私は人の目を気にしすぎる所があって、それほどやりたくなくても「いついつのコンベンションでキーパーをやれ」と言われると断ることもできないし、さりとてシナリオを書こうとするといろいろなことが気になる上に意欲もそれほどないから結局妥協したものしかできなかったりする。その事はずっと前にお詫びさせていただいた。
今、そういった人の目も義務感もないところで意欲を持って向き合ってみると、自身のスタイルというというものが見えてきた。
それはまず人と人が織りなす舞台ありきなのだ。その前ではクトゥルフ神話すら単なる装置に過ぎない。ダンジョンに行って戻ってくるような話や閉鎖された屋敷からギミックをクリアしながら脱出するだけの話は私の目指すところではない。過去の私は残念ながら目指す領域まで作りこむことができなかった。
じゃあ今できるのか?できたとしてもそれをこなすことができるのか?おそらく無理だろう。今向き合えているのは義務感が無いからだ。義務感が生まれてしまったらどこかに妥協が生じてしまう。
まあ結局グダグダ偉そうなこと書いてるけど、やらない言い訳してるだけじゃねえかって言われたらその通りなんだけどね。過去の私はこんな開き直りもできなかったのだ。
今、そういった人の目も義務感もないところで意欲を持って向き合ってみると、自身のスタイルというというものが見えてきた。
それはまず人と人が織りなす舞台ありきなのだ。その前ではクトゥルフ神話すら単なる装置に過ぎない。ダンジョンに行って戻ってくるような話や閉鎖された屋敷からギミックをクリアしながら脱出するだけの話は私の目指すところではない。過去の私は残念ながら目指す領域まで作りこむことができなかった。
じゃあ今できるのか?できたとしてもそれをこなすことができるのか?おそらく無理だろう。今向き合えているのは義務感が無いからだ。義務感が生まれてしまったらどこかに妥協が生じてしまう。
まあ結局グダグダ偉そうなこと書いてるけど、やらない言い訳してるだけじゃねえかって言われたらその通りなんだけどね。過去の私はこんな開き直りもできなかったのだ。