日々是雑感

アニメや映画の感想を中心に雑多に述べていきます

「女の子向けコンテンツ」の「男子キャラ」についての総まとめ

2024-05-20 22:39:46 | アニメ

はじめに

壁があり、それを誰も越えようとしなかった。だがその壁を超えるものが現れた。それがきっかけとなって人々は次々と壁を越え、次第にその壁は壁ではなくなっていく。だが壁を信奉する者は壁を越えようとする者たちへと呪詛の言葉を投げつける。

何かこんな物語がしっくりくる女児向け(特にプリキュア)界隈だ。前回紹介したミュークルドリーミー27話がそれをどこまで意図したかはわからない。だが間違いなくここからトレンドは大きく変化した。「ガールズ×戦士」シリーズはその看板を下ろしてでも「リズスタ」という形で男の子をメインキャラに加えた。百合的色彩の濃かった「キラッとプリ☆チャン」の後を引き継いだ「ワッチャ!プリマジ」では男子のライブシーンを大々的にやった。プリキュアもまた「プリキュアとしての常識」を次々と変革させ、男の子たちの活躍の場を広げている。

それを私は

「自ら運命を切り開こうとするプリンセス(女の子)の頼れる仲間にプリンス(男の子)がいて何のおかしい事がある。」

という「トレンド」として紹介した。私自身はこの「トレンド」は好ましいと思っているし、もう少し続いてもらいたいとも思っている。その上で語りたい事を述べて、締めとしたい。

 

活躍するって戦う事だけじゃないけど・・・

「頼れる仲間というのなら、変身する必要なくない?」というのは全くその通りではある。「いつものみんな」として一緒に行動し、自分なりの活躍ができればそれで十分だとは言える。だがやはりチームとしての一体感は欲しい。そんな時「制服」「コスチューム」というのはすごく便利だ。今まで指摘したように「戦う美少女」との一体感を出せる「男の子用コスチューム」など誰もやろうとしなかった。そう「誰もやろうとしなかった」だけなのだ。

「カッコいい」が男の子だけのものじゃないなら、「カワイイ」も女の子だけのものじゃない。

 

それって本当に「女の子(男の子)」ですか?

「宇宙人やアンドロイドのプリキュアだっているんだから、今更男子くらいで大騒ぎするなんて」

「男子プリキュア」を否定するのと同じくらいにこういう事を言う人がいる。だがこの「宇宙人」や「アンドロイド」の後ろにはわざわざ明言しないだけで、(女の子)という但し書きが付く。だから「夕凪ツバサ=キュアウィング」はこういう紹介をされる。「プニバード族の男の子」と。

何度でも繰り返すが、「男らしさ」「女らしさ」というのは確かに存在していて、それを否定することはできない。否定してしまえば「女の子向け」なる言葉そのものが大いなる矛盾をはらんだものとなってしまう。これは実写作品よりもアニメで大きな問題となってくる。いわゆる「二次元」においては見た目における性別の区分をかなりぼかすことができるからだ。「男の娘」なんてのはその典型と言ってもいい。その功罪についてここでは深く掘り下げない。ただその一例としてここから「ひろがるスカイ!プリキュア」総括の補足となる。

 

キュアウィングのビジュアルが公開された時、私は「これは男の子の可能性がある」と直感的に予測した。ただそれは可能性であって、確信を持っていたわけじゃない。だから最初に予測だけは言っておいて、公式の発表があるまでは黙っていようと思った。でも立ち絵以外のビジュアルが公開されるにつれ、「これは男の子だ」との思いが強まっていく。

だが「男性プリキュア否定論者」は「男の子」であることを否定しようとした。実際「初のレギュラー男子プリキュア」と発表され、賛否両論を巻き起こした。だが本編中はそんな問題などどこ吹く風といった感じで「男の子」は個性の一つとして扱われた。その「個性」は言動、所作といった細かいところに影響を与えていた。

それでも「これは女の子である」と強弁しようとすればできてしまう。だからキュアウィングを「男である」という理由で否定しようとする人たちに問いかけたいのだ。もし公式側で「これは女の子です」と言えばそれで良かったのですか、と。

 

キュアウィングという「男の子」と対比するような形でソラ・ハレワタール=キュアスカイの「少年性」が際立つようになってしまったというのは総括の時すでに語った。それを私は「少年ソラ・ハレワタール」という少しショッキングな言い回しで表現した。もう少し正確に言うなら、「ソラ・ハレワタールはHeroではあったかもしれないが、Hero Girlではなかった」という事になるだろうか。もう少し「女の子」として悩む場面があったら、オープニングみたいにお互いメイクしあって笑い合うような場面がもっと本編中にあったら印象は違っていただろう。

「性別」は個性の一つに過ぎないとも言えるが、その人となりを形作る最も大きな個性の一つであるとも言える。この「性別」を区分けするのは単純に「こうだからこう」というものではなくてもっと総合的に判断すべきものなのだと思う。

 

終わりに

「男性プリキュアを否定できる明確なルールはない」「自ら運命を切り開こうとするプリンセス(女の子)の頼れる仲間にプリンス(男の子)がいて何のおかしい事がある。」話はこれに尽きる。その上で作り手がどう考えるか、だ。

こういった男性像を女の子自身が求めているのではないか、制作側もそういった男性像を女の子に求めて欲しいのではないかと少しだけ思う事がある。一視聴者として「トレンド」がこれからどうなっていくのかは見届けるしかないのだろう。


深掘りミュークルみっくす!特別編第27話「ようこそ!お空の上のお城へ」

2024-03-14 05:56:03 | アニメ

はじめに

「ミュークルドリーミー」の物語としての転回点は26話「おさななじみにはわかるの?」だという事は以前紹介した。アニメコンテンツとしての「ミュークルドリーミー」の転回点はこの次の27話「ようこそ!お空の上のお城へ」ではないかと思う。そして今にして思えばこれが「女児向けコンテンツにおけるトレンド」の先駆けとなったのではないか。今回は「深掘りミュークルみっくす!」特別編としてそんな27話を深掘りしていきたい。

 

いつものみんな

この回からオープニングが最終バージョンに切り替わる。ただこれは今回の趣旨としてそれほど重要な要素じゃない。バージョンアップ自体はここまで何度か行われているし、もともとこのオープニングは最初から完成度が高く、物語との乖離はそれほどでもないからだ。重要なのはむしろこの話の冒頭だ。 「テストも終わった事だし、ドリーミーメイトみんなで一五山へハイキングに行こう」 これがこのエピソードの始まりとなる。ドリーミーメイトみんなとは当然ゆめちゃん、まいらちゃん、ことこ先輩、ときわちゃん、そして朝陽君の5人の事だ。そう、この回こそ「いつものみんな」が成立したエピソードなのだ。その後、いくつかの例外はあるものの基本的にはこのフォーマットで物語が展開する事となる。

 

ドリームコスチューム

色々あって、女王さまからお空の上のお城に招待される一同。妖精さんからミュークルステッキを受け取り(注)、ドレスアップしてお城へと行く事となる。その時朝陽君に女の子用の衣装があてがわれる。恥ずかしがる朝陽君(注2)に妖精さんは「ごめん、ごめん。男の子用もあるよ」と改めて衣装をあてがう。それを朝陽君は「これでもちょっと恥ずかしいけど、これなら」と受け入れる。これこそまさに前回「レギュラー男子プリキュア」を阻む壁としてきた

・他の女の子が「女の子らしい」可愛らしさを全開にした上で

・チームとしての一体感を維持しつつ

・男の子として受け入れ可能なコスチューム

そのものだった。朝陽君に最初女の子用の衣装をあてがったのには三つの効果があったと思う。一つはやはりネタとして、今一つは受け入れ不可能なものを先に提示してハードルを下げた事、最後に朝陽君が女の子用の衣装を恥ずかしがるメンタリティを持っている男の子(注3)であることを示したことだ。

このドリームコスチュームの真価が発揮されるのは「みっくす!」からだが、もしこのドリームコスチュームがなかったら、「みっくす!」の朝陽君はもっと違った形になったのではないかという推測はできる。

 

エンディング

お城で女王さまに謁見し、お城の中でおやつ探しゲームをしてみんなでお茶する。まいらちゃん、ことこ先輩、ときわちゃんの「ミュークル・スパークル・クルクル・ドリーミー」等の見どころはあるが、この回の話ははっきり言ってこれだけだ。だがこの回、ついにエンディングがアップグレードされる。ときわちゃんが、そして後ろで応援しているだけだった朝陽君の加えた5人によるCGダンス。

ここまで見てくると、一部の人たちが「プリキュア」であれこれ言ってるような事象の源流を見ることができる。しかし放映当時ほとんど話題にならなかった。こんなことを言っている私ですら「今にして思えば」なのだから。 ではこれをなしえた背景とはどんなものなのだろう。

 

背景の考察

「女の子向けコンテンツ」においては「戦う美少女」にしても「アイドル」にしても現在はチームとして一体となるか、ライバルとして切磋琢磨するというのが主流になっている。主人公だからといって他を圧倒するような特別な力が与えられるわけじゃない。ほぼ「男性」は異物として扱われるか、その存在が排除される。

ゆめちゃんだけがユメシンクロできる「ミュークルドリーミー」の特性はそんな現在の主流から少し外れている言って良い。この主人公が他を圧倒する力を持ち、それが物語をけん引するやり方は「セーラームーン」や「プリキュア」以前に主流だったものにより近い。

この手法では「そのほかのおともだち」の中に男の子がいる事は別に珍しい事じゃない。その上でこの27話は販促を軸にしたお遊び回だった。

販促といってもミュークルステッキやお空の上のお城が対象であって、ドリームコスチュームは少なくともこの時点においてはその場限りのお遊びだった。お遊びだからこそできた。でもネタに走った訳じゃ無い。だからこそより現在の主流に近づいた「みっくす!」で花開いた。

これが「サンリオアニメ」だったことも大きいだろう。サンリオは「カワイイ男の子」に多くの実績を持つ。朝陽君の存在自体がその流れの一環でしかない。そこにドリームコスチュームという新しい流れが加わったのだ。

 

まとめ

「ミュークルドリーミー」の方向性を完全に決し、ともすれば「現在のトレンド」の先駆けとなったこの回にどこまでそんな意識があったのかはわからない。だがこの回は壁を超えるためのちょっとしかきっかけにはなったと思う。次回は「現在のトレンド」をもう少し深く考えてみたい。

 

以下注釈

注:持って帰ろうとして断られた時のことこ先輩の顔がすごく印象的。その後、その後継機たる「チアふるステッキ」のメンテナンスを担当するのですが。

注2:他のみんなの反応は(7話の)「アレよりまし」だった。ま、ネタだからね。

注3:だからこそ42話の女装という決断がどれだけの覚悟をもとになされたのか分かろうというものだ。


「レギュラー男子プリキュア」を阻む壁

2024-02-08 05:53:18 | アニメ

「わんだふるぷりきゅあ!」の追加戦士というところで、またぞろ「男性プリキュアの是非」というのが議論になっている。この話題をこの話の続編および、「深掘りミュークルみっくす!」の特別編として語っていこうと思う。

私はいわゆる新参者で、細かい知識を持ち合わせているわけではないが、いろいろ総合してみると「男性プリキュアを禁止している明快なルールはない」というところに落ち着く。「女の子だって暴れたい」というフレーズにしたところで、「男の子は暴れてはいけない」と言っているわけではない。だがいつの間にやらこの言葉はジェンダー規範からの脱却のためではなく、「プリキュア」というジェンダー規範を正当化するためのフレーズとして使われてしまっている。こういった「プリキュアとしての常識」を制作側がむきになって否定しようとしているのでは、という事を「ひろがるスカイ!プリキュア」を総括した時述べた。

さて、キュアウィングが登場するまでの20年もの間、「レギュラー男子プリキュア」というものを阻んできたものはなんだろう。

 

スーパー戦隊と対比して考えてみよう。戦隊の女性戦士は仮面で顔を隠し、「女性らしさ」を抑えこむ事でチームとしての一体感を維持している。だが「女の子の可愛らしさ」というのを一つの売りにしているプリキュアはそうはいかない。そこら辺を逆手にとって男の子をお姫様にしたり、あえてミスマッチさせる手もある。しかしそれは単発としては成立しても、継続的なものにはなりえない。「プリキュアとしての常識」は「白馬の王子様」や「タキシード仮面」のようなイレギュラーな存在を否定する。かくて男の子たちはサポート役に徹するか、単発のネタとしての存在になっていくしかなかった。そうこうしていくうちに「百合」がトレンドとなっていき、そういった男性の姿すら消えていった。

そうやって考えていくと「レギュラー男子プリキュア」のためには、

・他の女の子が「女の子らしい」可愛らしさを全開にした上で

・チームとしての一体感を維持しつつ

・男の子として受け入れ可能なコスチュームとそれを受け入れる男子キャラクター

この条件全てをクリアする事が大きな壁となる。結局20年もの間、誰もこの壁を越えようとしなかったのだ。だがちょっとしたきっかけさえあれば、壁は越えられる。そう、ちょっとしたきっかけさえあれば。


ひろがるスカイ!プリキュア総括

2024-01-28 15:54:28 | アニメ

盛大にお別れした後、すぐ再会というのはある意味お約束ではある。次回作への引継ぎを変に本編中にねじ込まなかったことも評価はできる。ただ全体を見ると少し厳しい評価をせざるを得ないのも事実。というわけでここから総括。

少年ソラ・ハレワタール

主人公というべきスカイランド出身のヒーローを目指す女の子、ソラ・ハレワタール。私は私は彼女に「女の子」をそれほど感じなかった。こういう事を言うと「ジェンダーがどうの」という人がいるかもしれないが、「女の子らしさ」というのは確かにあってそれを否定することはできない。「女の子向け」と言っている「プリキュア」というシリーズがそれを否定しようとするなら、自己矛盾を抱えて(抱えされられて)しまっている事となる。

ヒーローという言葉が意味するところにはやはり男性的なものがある。そこを目指す以上、彼女が「男性的」にならざるを得ないのは致し方ないとは思う。だが姿形以外で彼女を「女の子である」と示せたかと言えば私にはそうは思えなかった。

いわゆる「男プリキュア否定論」で「男を出すと『ボーイッシュな女の子』を出せなくなる」というのを聞く事がある。だが「ボーイッシュ」というのは女の子であることを否定する言葉じゃない。だから「ボーイッシュな女の子」と「男の子」は全然違う存在で、この二つを並立させることは十分に可能だ。しかし多くの部分でソラは「男の子」であるツバサと被ってしまった。ツバサという「男の子」の存在によってソラ・ハレワタールの男性性が際立つことになったとも言い換えてもいい。

だから少なくない人が「ソラまし百合~」とか言っていても、私には普通の男の子と女の子のカップルのようにしか見えなかった。だとしたらソラ・ハレワタールが徐々に主人公としての格を失って、その座を虹ヶ丘ましろに譲っていったのは当然の帰結と言えるかもしれない。異世界出身の精神的には男の子なキャラクターは女の子にとってあこがれる存在にはなりえても、感情移入はしにくいだろうからだ。

 

20周年の施策

20周年の施策を見ていると東映アニメーション側はどうにも「プリキュアとはこういうものだ」とされている一般的な常識をむきになって否定しようとしているように映る。

「ひろがるスカイ!プリキュア」にもおけるそれは発想がそこで止まっているように思う。否定したもののその先を感じられないのだ。前述のソラ・ハレワタール、「初のレギュラー男子プリキュア」を喧伝するために物語的にも販促的にも重要であるはずのプニバード族という設定が小出しになったキュアウィング=ツバサ。本来なら追加戦士と言われる程に初変身が引き延ばされた挙句、いらぬツッコミどころ(注)まで生んでしまったキュアバタフライ=聖あげは。トロフィーとして、中心商品の一つとしての存在価値を犠牲にする事でキュアマジェスティ=プリンセス・エルは何を得たのだろう。

「悪役会議」をしなかったことは結局ストーリーの推進力を失わせ、悪役ひいてはそれと闘うプリキュアの魅力をそぐ結果にしかならなかった。「悪役会議」をしたくないのならば、アンダーグ帝国のような明確な敵組織を設定せずに一話完結にこだわればよかったのだ。悪役であったバッタモンダーを掘り下げる事で虹ヶ丘ましろ=キュアプリズムを掘り下げられたのは皮肉以外の何物でもない。

何か一般的な常識を覆してやろうという制作側と女の子向けを作ろうというバンダイナムコを軸にしたスポンサー側とが「プリキュアを作る」という点では一致していたものの、バラバラな方向を向いた結果こうなったという感は否めない。

 

次回からは「わんだふるぷりきゅあ!」。タイトルを全てひらがなにしたことでより低年齢層に特化していくのか、それともあえて逆張りをしていくのか、また少し距離を置いて見守りたいと思う。

 

 

 

 

 

 

注:「研修期間長すぎ」問題に関しては年齢を22~3に引き上げた上で「ソラシド保育園の新米保育士」にすれば回避できたんじゃね?別のツッコミどころは生まれるかもしれないけど。


キボウノチカラ~オトナプリキュア’23 総括

2023-12-24 14:42:18 | アニメ

まず最初にお断りしておくと、私は「プリキュア」にほぼ思い入れが無い。その視点からという事はご理解いただきたい。

昔の姿に戻ってプリキュアに変身した時、正直感じたことは「あ~あ、変身しちゃったかぁ~」だ。それは過去への回帰、ひいては焼き直しにすぎない。昔の姿に戻した事で結局は「子供の論理」の物語に収まってしまった。そこに中途半端な踏み込みをするから、「何ぞこれ?」という話になる。結局のところ「東京ミュウミュウ」でやっていた(つまり別にオトナにしなくてもよかった)ような話を「オトナ」と称してやっただけ、になってしまった。

で、ラストバトルに初代の二人が何のドラマもなく助けに来る。それはもはや「ファンサービス」以上のものにはなりえない。すでに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というような話をした後でのあのラストは完全に蛇足。それをもって少し後味を悪くして「オトナ」ぶりたかったのかなととしか思えなかった。

総じてみると確かにこれは現在と未来を生きる子供たちのための「プリキュア」じゃない。だが大人の鑑賞に堪えうるという「プリキュア」でもない。過去の郷愁にとらわれた者たちのための言うなればオタクだましの「プリキュア」だ。

そんなことを考えると、大人になったどれみ達ではなく、「どれみ」を見ていたかつての女児たちの現在を描いた「魔女見習いをさがして」の決断はやはり正しかったのだなぁ、と思う。