日々是雑感

アニメや映画の感想を中心に雑多に述べていきます

ウルトラマンメビウス総括

2007-04-02 08:53:44 | アニメ
 ちょっと詰め込みすぎな印象もあったけど無難にまとまったんじゃないかな。詰め込みすぎのあおりなのかサコミズゾフィーが蛇足に感じられてしまったのは残念。それでも最後に1カットではあってもああいう形で集められたGUYS隊員たちが自分の夢へ向かって進んでいる姿を見ることが出来ただけでも満足、満足。

 では全体の総括

メビウスとしてのバランス
 ウルトラマン40周年記念作品として始まった本作は過去のウルトラマン(「ウルトラQ」から「ウルトラマン80」まで)の同一時間軸に設定され、ウルトラマンメビウスはウルトラ兄弟=宇宙警備隊のルーキーウルトラマンとして地球に降り立つ事となる。こんなことは初めからわかっていた事だ。

 序盤はGUYS隊員同士そしてGUYSとウルトラマンメビウスとの「絆」の構築がメインだったのだと思う。それは絶妙なバランスの上に成り立っていた。ウルトラ兄弟の世界観を使いながらも必要以上に流されること無くウルトラマンメビウスとしてのストーリーの構築を行っていた。シリアスとコメディのバランスも絶妙だった。

 この時期のメビウスはルーキーだけに実に頼りなく、無敵の超人というよりは人間(GUYS)とお互いに補完しあいながら地球を守る人間の仲間としての側面が強く描かれてきた。その辺がウルトラ兄弟という設定がウルトラマンの神秘性を損なうと言われている理由だろう。そしてメビウスが弱いといわれている要因でもある。だが前述したとおり「真のウルトラマン」としての成長物語でもある以上、この描写は正当なのだと思う。

 この時期はストーリー展開も実に丁寧に拾われていた。前半部ウルトラ兄弟との世界軸の合一ががアーカイブドキュメント、豆知識というあまり気分の良くない形で噴出していたというのも記憶さるべきである。

 11話までのボガール編はこういったバランスの良い展開で進んでいった。

正体バレ展開へ
 12話以降も30話までボガールのような統一した敵がいなくなった分、ウルトラマンマックスほどではないにせよ、バラエティに富んだエピソードが続いた。
 トリヤマ補佐官をメインにしたコメディ編「初めてのお使い」、ちょっとしっとりとしたエピソードである「時の海鳴り」、総集編を利用してゼットンを出してきた「激闘の覇者」・・・。もちろん「ウルトラマンの重圧」や「孤高のスタンドプレイヤー」、「虚空の呼び声」と「日々の未来」の前後編と「絆の構築」のためのエピソードもぬかりなくやってきた。

 だがバランス崩壊の序曲は確実にやってきていた。思えば映画は崩壊したバランスの先にあるものを描いていたのかもしれない。ヤプール編はメビウスとしてのバランスをまだ維持できていた。しかし過去への傾倒はこのあたりから目に見えて強まってくる。
 30話「約束の炎」でGUYS隊員がミライの正体を知り、タロウにメビウスを地球に留まらせるように懇願した時点で「絆」は完成したと見て良い。

バランスの崩壊、そして・・・
 これ以降のエピソードを見ていると正体を明かしたという特殊性が活かされたエピソードが意外と少ないのに気付く。(活かされたといえるのは「オーシャンの勇魚」くらいか)
 その中で「怪獣使いの遺産」やウルトラマンレオ客演の「故郷の無い男」と過去の遺産への傾斜はさらに強まった。そして「思い出の先生」で過去と現在のバランスは完全に崩壊した。この「思い出の先生」はバランスを取ることを放棄し、「ウルトラマン80第51話」として描ききったことが良い結果を生んだ。そこまで徹底出来ず、無理に旧来のバランスを守ろうとして「絶妙なバランス」ではなく「中途半端なバランス」になってしまっているものが多かったことも指摘しておくべきだろう。
 この時期、もう二つほど指摘せねばならない側面がある。
一つは「絆の完成」によってウルトラマンメビウスを含めたGUYSが個の集団ではなくひとかたまりとなってしまいそれぞれのキャラクターがテンプレート的に見えてしまったことだろう。そしてメビウスも作中でヤプールが指摘した通り、「仲間がいないと何も出来ないウルトラマン」として描かれてしまったこともあわせて指摘しておく。
 
 そしてもう一つは今まで緻密に構成されてきた設定周りに多少雑な部分が見受けられたことだ。「怪獣使いの遺産」は本職の脚本家ではなく直木賞作家の朱川湊人さんが脚本を書いたということを割り引いたとしても首をひねる出来でしかなかったし、設定考証を担当した谷崎あきらさんが脚本を担当したにもかかわらずゴモラの尻尾を念力で飛ばすマックスと同じ過ちを犯した「旧友の来訪」、完全に封印したはずのヤプール復活の事情が「怨念」の一言で片付けられていた事もそうだ。
 これらが評価を一歩落としてしまっているのもまた事実である。

まとめ
 さまざまな感想を書いたBLOGを見ていると絶賛している人もいれば駄作とけなす人もいることは「アクセスワード解析+アフェリエイト」の時に指摘した。駄作とけなす中にはどう見ても感情的な嫌悪感をあらわにしているとしか思えない感想が散見される。
 
 私自身は見てきたようにそれぞれの時期にそれぞれの問題点はあったが、全体的には楽しんでいた。

 嫌悪感を持って、ケチ付けありきの感想を書いている人に対して私は「そんなにいやなら見なきゃいいのに。それはただの利敵行為じゃないか」と思う反面、そういった嫌悪感を持ってしまう気持ちもなんとなく分かる。

 「ネクサス」のスタッフが作っているということから来る偏見、「ウルトラ兄弟」への嫌悪、頼りなく描写されるメビウスなどいろいろ指摘できる部分はある。だがこんなことは瑣末な問題に過ぎない。

 一番の問題は「オタクの傲慢さ」が全編にわたって見え隠れしていたことに起因していたのではないかと思う。自身の知識をひけらかすそういった傲慢さとそりが合わない人にとってはこれは強い嫌悪感を抱くのは当然と言える。

 そしてこの「傲慢さ」こそ同種のお祭り作品である「ゴジラ FINALWARS」や「∀ガンダム」との決定的な差であると思う。
 
 私がそういうことをあまり気にせず(過去のウルトラシリーズにあまり深い思い入れが無いせいかもしれない)に見ることが出来たのは良かったことなのだろうか、それとも何割か損をしているのだろうか。

そして年間を通して「ウルトラマンと人間の絆」という面では一貫していた。最終3部作をそのテーマできちんと纏め上げられた事は評価してしかるべきではなかろうか。

 しばらくTVのウルトラシリーズはお休みするらしい。(メビウス自体は別メディアで少しあるらしい)それが何年くらいになるのかは分からない。そこで私はこの作品に対してはこういう称号を与えたい。
「第2期ウルトラシリーズの、そしてティガから始まる平成ウルトラシリーズの集大成作品」、と。

 こんなくそ長い総括をお読みいただきありがとうございました。


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