母と草履屋のおばさんはノーシンを欠かさなかった 2007-1-21記
草履屋さんのお店は家の一軒おいた隣にある。夫婦二人で子供はいない。あたしの両親よりおじさんは若く、おばさんはいくらか年上とみた。したがっておばさんのが、おじさんより年上になる。おじさんは恰幅がよく頭を角刈りにし、一口にいって格好がよかった。おばさんはその反対に子供のあたしからみても冴えない人である。
近所では不釣合いの夫婦といった評判ではなかったのか。母もときたまそんなことを口にしていた。旦那はあんなにいい男なのに、かあちゃんときたら、あたしと同じで狆がくしゃみしたようなご面相で、おまけにちんちくりんときている。だけど旦那さん、かあちゃんにやさしいんだから、世の中よく出来ていると。
草履屋さんとうちとは仲がよかった。それは男同士が競馬の愛好者だったからか、二人で夏に福島競馬に遠征するのを知っている。母とおばさんが親密なのは、お互い頭痛持ちであったからだ。二人してノーシンを離さない、母はしなかったが、おばさんは黒い膏薬をこめかみに貼ったり、梅干を貼ったりしていた。おじさんはそんなこともあって、あばさんにやさしいのだとあたしはおもったりした。
おじさんは店先の小座敷で、太い木を輪切りにした台を前にしてあぐらをかき、小さな金槌で草履の底を叩いたり、錐で鼻緒をすえたりしている。おばさんはそのそばでお茶を飲んで、店先を通る知り合いにニコニコ頭を下げている。あたしはおばさんが仕事をしているのを見たことがない、覚えているのはお茶を飲んでいる姿だけである。お客がきてもお愛想をいうだけで、おじさんが仕事の手をわざわざ止め、立ち上がって陳列台のガラス戸を開け、草履を取り出し客の前に並べて色々薦めている。
あたしは母の働きぶりを見ているので実に不思議だった。きっとおばさんは頭痛だけでなく、病弱で仕事ができないのだと思った。
そのころどの程度の範囲だったか分からないが、商店で積み立て貯金が行われていた。長細い木箱の中が店ごとに区分けされ、上から銅貨を投入する口があけられ、それぞれの店の名前が書かれている。箱の両脇がガラス張りとなっていて、一目で中が見えるようになっている。箱にはとってがついていて、それを持って順繰りに廻すわけである。結果的にどうなるのかシステムはわからないが、あたしはよく隣のそば屋へ持って行った。するとおじさんに頼まれ、草履屋さんに持って行く。そこでおじさんの仕事に見入って油を売る。おばさんが箱に銅貨を入れ、また頼まれる。隣で運ぶのは終わりにする。隣は床やだが、あたしはそこで頭を刈ってもらっていなかったからである。
草履屋のおばさんにはよく使いを頼まれた。薬やまでノーシンを買いにいくのである。たいした距離ではないが、あたしは母を見て知っているので、おばさんが薬を切らして辛いのだと心配で、駆け足でいってくる。おばさんは早いね、もう行ってきてくれたのかいといってにこにこ笑う。あたしはその顔を見て嬉しかった、お駄賃をもらえるのはもっと嬉しかった。母にもノーシンを買いにやらされるが駄賃はくれたことはない。それは仕方のないことだと思っていた。
母はノーシンのほかに太田胃散を手離さない。頭痛でノーシンを飲み、それで胃を痛め、胃散を飲むといった悪循環を亡くなるまで続けた。
母は晩年よく口にしていた。あたしが死んだらノーシンと胃散を何十年も飲んでいて、体の中がどうなっているのか解剖して診てもらいたいねと。
ノーシンと太田胃散。
ふたつともいまだにある薬ですね。
頭痛はつらいです。
肩や目から来るものでもありますし、頭痛があるうちはいつまでもすっきりせず、活発に動くことができないです。f^_^;)
若いころ偏頭痛がときたま起きたのですが、ずっと頭痛知らずです。それより頭が痛くても、おまり薬に頼らないのが賢明と思います。
母も高血圧症でした。気をつけてください。