時間の発車が池袋発夜9時とか。
行ったら戻れず、戻ったら行けず。
身体的にきつかった。

精神的なきつさは、もっと前に来ていた。
仙台空港の直ぐ近くの事業所が被災した。
復興要員は3月13日にすでに派遣されていたのだが、その後も余震による津波警報、物資の不足などから社内で怒声が飛ぶこともあり、数日間は緊張状態にあった。
それに加わる通勤の疲労。
ようやく帰宅してテレビをつけると、どのチャンネルも震災の報道。
メディアが震災の報道をするのは当然のことであることは承知しているが、心が休まる場はなかった。
津波の映像を見ることが出来なくなった。

政府に対する不信感がつのった。
当時の菅首相が適任であるかはおいておいて、「菅首相が辞任しなければ協力しない」という政治家が多いことに絶望した。
そんなこと言っている状況ではないだろう。
これだけの災害があって、何故そういうことを口に出来るのか、がまったく理解できなかった。
協力をしなければ復興はない、被災した方たちを支援することは出来ない。
そんな当たり前のことが、何故、わからないのだろう。
彼らは、日本という国やそこで生活をする国民のことは考えていない。
自分のことしか、考えていない。
そういう絶望だ。
その絶望感は、今でもぬぐえていない。

2011年3月は長い1ヶ月だった。
でもそれ以降は、あっという間に過ぎていった。
一年たって、ようやく震災のテレビの報道を見ることが出来るようになった。
否、見なければ、と思うようになった。
被災した方々にとっては、今でも震災は現実のもの。
でも「大きい揺れは怖くて、後片付けが大変だった」レベルの私にとっては、過去のものになりつつある。
忘れてはいけない、と思わなければならないものに。
忘れては、ならない。


2011年を振り返って

2011年12月31日 | 雑記
まずは聴いたもの。

2月  
 落語で観るオペレッタ「メリー・ウィドウ」
 N響定期公演

4月  
 岡本拓也ギターリサイタル

7月  
 夏のギターコンサート TONE POEM STREET

11月  
 TAKAKOリサイタル
 N響定期公演

12月 
 N響定期公演

N響定期公演は、母が会員になっていてチケットが1年分あります。
プログラムで選んでいくのではなく、好むと好まざるとにかかわらず与えられたものを聴く方式です。
好みに偏りのある私には、こういう形のほうが音楽に対する視野が広がっていいのかな、と思います。
ちなみに、曲目は2月がベルリオーズ「幻想交響曲」など、11、12月はマーラーでした。

次に弾いたもの。

3月 
 奏こう会
  ベネズエラワルツ2番、3番(A.ラウロ)

5月
 篠原ギター教室発表会
  オフランド(原 博)

7月
 奏こう会
  ファンタジー(S.L.ヴァイス)
  来たれ、深き眠り(J.ダウランド~B.ブリテン編)

10月
 日本ギター合奏フェスティバル
  ラプソディ・イン・ブルー(G.ガーシュイン~伊東福雄編)
 ラ・ヴィタミーナ8thコンサート

12月
 奏こう会
  ノクターナルよりパッサカリア、来たれ深き眠り(B.ブリテン)

ノクターナルという大作に手をつけてしまったため、レパートリーの掘り起しなども少なかったなぁ。

旅行は東北へ。
弘前、十和田湖、奥入瀬、八甲田を回りました。
津軽三味線を生で聴いたり、奥入瀬渓流を散策したり、印象に残る旅となりました。

6月に陸上の日本選手権を観戦しました。
長距離種目が箱根駅伝のスター選手勢ぞろいだったためそれを楽しみに行ったのですが、村上選手の槍投げ、福島千里選手のロケットスタートに大興奮。
観客席が一体となって応援した走り高跳びは、温かくて楽しかった。
すっかりはまってしまいました。

2011年は大きな地震があるなど、忘れられない一年となりました。
2012年は穏やかな年となりますように。

つぶやき

2011年03月21日 | 雑記
今回の地震で大切だな、と感じたことのひとつに安否確認があります。

地震のとき、私は勤務先で仕事中でした。
心配だったのは、一人暮らしをしている母のことでした。
高いところから物が落ちてきて当たってはいないだろうか、転んで怪我をしてはいないだろうか、一人で心細くはないだろうか。
揺れがおさまってすぐに携帯で電話をしたのですが通じず。
とっさにデスクの固定電話で「私用電話、ごめんなさい」と心の中で謝りながらかけてみると、通じました。
特に大きな被害はなく大丈夫、とのこと。
ホッと一安心でした。
それから5分くらいで固定電話も通じなくなりました。

家来クンや妹とはまったく連絡が取れませんでした。
メールも送れることは送れるけれど、届いたのは3~4時間後。
家来クンも妹も、妹の子供たちもみな東京近郊にいることはわかっていましたので特に心配はしませんでしたが、連絡はつくならついたほうが良いですよね。

電話はダメ、メールも当てにならない。
ならどういう手段があるだろう、と考えて思い当たったものに、ツイッターがありました。
アカウントをとり、ツイッター、始めました。
「ツイッターなんて絶対やらない」と言っていましたが、結構、いろいろつぶやいています。

よろしければのぞいてみてください。
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地震

2011年03月12日 | 雑記
昨日、東京で震度5強という大きな地震があり、電車が止まって帰宅難民となりました。
といっても、暖房も食事(カップラーメンだけれど)もビールも清潔で快適なトイレもある、最も良い条件の帰宅難民だったわけですが、家へ帰ってみると大変なことになっていました。

1、本箱の扉が開き、本が飛び出して山になっていた。
2、ワインラックが床に落ちていた(ワインの瓶は割れておらず)。
3、ブックシェルフ(枠に板をはめ込んだ棚)がゆがんでしまった。
4、恐竜展で買った恐竜の模型が木っ端微塵になっていた。

そしてこれ。

普段からこんな置き方をしているわけではありません。
真ん中のカップが、食器棚のガラスに支えられて、微妙なバランスを保っています。


機関車トーマスのコップが、扉のガラスにもたれかかった状態です。


あらら。


棚とガラスの間に倒れたグラスに割れたワイングラスの足が引っかかっていました。


扉を開けたら、落ちて割れます。
慎重に少しだけ扉を開けてパン切りナイフやダンボールを差し込んで支えてから、手を入れて食器類を救出しました。
危ね~、危ね~!!
被害状況は、ワイングラス5個、タンブラー2個、皿1枚。
フルートグラス(縦に細長いワイングラス)が棚とガラスの間から落ちてほとんど割れてしまいました。

よく見ると食器棚が少し動いていました。


前夜ほとんど寝ていなかったのだけれど、エイヤっと片付けました。
夕方までかかった・・・
疲れた・・・



お知らせ

2011年02月12日 | 雑記
昨年末に「今日の外御飯」「旅」のカテゴリーを追加しました。
そして昨夜、かなりさかのぼってカテゴリーの整理をしました。

最近は外でご飯を食べてもどこかに遊びに行っても、カメラを忘れたり、持っていても撮るのを忘れたり、撮ってきても整理が面倒で放置したり、ということが多くなってきました。
カテゴリーを増やしたことでモチベーションもあがります。
がんばって記事、増やしていきますね。

HAPPY BIRTHDAY TO ME

2011年02月08日 | 雑記
○○年前の雪の朝に生まれた赤ちゃんもこんなに大きくなりました。

この歳になると誕生日など「あ、今日だっけ?」程度なのですが、忘れられない誕生日が私にはあります。
18歳の誕生日です。

私の18歳の誕生日は高校三年生の2月。
私は東京の西のほうの私鉄沿線にある都立高校に通っていました。
進学校ではないその高校では、男子生徒は皆4年制大学を目指していましたが、女生徒はほとんどが年が明ける前に短大や専門学校への進学を推薦で決めており、この時期に受験するのは、クラスで2~3人だったと思います。
授業は12月一杯で終わり、1月から卒業式までは週に1回の登校日がありました。
登校は強制ではなかったので、数少ない女子の受験生であった私は、家で受験勉強に専念していました。

ようやく進学先が決まったのが2月下旬。
3月の最初の登校日に2ヶ月ぶりに学校へ行きました。
教室に入ると誰かの「あ、ひめちゃんが来た。」の声とともに、女子が私の周りに集まってきました。
「どうだった?」と聞かれたので「うん、とりあえず決まったよ」というと、「やった~!!」「すご~い!!」「おめでとう~!!」「もうっ、心配させやがって~!!」の声が上がり、私の目の前にリボンのかかった箱が差し出されました。
きょとんとしていると、「せ~のっ、お誕生日、おめでとう~」
箱を開けてみると、可愛いお人形が入っていました。
「ひめちゃん、お店の前を通るたんびに、これ可愛いね~、って言ってたじゃない。」

あとから聞いた話では、プレゼントは私が学校には来ない(来れない)ことを承知で誕生日に間に合うように用意して毎週持参し「今日もひめちゃん来なかったね。大丈夫かな~。頑張っているかな~。」という会話が毎回あったそうです。
お祝いは誕生日から1ヶ月も後だったけれど、この日のことはいつまでも忘れない。
プレゼントは今でも大事に持っています。


2010年を振り返って

2010年12月31日 | 雑記
年毎に1年が短くなっているような気がします。
今年は私事で忙しくもあり、本当にあっという間の1年でした。

まずは聴いたほう。

7月
 初夏のギターコンサート

11月
 東京国際ギターコンクール本選
 TAKAKOリサイタル

これだけ・・・
仕事帰りにコンサート、というのが体力的に少々きつくなってきたというのが大きいかな。
ただ、奏こう会などに参加すると他の方の演奏を聴きますので、自分では少ないという感覚はあまりないのですが。

次に弾いたほう。

3月
 ラ・ヴィタミーナ7thコンサート

4月
 篠原ギター教室スチューデント・ジョイントコンサート
  南のソナチネ(M.M.ポンセ)

7月
 奏こう会
  ガボット・ショーロ
  ワルツ・ショーロ(H.ヴィラ=ロボス)

11月
 奏こう会
  エチュード8番、9番(H.ヴィラ=ロボス)
 秋の音楽会~ピアノ連弾
  オブリビオン(A.ピアソラ)

12月
 奏こう会
  シャンソン
  エストレリータ(M.M.ポンセ)

30年ぶりに人前でピアノを弾きました。
そのためにかなり練習をしました。
これからも楽しみながらギターもピアノも弾き続けていきたいな。

11月中旬に法事で九州に行きました。
ちょうど紅葉真っ盛りの時期で、日本の自然の美しさを満喫しました。

思い返してみると、あっという間でしたが、濃い1年だったかな。