「鉄人28号 白昼の残月」見てきました。札幌では7/6までらしいので、ちょっと見ておこうかと思われた方は急いだほうがよろしいかと。
劇場内は私のようなオタや子供の頃に「鉄人28号」を見ていたような人が子供づれで来ていたりとなかなかバラエティーに富んでおりました。
では、感想は続きを読むから(以下TV版という語句は2004年の今川泰宏監督作品をさす)
まず最初に言っておくべきは本作がここで期待したようなロボット活劇ではなく、TV版と同様に戦争を知らない金田正太郎少年が戦争によって産み落とされた「過去の遺産」とどう向き合うかを描いた物語であるということだ。
その点では少々期待していたものとは違っていたと言わざるを得ない。その点を外して考えたとしても首をひねらざるを得ない側面は多い。
まず冒頭に正太郎がショウタロウと出会う場面。ここはナレーションではなくアクションで見せて欲しかった。謎の復員軍人「残月」の正体にしても少し意外性に欠けた感がある。(勘のいい人ならかなり早い段階で気付くのでは?)
この作品世界はTV版とキャラクター設定を多く共有するが、基本的には独立している。それが故のあおりを食ったキャラクターもいる。
クロロホルムはTV版のような裏は無く単純な悪役だし、ビッグファイアは端役になってしまっている。(TV版最終話でビッグファイアが最期に語った主張は本作ではショウタロウが述べている)
だが一番大きくあおりを食ったのは高見沢と村雨健次だろう。原作にはもともといなかった高見沢だが、本作に限って言えばその存在が必要不可欠だとはどうしても思えない。TV版の場合、彼女は唯一しがらみの埒外にいた人物であり、その埒外から発言し行動することが彼女の存在意義であった。だが本作においては村雨健次は村雨竜作が死なないため、作中におけるしがらみとは全く無縁なのだ。故に彼女は多くの部分が村雨健次とかぶってしまう。しかも彼女はキャラクター的に「萌え」を狙えるタイプでもないのでどうしても作品世界の中で浮いてしまっている。
TV版にあった「鉄人の罪」を大鉄人に背負わせてしまったのは致し方無い事なのかなぁ。結局鉄人は外装こそ溶けたが、失うことは無かったし。つまり冒頭のあれは大鉄人なのか。
伊福部 昭のスコアを使った劇伴、TV版同様の昭和30年代の描写や少ないとはいえロボットアクションのケレン味など見所も多々あるが、全体としては少し期待しすぎたかなぁと言うのが正直なところ。
余談1:相変わらず敷島博士は肝心なところで居なくなるよなぁ。まぁ「全部お前が悪いんじゃないか!」って訳じゃないからまだ許せるけど
余談2:自己をショタコンと称し、それをなんかの語源になるんじゃないかと言った高見沢。もしかして彼女を出したのってそれを言わせたかっただけ?
余談3:どうしても「大鉄人」と聞くと17と続けたくなるのは私だけだろうか?
余談4:正直、本作は子供に楽しめたのだろうか?
劇場内は私のようなオタや子供の頃に「鉄人28号」を見ていたような人が子供づれで来ていたりとなかなかバラエティーに富んでおりました。
では、感想は続きを読むから(以下TV版という語句は2004年の今川泰宏監督作品をさす)
まず最初に言っておくべきは本作がここで期待したようなロボット活劇ではなく、TV版と同様に戦争を知らない金田正太郎少年が戦争によって産み落とされた「過去の遺産」とどう向き合うかを描いた物語であるということだ。
その点では少々期待していたものとは違っていたと言わざるを得ない。その点を外して考えたとしても首をひねらざるを得ない側面は多い。
まず冒頭に正太郎がショウタロウと出会う場面。ここはナレーションではなくアクションで見せて欲しかった。謎の復員軍人「残月」の正体にしても少し意外性に欠けた感がある。(勘のいい人ならかなり早い段階で気付くのでは?)
この作品世界はTV版とキャラクター設定を多く共有するが、基本的には独立している。それが故のあおりを食ったキャラクターもいる。
クロロホルムはTV版のような裏は無く単純な悪役だし、ビッグファイアは端役になってしまっている。(TV版最終話でビッグファイアが最期に語った主張は本作ではショウタロウが述べている)
だが一番大きくあおりを食ったのは高見沢と村雨健次だろう。原作にはもともといなかった高見沢だが、本作に限って言えばその存在が必要不可欠だとはどうしても思えない。TV版の場合、彼女は唯一しがらみの埒外にいた人物であり、その埒外から発言し行動することが彼女の存在意義であった。だが本作においては村雨健次は村雨竜作が死なないため、作中におけるしがらみとは全く無縁なのだ。故に彼女は多くの部分が村雨健次とかぶってしまう。しかも彼女はキャラクター的に「萌え」を狙えるタイプでもないのでどうしても作品世界の中で浮いてしまっている。
TV版にあった「鉄人の罪」を大鉄人に背負わせてしまったのは致し方無い事なのかなぁ。結局鉄人は外装こそ溶けたが、失うことは無かったし。つまり冒頭のあれは大鉄人なのか。
伊福部 昭のスコアを使った劇伴、TV版同様の昭和30年代の描写や少ないとはいえロボットアクションのケレン味など見所も多々あるが、全体としては少し期待しすぎたかなぁと言うのが正直なところ。
余談1:相変わらず敷島博士は肝心なところで居なくなるよなぁ。まぁ「全部お前が悪いんじゃないか!」って訳じゃないからまだ許せるけど
余談2:自己をショタコンと称し、それをなんかの語源になるんじゃないかと言った高見沢。もしかして彼女を出したのってそれを言わせたかっただけ?
余談3:どうしても「大鉄人」と聞くと17と続けたくなるのは私だけだろうか?
余談4:正直、本作は子供に楽しめたのだろうか?