うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む52

2010-03-22 06:25:56 | 日記

硫黄島守備隊玉砕<o:p></o:p>

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終日防空壕の霜崩れを直したり、瀬戸物を埋めたり、薪を割ったり大忙し。<o:p></o:p>

硫黄島の残存将兵、十七日最後の総攻撃を敢行、爾後通信絶ゆと大本営発表。近々にP51をはじめ敵の新たなる戦爆機にお目にかかることと相なるべし。<o:p></o:p>

夜、高須氏の知人千葉氏、子息を同伴して来る。(千葉氏は今回海軍省をやめて、渋川の螺旋工場に勤めることになり、いわゆる疎開を決心したわけです。先日の大空襲が都落ちの原因といえます。あの日千葉氏の町は四辺火の海となり、以来焼け残ったその町の人々は日夜地方への疎開が頻繁となったといいます。千葉氏も二十五年も勤めた海軍省を捨てての疎開です。しかし息子の勝男君のみ東京に残り、父の代わりに海軍省に勤めるということです。風太郎氏勝男君を評して曰くです。)<o:p></o:p>

「一見少女のごときやさしき少年ながら、眉のあたりに凛たる気概あり」と。<o:p></o:p>

(つづいて風太郎氏気合いを入れています。)<o:p></o:p>

時は移る。弱者は去れ。女は去れ。老人は去れ。帝都は青年のみにて護るべし。火の都、轟音の都、死の都となるとても、やがてまた敵戦車群往来する帝都となるとても、断じて吾ら背を見せじ。ただ死守の二字あるのみ。

ゴーリキー「どん底」を読む。想起す。中学卒業の年の秋、夕靄美しく哀愁漂う鳥取の町を、古本屋にて得たる岩波文庫の「どん底」に、熱き眼をくいいらせつつ歩みし日を。当時わが脳中に芸術は幻の大殿堂にして、また最高の穹窿(きゅうりゅう)なりき。今日再び見る「どん底」なんぞ心を打たざる。脳半球の半ばはただ日本を思う。芸術の尊きはもとよりこれを知る。されど、祖国はさらに重大なり。これ理屈にあらず、やむを得ざるなり。<o:p></o:p>