一月二十九日 行程三里武雄温泉に宿をとります。福泉寺で朝酒を頂いてその勢いで一気に山越えです。「呼吸がはずんで一しほ山気を感じた」寺での思いもまだ残ります。「…千枚漬はおいしかつた。解秋和尚から目薬をさしてもらつた(此寺へは随分変り種がやつてくるそうな、私もその一人だらうか、私としては、また寺としても、ふさはしいだらう)。」<o:p></o:p>
なおこの寺は紫式部の出生地とか、古びた一幅を見せてもらっています。<o:p></o:p>
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「故郷に帰る衣の色くちて<o:p></o:p>
錦のうらやきしまなるらん」 どなたか解説を!<o:p></o:p>
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五百年忌供養の五輪石塔が庭内にあるといいます。さて武雄温泉、二銭湯とかで、きたなくて嫌だが、西方に峠を見せる城山は低くて今にも倒れそうだが樹木の繁った山と褒めます。<o:p></o:p>
「うどん、さけ、しやみせん、おしろい、等々、さすがに湯町らしい気分がないではないが、とにかく不景気。」とおっしゃっています。<o:p></o:p>
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一月三十日 天気もよし暖かく滞在とあります。どうやら懐のほうも大分暖かそうであります。意気軒昂といったところのようです。なにしろ解秋和尚からお布施をたっぷり、おまけに緑平老からも頂いたのです。これを称して山頭火、「どまぐれざるをえない」と言います。たっぷり恵まれていることを表わしているものと思います。<o:p></o:p>
「一浴して一杯、二浴して二杯、三浴して三杯だ、百浴百杯、千浴千杯、万浴万杯、八万四千浴八万四千杯の元気なし」<o:p></o:p>
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今日一日は怠けるつもりだったようですが、そこは思い返して午後二時間ばかり行乞しましたとは余裕です。<o:p></o:p>
「よき食欲とよき睡眠、そしてよき生欲とよき浪費、それより外に何物もない!とにかくルンペンのひとり旅はさみしいね」と言ってもほかにいうことはないと思いますが、如何なものでしょうか。なお、生欲を性欲と表示している資料もあるようです。まっ、どっちでもいいですが。<o:p></o:p>
山頭火さん お人柄としか言いようがないです。羨ましき時もあります。欲をださなければ いいのかな~なんて思います。
今日は。
不遇な時は身につまされたりしますが、あまり野放図なときはいささか腹立たしくもなります。おかしな人にはまっています。
食欲・睡眠・生欲・浪費とくれば、性欲の方でしょう。りっしんべんは心と言う意味ですから、心をはずして、生と言えば「性」と言う意味にとれます。プライドの高い山頭火ならではの、言葉遊びではないかと思います。・・私の推理は大体当たりませんが?
浪費というと悪いことのように思われますが、買い物でストレス解消をするのは女性が多いとか言われますが、少々の浪費で心が軽くなるのでしたら、よき浪費ですよね。
私も時々しています。しかし年金暮らしとなるとよき浪費も難しいです。
今日は。
あたしもカッコつけて資料云々と申してますが、性欲と解釈しております。あまり浪費してはいけませんが。
今日は。
ご婦人(かみさん)の浪費はよき浪費で、亭主の浪費は悪しき浪費らしいです。酒を飲んでもトイレでパー、ご婦人の浪費は形になって残ると主張します。おまけにストレス解消となれば御の字ですね。
よろしくお願いします。
山頭火は 武雄温泉には あまり良い印象が残っていないようで(汗)。
残念ながら 嬉野温泉のほうが彼には楽しめたらしいですね。
私も 彼が宿泊したり訪れた場所に出かけたりしました。その辺はブログにも書きました。
よければ ブログ内で検索していただければ、現在の写真もあります。拙いブログではありますが。
急にコメントを入れ スミマセン!!でした。
今晩は。
ご訪問ありがとうございます。
山頭火は確かに嬉野温泉が気に入ったようですね。庵を構えようと真面目に考えたりしてます。