幸い手術は避けられ、リハビリに励んでいる最中です。
ブログを更新出来ないのが残念です。
作者の憤怒は続きます<o:p></o:p>
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今に及んでなお比島戦の目的は出血などとそらぞらしきことに、この危局に注げる国民の眼を転ぜしめんとす。戦場に敵の出血を求めざるものありや。ガダルカナル以来サイパンに至るまで恐るべき後退を示しつつ、なお国民の真の奮起を喚起し得ざりしもの、一に政府のお茶濁し的、顧みて他をいう態の指導にもとづく。<o:p></o:p>
すでに狂爛を既倒に反すの道まったくふさがれし土壇場に到りて、初めて真相を明けたればとて、時遅し、国民の憤激は敵に向わずして指導者に向うの虞れなしとせざるを知るや否や。<o:p></o:p>
二月五日(月) 晴<o:p></o:p>
(終戦の年の冬の寒さは尋常ではなかったようです。)往来に蹴り出されたる拳大の氷塊、日の下に二日たちても三日たちても溶くることなし。日の冷たき風の寒きこれを以って知るべし。…今年の夏また二十年来の暑さなるやも計られず。人類の狂愚、これを下すに厳冬百年の酷寒と炎夏千年の猛暑を以ってす、天帝も怒り給わん。<o:p></o:p>
二月六日 (火) 晴<o:p></o:p>
米軍先鋒マニラに突入す。話。先日の大空襲の際、A氏某街にありて伏す。後ろに老人伏してあり。爆発轟音ありてA氏臀部をイヤというほど殴らる。黒煙薄れてA氏どなる。「何する、失敬な!」A氏は老人が何かを以って尻を打ちたりと思いしなり。而して憤然と振り向くに老人死して転がる。臀部の傍に舗石一枚転がりあり。尻を打ちしはこれなりけり。舗石は爆風によりいずこよりか飛び来たりしものなるべし。A氏助かりて老人死せしは老人の姿勢悪しかりしなるべし、と。<o:p></o:p>
二月七日 (水) 曇、雪<o:p></o:p>
午後屍体解剖。年を越しての解剖続行なれば、皮膚はスルメのごとく、筋肉は乾燥芋、睾丸は干柿の如し。かく呟きたるところ、もうスルメも芋も柿も食えなくなるではないかと怒りし男あり。21<o:p></o:p>
空襲身近に、比島の戦況<o:p></o:p>
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二月三日(土) 晴後曇<o:p></o:p>
碧落日照る。風ひょうひょうと路上にを吹きて、塀の陰、溝の中に残れる雪に日はさせど、風凍りて溶くるすべなし。午後より雲出ず。夜また晴れて星凄し。耳切れて落ちんばかりの寒さなり。<o:p></o:p>
午後十時過、大島神社近傍に火事あり。二階の窓ひらくに、湧き上がる大いなる煙、火炎を映して大空に消ゆ。火の粉とび、近くの樹々の葉、火光を受けて一枚一枚数えられんばかり。叫喚潮騒のごとし、星一つ、朱煙の上に冷々たり。<o:p></o:p>
二月四日(日) 晴<o:p></o:p>
(本日より比島戦線に関する新聞の論調が一変したことに、疑念と落胆を抱いております。怒りさえはっきりと軍部に向けていきます。昨日まで比島の戦いは日米戦の天王山と号していたのに、雲行きが怪しくなってきたのか、比島の一都市、即ちマニラの損失は二の次と言い出してきたのです。)<o:p></o:p>
比島そのものも問題外なり、ただ日本の欲するは米軍の出血、大出血なりとの調子に一変す。比島戦の未来についに絶望のほかなきか。<o:p></o:p>
山下将軍率いる将兵の死戦、政府の渾身の努力はわれら知る。されど政府なお国民を欺かんとするや。何ゆえ比島戦は日本生死の一戦なり、しかれども米の鉄量圧倒的にしてついに吾ら今や敗れんとす。国民よ、日本は敗れんとするなり、愛すべきただ一つの祖国抹殺せられんとするなり。日本して日本人いずこに住むべきぞ。……、現状は然り、米軍の力は然り、わが国力は然りと、何ゆえすべてを国民の前に正直に、赤裸々に吐露してその激憤を求めざる。<o:p></o:p>
(戦時下の学生、そして小生にもよく分かるのですが、軍国教育の結果が作者をして愛国の情をここまで植えつけたかと、我が身を省みあらためて寒々と感じるのです。政府に暗澹たる思いを投げかけても、憂国の情は学生の精神に浸透しているのです。恐ろしきもの、それは教育です。)
横浜の姉の病気<o:p></o:p>
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一日に<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="14:神奈川県横浜市港北区下田町;" Address="神奈川県横浜市港北区下田町">神奈川県横浜市港北区下田町</st1:MSNCTYST>の姉のマンションに向かいました。わが家からバスで水戸、そこから特急で上野、山手線で目黒まで、そして東急目黒線で日吉。そこからタクシーでマンションに到着しました。<o:p></o:p>
病院には翌日行くことにしてこれまでの病状や経緯を、看病付き添いと奮闘している妹から聞きました。とにかく痛みがとれず、それが可哀そうでならぬということでした。<o:p></o:p>
「あんちゃんが明日来るよ」と言ったらとても喜んでいると言います。翌日面会時間の十二時病院までタクシーで行きます。姉は個室のベッドで横向きで上半身をうつ伏せのような格好で横たわっています。「姉ちゃん、あんちゃんだよ。姉さんも来てくれたよ」、妹の声に閉じていた目を開ける姉に妻と二人、思わず目頭が熱くなっていきます。<o:p></o:p>
姉はあたし共を心配させないためか、それとも今日は痛みも和らいでいるのか、面会時間が終わるまで終始笑顔で、そして妹の看護についていろいろ冗談交じりに難癖をつけたりして笑わせます。それはやはり身内の強みで言いたいことを言い合ったりで、このことはあたしの家内ではとても真似の出来ぬ雰囲気といえます。<o:p></o:p>
妹は少し耳が遠いのですが、姉は用があるときは妹の目を捉えてから、手招きしてみたり、あるいはパンパンと平手を打って枕元に呼んだりすると、妹は怒ったりして姉を笑わせます。妹は「姉ちゃん、あんちゃんや姉さんまで来てくれて良かったね」姉は「遠いところをよく来てくれた」と涙を流し、泣いたり笑ったりの時間を過ごします。あたしは姉に五日に歯医者の予約があるからそれまでいるよ。そしてまた来るからと力づけます。<o:p></o:p>
姉の病名は「腰部脊髄管狭窄症」。とにかく検査検査とそれがひどく苦痛で、食事も喉に通らず、点滴頼りの状態でして、それがなにより心配です。みんなしてせっせと食事を摂るようにと懸命に勧めます。<o:p></o:p>
一番上の姉のこと<o:p></o:p>
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暮れのうち上の姉に何回も何日も、電話をしたのですが連絡がつきません。まあ旅行にでも行っているのだろうと、いいほうに解釈して様子を見ることにしました。それで間を置いて再び電話するのですが、応答はありません。これはおかしい、ただ事ではないといささか慌てます。87才になる高齢な姉で、神楽坂のマンションで一人住まい、部屋で転んで骨折でもして入院しているのではないかと、今度は最悪の事態を想像します。<o:p></o:p>
それで姉の息子に連絡を(いろいろ事情を抱えている姉です)すると、事態は大きく転回息子の住まい近くの、最近出来た介護付老人ホームに入居したということが分かりました。息子はその間の経緯をことこまかく説明します。<o:p></o:p>
その日としておきますが、姉のマンションからその日、119番通報があり、救急隊員が駆けつけても姉は電話口からドアまで行ける状態ではなく、隊員は姉から連絡先の息子の電話番号を聞きだし連絡をとる一方、隣家からベランダを伝ってガラス戸を破って収容したとのことなのです。病院で状態は落ち着いたのですが、今後のこともあり、病院での治療や検査の最中にホームの入居手続きをして、勿論姉も諒解納得の上でマンションに帰ることなくホームに直行したという事情が判明しました。<o:p></o:p>
姉は兄弟には手紙で事情を伝えるということでしたので、敢えて連絡はしなかったと息子は言います。医者が常駐し、至り尽くせりの介護付で、場所も近くなので家内も買物帰りに気軽に顔をだせるので、その点お互い安心していられると言い、連絡の遅れたことを謝罪するのです。<o:p></o:p>
とりあえずは一見落着ということで幕はおりたのですが、さっそく姉の携帯にかけますと、姉の元気な声が聞こえます。病状は時々息苦しくなるそうで、過去に何回か救急車のお世話になっていたというのです。しかしそのたびにたいしたことはないというのが結論であったそうなのです。<o:p></o:p>
そして姉の話の様子ではホームの生活に大満足していることが推測され、ひとまず安心ということに落ち着きました。<o:p></o:p>
後日インターネットで検索すると、かなりの規模のホームであり、一時金や月々の費用も高額であることがわかりました。姉は朝からお風呂も入れるし、三食上げ膳据え膳でいうことなしと元気な声で話します。そして車椅子の入居者の多い中、自力で歩けるのはあたしを含めて僅かであると、いささか自慢気なのが救いでありました。<o:p></o:p>
二番目の姉のこと<o:p></o:p>
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千葉の妹から電話が入ります。深刻な声が耳に飛び込みます。横浜の姉からの電話の内容を告げます。ぎっくり腰で痛くて身動きできないでいる、家政婦さんをお願いしたのだが、急には間に合わないということで、直ぐに来てくれないかというので、これからオトウサンに車で送ってもらって行くというのです。<o:p></o:p>
横浜の二番目の姉はすでに80を越え、つい最近一人娘に先立たれて悲嘆のどん底にいるのです。とにかくお前も丈夫なほうじゃないのだから気をつけて行きなと電話を切って、姉に電話します。とにかく痛くてベッドにうずくまっている状態で、こんなときばかり電話して悪いのだがと息苦しそうです。そんなことないよ、家政婦さんより実の妹のが気が置けなくていいじゃないの。なんでも頼んでやってもらったほうがいいよと、話すのも苦しそうなので早々に電話を切ります。<o:p></o:p>
妹はついこの間直ぐ下の妹が死んで、見舞いや葬儀、そして姪っ子の手伝いと、泊まり続けて手助けしてわが家へ戻ったばかりです。亭主と二人暮らしで一番身軽とはいえ、齢は70を越えているので大変は大変なのですが、連れ合いがマメで気さくな男なので頼りになります。<o:p></o:p>
妹から医者から帰っての知らせが入ります。痛み止めの注射をし、点滴治療を受けて痛みも収まり、今食事して食欲旺盛よと笑っています。どうやらぎっくり腰でなさそうで、明日精密検査をするとのことだそうで、とにかく痛みが治まったということでホットします。<o:p></o:p>
しかしホットしたのも束の間、翌日妹から姉が入院したと言ってきました。やはりぎっくり腰なのではなく、以前にも同じことがあったらしく、妹もパニック状態で要領を得ないのですが、どうやら脊髄の状態が異常で骨が神経を逆撫でするため、痛みが走るらしいということらしいのです。とにかく最悪の場合手術が選択肢として浮上しているのですが、姉は先生に手術は勘弁して下さいと手を合わせているといいます。<o:p></o:p>
娘を癌で先立たれ、今我が身をベッドに横たえ、医者に手を合わせる姉が哀れでなりません。<o:p></o:p>
妹は痛みの処置は先生頼みで落ち着いているので、あたしに来る必要はないと言い、自分ももう少し姉が落ち着いたら、一度オトウサンに迎えにきてもらって家へ帰り、とんぼ帰りでまた戻るようにすると言います。そうだそうするがいい、入院しているのだからとりあえずは心配ないのだからと力づけます。<o:p></o:p>
妹は全く老老介護だよと電話の向こうで笑っていました。<o:p></o:p>