日々是雑感

アニメや映画の感想を中心に雑多に述べていきます

「レギュラー男子プリキュア」を阻む壁

2024-02-08 05:53:18 | アニメ

「わんだふるぷりきゅあ!」の追加戦士というところで、またぞろ「男性プリキュアの是非」というのが議論になっている。この話題をこの話の続編および、「深掘りミュークルみっくす!」の特別編として語っていこうと思う。

私はいわゆる新参者で、細かい知識を持ち合わせているわけではないが、いろいろ総合してみると「男性プリキュアを禁止している明快なルールはない」というところに落ち着く。「女の子だって暴れたい」というフレーズにしたところで、「男の子は暴れてはいけない」と言っているわけではない。だがいつの間にやらこの言葉はジェンダー規範からの脱却のためではなく、「プリキュア」というジェンダー規範を正当化するためのフレーズとして使われてしまっている。こういった「プリキュアとしての常識」を制作側がむきになって否定しようとしているのでは、という事を「ひろがるスカイ!プリキュア」を総括した時述べた。

さて、キュアウィングが登場するまでの20年もの間、「レギュラー男子プリキュア」というものを阻んできたものはなんだろう。

 

スーパー戦隊と対比して考えてみよう。戦隊の女性戦士は仮面で顔を隠し、「女性らしさ」を抑えこむ事でチームとしての一体感を維持している。だが「女の子の可愛らしさ」というのを一つの売りにしているプリキュアはそうはいかない。そこら辺を逆手にとって男の子をお姫様にしたり、あえてミスマッチさせる手もある。しかしそれは単発としては成立しても、継続的なものにはなりえない。「プリキュアとしての常識」は「白馬の王子様」や「タキシード仮面」のようなイレギュラーな存在を否定する。かくて男の子たちはサポート役に徹するか、単発のネタとしての存在になっていくしかなかった。そうこうしていくうちに「百合」がトレンドとなっていき、そういった男性の姿すら消えていった。

そうやって考えていくと「レギュラー男子プリキュア」のためには、

・他の女の子が「女の子らしい」可愛らしさを全開にした上で

・チームとしての一体感を維持しつつ

・男の子として受け入れ可能なコスチュームとそれを受け入れる男子キャラクター

この条件全てをクリアする事が大きな壁となる。結局20年もの間、誰もこの壁を越えようとしなかったのだ。だがちょっとしたきっかけさえあれば、壁は越えられる。そう、ちょっとしたきっかけさえあれば。


大室家 dear sistersとそこから派生する話

2024-02-02 18:13:26 | 映画

というわけで今年の映画第一弾として暇があったので見てきました。映画の感想としてはそれほど書く事はないかな。だから原作の感想としてここに書いた事の補足をしていこうかな、と。

「みなみけ」と「大室家」。似ているようでもこの二作には大きな差があるのだと思う。今回アニメとして「大室家」を見て確かにそう感じた。

「みなみけ」には「多様性」という言葉がしっくりくる。三姉妹を軸にもう一つの南家、それぞれのクラスメイト、親戚のおじさんにお隣さん、きもちわるい保坂といろいろな人たちがそれぞれに関係性を作り上げている。そこから生まれてくる日常をたんたんと描いていくわけだ。

みなみけに通うためにマコトはマコちゃんになり、女の子であるトウマは藤岡に男の子であると思われているが、関係性を壊したくないトウマはそれを言えないでいるといったジェンダーギャップを取り上げる事ができるのも「みなみけ」ならではだ。

 

それに対して「ゆるゆり」のスピンオフである「大室家」はやはり「百合」が軸になる。だからそれぞれの世代における関係性が重要となり、世代間交流は限定的になる。櫻子の関係性は「ゆるゆり」本編が担い、他の二人の関係性及び三姉妹としての絆を「大室家」は描いていく。そして「百合」であるが故に「男性」の存在は徹底的に排除される。ジェンダーという面からすれば弱いかもしれないが、より純化した関係性を見ることができる。

 

似ている部分があるがゆえにこの二作の方針の差は際立つ。この二作の在り様のどちらが正しいのかという事ではない。それぞれにふさわしい在り様を選んだだけだ。今この「多様性」と「百合」という対立が現在プリキュアを中心とした女児アニメ論議の軸となっている。果たしてどちらが未来を担うのだろうか?

 

 

余談

新年のあいさつで「年5回以上劇場で映画を見る」という目標を述べたけど、これに関しては次の「dear friends」との合わせて一本という事にしたい。